中近東
中近東(ちゅうきんとう、英: The Near and Middle East)は、中東と近東の総称である。主に19世紀においての一般的な呼称であり、「中東」の概念はオスマン帝国の崩壊を背景に19世紀から20世紀初頭に登場した[1][2]。歴史的には「中東」の範囲も大きく変化しており、19世紀の後半から第一次世界大戦にかけての「近東」の概念は、第二次世界大戦後の「中東」の範囲とかなり重なる地域を指していた[2]。
概念
編集極東・中東・近東の呼称はヨーロッパからの距離で分けられた呼称であるが、19世紀にはヨーロッパにより近い地域を「中近東(Near and Middle East)」という呼び方が一般的であった[1]。一方、「中東」を最初に使用した人物は米国の海軍軍人アルフレッド・セイヤー・マハンで1902年のことといわれているが、その範囲は曖昧であり、厳密な定義をして用いるようになったのはイギリスの政治行政官である[1][2]。
19世紀の後半から第一次世界大戦にかけての「近東」の概念は、トルコやアラブ世界にバルカン半島を含む地域を言った[2]。一方、「近東」と並行して用いられる場合の「中東」の概念は、第二次世界大戦後に定着したものとは大きく異なるもので、イランやコーカサス、アフガニスタン、中央アジアだけでなく、広義にはインドシナ半島やトルキスタンに至る地域を含むことがあった[2][3]。
第二次世界大戦後は中東と近東の区別が曖昧になり、ニューヨーク・タイムズは同じ地域に2つの呼称を使用していたが1954年に「中東」に表現を統一した[3]。また、アメリカも1957年のアイゼンハワー・ドクトリンで公式文書として初めて「中東」を使用し、1958年の国務省の見解で「中東」と「近東」は交換可能な用語と説明された[2]。ただし、「中東」と「中近東」は微妙な違いがあるという指摘もある[1]。
日本の外務省による報告書には、北アフリカからトルコ、アフガニスタンに到る国家群を「中近東」としている例がみられる[4]。
国家の一覧
編集以下の分類は一例であり、国 - 首都の順に載せる。
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b c d 栗田禎子「中東情勢と日本・世界のゆくえ」『公共研究』第13巻第1号、千葉大学、178頁。
- ^ a b c d e f 池内恵. “「中東」概念の変容 中国・インドの台頭と「西アジア」の復活?”. 中東協力センターニュース 2018・7. 2020年7月2日閲覧。
- ^ a b 畑中美樹. “最近の中東情勢と世界経済への波及”. 中経連 2020.1. 中部経済連合会. 2020年7月2日閲覧。
- ^ 日本外交への期待 -新たな時代の祖創造に向けて (V. 中近東) 『外交青書』 平成8年版(第38号)、外務省、1995年6月