久津見蕨村

日本のジャーナリスト

久津見 蕨村(くつみ けっそん、安政7年1月14日[1]1860年2月5日) - 大正14年(1925年8月7日[1])は、日本ジャーナリスト評論家。名は息忠。他に暮村隠士醯鶏学人の号を用いた。

新保磐次

経歴

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江戸出身[2]。幕臣の家に生まれた[3]。ほぼ独学であるが、文筆家として知られた[2]1897年(明治30年)に「萬朝報」に入社し、のち「東京毎日新聞」で主筆を務めた[1]

著書

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  • 『耶蘇教衝突論』 (中外堂、1893年)
  • 『児童研究』(三育舎,、1897年)
  • 『世界之十大宗教』(普及舎、1897年)
  • 『教育時代観』(右文館、1899年)
  • 『実地応用小教育学』(三育舎,、1899年)
  • 『立身達志 独学自修策』(三育舎、1902年)
  • 『無政府主義』(平民書房、1906年)
  • 『現代八面鋒』(丙午出版社、1912年)
  • 『ニイチヱ』(丙午出版社、1914年)
  • 『自由思想』(文明者、1914年)

脚注

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参考文献

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  • 古林亀治郎編『現代人名辞典』中央通信社、1912年。 
  • 文学美術研究会編『古今文学美術人名辞書』近代文芸社、1932年。 
  • 『20世紀日本人名事典』日外アソシエーツ、2004年。