久留島通嘉
日本の江戸時代後期の大名。豊後森藩7代藩主久留島通同次男で、森藩8代藩主(来島氏9代当主)。従五位下伊予守
久留島 通嘉(くるしま みちひろ)は、江戸時代中期から後期にかけての大名。豊後国森藩8代藩主。官位は従五位下・伊予守。
時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 天明7年4月10日(1787年5月26日) |
死没 | 弘化3年8月18日(1846年10月8日) |
改名 | 祥丸、通嘉 |
戒名 | 大通院 |
官位 | 従五位下伊予守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家斉、家慶 |
藩 | 豊後森藩主 |
氏族 | 久留島氏 |
父母 | 久留島通同、山口氏 |
妻 | 安藤信馨養女 |
子 |
通容、通胤、田沼意尊正室、山村良醇室、久留島通孝室、本郷泰清正室、 戸田光顕室、久留島通興室ら |
略歴
編集7代藩主・久留島通同の次男として誕生。幼名は祥丸。
寛政10年(1798年)10月10日、父が大坂城番在任中に死去したため、その跡を継いだ。享和元年(1801年)12月16日、従五位下伊予守に叙任する。藩政においては、財政再建を主とした藩政改革を目指して上米制や専売制度、運上金の引き上げから藩札の発行を行なっている。また、小城さながらの壮大な三島神社を造営し、藩校である修身舎を創設するなど、藩主としての手腕を見せた。
系譜
編集父母
- 久留島通同(父)
- 山口氏 ー 側室(母)
正室
子女