中沢 伊登子(なかざわ いとこ、1915年大正4年)8月20日[1] - 2001年(平成13年)11月11日[2])は、日本政治家民社党参議院議員(2期)。

来歴

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兵庫県出身[注 1]1933年昭和8年)大阪府立阿倍野高等女学校(現・大阪府立阿倍野高等学校)卒、同校補習科修了[3]。神戸生活協同組合理事、神戸市生活指導研究会指導員、宝塚市議会議員などを務める[3]

1965年(昭和40年)の第7回参議院議員選挙に民主社会党(後の民社党)公認で兵庫県選挙区から出馬して当選[4]1971年(昭和46年)の第9回参議院議員通常選挙で2選[4]1975年6月26日、衆議院外務委員会、ILO102号条約批准に伴う母性保護の国内措置が不充分と、攻撃。

1977年(昭和52年)、第11回参議院議員通常選挙で落選[4][5]

栄典

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脚注

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注釈

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  1. ^ 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』367頁には「本籍島根県」と記載。

出典

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  1. ^ a b 『新訂 政治家人名事典 明治〜昭和』433頁。
  2. ^ a b 『神戸新聞』2001年12月1日朝刊29面「叙位叙勲」
  3. ^ a b 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』367頁。
  4. ^ a b c 『朝日選挙大観』596頁。
  5. ^ 中沢伊登子|参議院議員|国会議員白書

参考文献

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