井上 勤(いのうえ つとむ、1850年10月20日嘉永3年9月15日) - 1928年昭和3年)10月22日)は、日本翻訳家徳島県徳島市出身。

父は医師井上不鳴。息子は英文学者・井上正人(次男)。甥は評論家内田魯庵

生涯

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徳島藩医・井上不鳴の子として徳島城下前川の中洲で生まれた[1]。7歳でフランス人ヤン・ドンケル・クルティウスに英語を学んだ。その後、16歳で神戸に出てドイツ領事・ドクトル・フォケの通訳となった[2]

1881年明治14年)、蜂須賀茂韶の命で大蔵省に入り、関税局の翻訳家となった。1883年(明治16年)、文部省に移り西村茂樹の編輯局に入った。その後、内閣制度調査局に転任、後に官界を去った。また私生活においては4度の離婚歴があり、5人目の渡辺アイとは入籍すらしていないものの、2人の子どもが授かった[2]

1926年大正15年)頃、神戸の安藤書店で脳出血を起し、1928年昭和3年)10月22日に自宅で死去。墓所は兵庫県神戸市の神戸市営追谷霊園。戒名は正学院釈浄勤居士[2]

著書

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  • 『芸者の心得ちがひ 俳優の部,芸妓の部』洗誡軒, 1879
  • 『民権国家破裂論』岡島真七, 1880
  • 『英和完全会話書』青木嵩山堂, 1898

翻訳

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復刻

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  • 『狐の裁判 禽獣世界 (明治初期翻訳文学選)雄松堂書店, 1978
  • 『自由の征矢 白露革命外伝 (明治初期翻訳文学選 雄松堂書店, 1982
  • 『井上勤集 (明治翻訳文学全集 翻訳家編 大空社, 2002

関連項目

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脚注

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  1. ^ 1968年,徳島市中央公民館『徳島の百人』
  2. ^ a b c 1973年『阿波人物誌』

外部リンク

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