中野雄二
中野 雄二(なかの ゆうじ、1962年10月17日 - )は、東京都目黒区出身の元サッカー選手、サッカー指導者、大学教授。現役時代のポジションはディフェンダー[2]。日本サッカー協会指導者ライセンスのB級を保有している[3]。
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名前 | ||||||
カタカナ | ナカノ ユウジ | |||||
ラテン文字 | NAKANO Yuji | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1962年10月17日(62歳) [1] | |||||
出身地 | 東京都目黒区 [1] | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF | |||||
ユース | ||||||
年 | チーム | |||||
1978-1981 | 茨城県立古河第一高校 | |||||
1981-1984 | 法政大学 | |||||
監督歴 | ||||||
年 | チーム | |||||
1985-1990 | 水戸短期大学附属高校 | |||||
1992-1996 | プリマハム土浦FC | |||||
1997 | 水戸ホーリーホック | |||||
1998- | 流通経済大学 | |||||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
来歴
編集国立東京第二病院(現:国立病院機構東京医療センター、東京都目黒区)で生まれ、その後は東京都世田谷区の三軒茶屋で暮らしていたが、6歳の時に父の転勤により茨城県古河市へ転居した [1][2]。小学生(古河市立古河第三小学校)の時は野球が好きであった[2] が、小学4年で地元の少年サッカーチームに入った時よりサッカーを始め [4]、古河市立古河第二中学校でもサッカー部に所属した。
1978年、茨城県立古河第一高校に入学してサッカー部に所属。1年次よりレギュラーとして出場し第57回全国高等学校サッカー選手権大会で優勝した [2][5]。2年次は県予選決勝で敗れたが、3年次は主将に就任して第59回全国高等学校サッカー選手権大会で自身2度目の優勝を果たした [6][7]。
高校卒業後は法政大学社会学部応用経済学科へ進学してサッカー部に入部。入学当初よりレギュラーに定着 [8] して、2年次に総理大臣杯全日本大学サッカートーナメントで優勝し、4年次には主将も務め[7]、監督代行としてチームをまとめた[2]。しかし、関東大学サッカーリーグ戦で4年間共に1部と2部の昇格降格を繰り返したことなどで中野自身も後に後悔が残ったと語っている [9]。
大学卒業後、1985年より水戸短期大学附属高校(現:水戸啓明高校)の商業科の教諭として赴任 [10] し、サッカー部の監督に就任。当時の同校サッカー部は弱小であり、かつ荒廃していたため当初より生活指導に明け暮れた [11] が、徐々に強化が進んで1990年には高校総体茨城県予選で準優勝に導いた [12] が、1990年夏に一身上の都合により水戸短期大学附属高校を退職した [13]。なお、小澤英明は当時の教え子の一人である [14]。
1991年春よりプリマハムへ入社して新東京工場(土浦市)で勤務すると共に「プリマハムアセノFC」のコーチに就任した。入社2年目の1992年より「プリマハムアセノFC」を解消して、プリマハム単独出資のプリマハム土浦FCとして再スタートすると同時に同クラブの監督に就任 [15] し、同年の茨城県社会人サッカーリーグ1部で優勝、1994年に関東サッカーリーグへ昇格、1996年度の全国地域サッカーリーグ決勝大会で準優勝に導いた(その後、ジャパンフットボールリーグ(JFL)昇格が決定)[7]。
1996年シーズンを最後にプリマハムが「プリマハム土浦FC」の運営から撤退し、茨城県リーグに所属していた水戸FCと統合する形で1997年に水戸ホーリーホックが発足 [16][17]。同クラブの監督に2年契約で就任すると共に運営会社の常務取締役も兼任した [16]。水戸での1年目はJFL最下位に終わり、シーズン終了後に中野は監督辞任に追い込まれた [18]。
1998年、プリマハム土浦FC監督時期よりオファーを受けていた流通経済大学サッカー部の監督に就任 [19]。2010年に全日本大学選抜チームの監督、2011年には2011年夏季ユニバーシアードのサッカー日本代表の監督をそれぞれ務めた[20]。
現在は同大スポーツ健康科学部の教授を務めるほか、全日本大学サッカー連盟副理事、関東大学サッカー連盟副理事長を兼任している。2024年3月パワーハラスメント行為があったとして、日本サッカー協会から3カ月の公的職務停止処分を受けた[21]。処分後の同年6月に処分前同職へ戻っている[22]。
選手歴
編集- 1975-1977 古河市立古河第二中学校
- 1978-1981 茨城県立古河第一高校
- 1981-1984 法政大学
指導歴
編集- 1985-1990 水戸短期大学附属高校(現:水戸啓明高校):監督
- 1991-1996 プリマハムアセノFC / プリマハム土浦FC
- 1991:コーチ
- 1992-1996:監督
- 1997 水戸ホーリーホック:監督
- 1998- 流通経済大学:監督
参考文献
編集- 秋元大輔『なぜ流通経済大学サッカー部はプロ選手を輩出し続けるのか?』東邦出版、2012年3月22日。ISBN 4809410226。
- 秋元大輔『日本でいちばんプロサッカー選手を育てた男』ぱる出版、2012年8月21日。ISBN 9784827207354。
脚注
編集- ^ a b c 秋元 p.138
- ^ a b c d e “流通経済大学サッカー部 中野雄二監督”. 常陽リビング (2011年6月27日). 2014年11月16日閲覧。
- ^ “選手・スタッフ紹介”. 流通経済大学. 2014年12月20日閲覧。
- ^ 秋元 p.139
- ^ 秋元 p.147
- ^ 秋元 p.153
- ^ a b c “教員紹介”. 流通経済大学. 2014年11月16日閲覧。
- ^ 秋元 p.156
- ^ 秋元 p.160
- ^ 秋元 p.163
- ^ 秋元 p.164
- ^ 秋元 p.170
- ^ 秋元 p.171
- ^ 秋元 p.172
- ^ 秋元 p.180
- ^ a b 秋元 p.188
- ^ “水戸ホーリーホック”. 日本プロサッカーリーグ. 2014年11月16日閲覧。
- ^ 秋元 p.190
- ^ 秋元 p.194-195
- ^ “龍ケ崎ふるさと大使”. 龍ケ崎市. 2014年12月20日閲覧。
- ^ “日本サッカー協会、前理事で流通経大・中野雄二監督のパワハラ認定 3カ月の公的職務停止処分”. 中日スポーツ (2024年3月28日). 2024年11月4日閲覧。
- ^ “[関東「真摯に受け止めました」流経大・中野雄二監督が“パワハラ認定”処分から職務復帰、全日本大学サッカー連盟理事長続投へ]”. ゲキサカ (2024年6月8日). 2024年11月4日閲覧。