中村清太郎
日本の登山家、山岳画家
中村 清太郎(なかむら せいたろう、1888年4月30日 - 1967年12月20日)は、日本の登山家、山岳画家。川端玉章、岡田三郎助、藤島武二に師事した[1]。
人物・生涯
編集東京府浅草区出身[2]。東京府立第三中学校(現東京都立両国高等学校)を経て[2]、1911年東京高等商業学校(現一橋大学)卒業[2][3]。実業家の加賀正太郎は中学・高商の同級生で友人[4]。
近代登山の黎明期に北アルプスなどに登り[2]、小島烏水らと赤石山脈の初縦走を行うなどした。針ノ木岳の命名者、クモマツマキチョウの発見者でもある[5]。
また、本郷絵画研究所で絵画を学び、1936年には足立源一郎らと日本山岳画協会を設立した[6]。1950年日本山岳会名誉会員[2]。
晩年は日本登山史の執筆を行っていたが、1965年、図書館への行き帰りの際、タクシーに撥ねられ断筆となり、1967年に阿佐ヶ谷の自宅で死去した[7]。
著書
編集- 『山岳渇仰』生活社 1944年
- 『ある偃松の独白』朋文堂 1960年
親族
編集脚注
編集- ^ “山岳風景画の世界”. 市立大町山岳博物館. p. 12. 2024年12月15日閲覧。
- ^ a b c d e 中村 清太郎(読み)ナカムラ セイタロウ20世紀日本人名事典 「中村 清太郎」
- ^ 2009年11月21~23日 小金沢(大菩薩)連嶺縦走記録 -大菩薩嶺から滝子山まで-一橋山岳会
- ^ 登山 (4) 雑誌 (朋文堂, 1959-05)
- ^ 日本山岳会所蔵資料紹介 No.16日本山岳会会報 山 834 号
- ^ 中村清太郎(読み)なかむら せいたろうデジタル版 日本人名大辞典+Plus
- ^ 哀悼・中村清太郎先生日 本 山 岳 会
- ^ 第6話 大人が選ぶシンプル服テレビ東京
外部リンク
編集- 作家別作品リスト:No.1954 - 青空文庫