中島武
中島 武(なかじま たけし、1906年(明治39年) - 1980年(昭和55年)) は、橋梁技術者。世界で初めて鉄筋コンクリートローゼ橋を設計した。
人物
編集北海道札幌市の出身。北海道大学卒業後、内務省に入省し、茨城県・岐阜県道路技師を経て、長野県道路技師に1934年(昭和8年)から1937年(昭和12年)に赴任。この間に田中豊に出会い、鉄筋コンクリート下路アーチ橋としては、ローゼ橋が最適との確信を強めるに至り、大手橋を設計した。1937年(昭和12年)には新潟県に転任するも『鉄筋コンクリートローゼ桁』を1940年(昭和15年)に出版し、長野県内に鉄筋コンクリートローゼ橋が数多く生まれる要因となった。
中島は岐阜県技師時代より、ランガー橋、ローゼ橋、フィーレンディール橋についての構造解析の論文を発表していて、長野県時代に橋梁建設計画が鋼材が不足するなかそれをコンクリートローゼ橋での実現を考え、アーチと桁の接点を剛結とする「変形ローゼ桁」モデルを開発して実用化に至った。
戦後は、建設省に務め、1956年(昭和31年)に「鉄筋コンクリートローゼ桁について」という論文を北海道大学に提出し、工学博士を授与された。
建設省中部地方建設局長[注釈 1]を経て、1959年(昭和34年)に建設省関東地方建設局長[注釈 2]を最後に建設省を退官すると、首都高速道路公団理事、横河工事副社長、地崎工業社長を務めた[1] [2]。
略歴
編集脚注
編集注釈
編集出典
編集関連項目
編集参考文献
編集- 信濃の橋刊行会『信濃の橋百選』(初版)信濃毎日新聞社、2011年7月24日。ISBN 978-4-7840-7166-1。