中山信治
江戸時代の守護大名
中山 信治(なかやま のぶはる、寛永5年(1628年)- 元禄2年6月11日(1689年7月27日))は、常陸松岡藩の第3代当主。常陸水戸藩附家老・中山家3代。
初代当主・中山信吉の四男で、寛永19年(1644年)第2代当主・中山信政(信治の兄)の養嗣子。母は塩谷義上の娘。正室は向井忠勝の娘。子に信行(長男)、信興(次男)、信成(三男)、信庸(五男)、信秀(六男)、信敏(七男)、娘(中山直房正室)など。官位は従五位下、備前守。
佐助を称し、正保2年(1645年)12月25日、従五位下・備前守に叙任。慶安4年(1651年)11月5日、兄で養父の信政の隠居により跡を継ぐ。天和元年(1681年)7月18日、家督を長男の信行に譲って隠居し、元禄2年(1689年)6月11日に死去した。法号は中山院殿性海道軒大居士。墓所は埼玉県飯能市中山の智観寺。
父や兄と違い、幕藩体制が整備された3代信治以降の中山家当主は幕臣の経歴を持たない[1]。
系譜
編集父母
正室
- 向井忠勝の娘
側室
- 下田氏
- 大森氏
子女
脚注
編集- ^ 小山譽城『徳川御三家付家老の研究』(清文堂出版、2006年) ISBN 4-7924-0617-X