上杉宗憲
上杉 宗憲(うえすぎ むねのり)は、江戸時代中期の大名。出羽国米沢藩6代藩主。山内上杉家22代当主。
上杉宗憲像(上杉家歴代藩主像より、上杉博物館蔵) | |
時代 | 江戸時代中期 |
生誕 | 正徳4年1月12日(1714年2月26日) |
死没 | 享保19年5月13日(1734年6月14日) |
改名 | 憲英→宗憲 |
戒名 | 桂徳院殿法印権大僧都岳心 |
官位 | 従四位下、侍従、弾正少弼 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川吉宗 |
藩 | 出羽米沢藩主 |
氏族 | 上杉氏 |
父母 | 父:上杉吉憲、母:山中氏(祥寿院) |
兄弟 | 宗憲、宗房、畠山義紀、重定 |
妻 | 正室:山内豊隆娘・整 |
子 | 養子:宗房 |
経歴
編集5代藩主・上杉吉憲の長男として誕生した。生母は側室・山中氏(祥寿院)。
『上杉家御年譜』では正徳4年(1714年)正月12日生まれとし、『寛政重修諸家譜』では宝永6年(1709年)としているが、前者の方が有力である。享保7年(1722年)5月1日の父・吉憲の死により、同年6月18日に家督を継ぐ。叔父で米沢新田藩主の上杉勝周が後見する。翌享保8年(1723年)11月11日に元服し、8代将軍・徳川吉宗の偏諱を受けて宗憲に改名した。従四位下・侍従兼弾正大弼に叙任される。
享保15年(1730年)頃より、清野秀佑が台頭してくる。享保18年(1733年)に幕府から江戸城普請の任を命じられ、領内に臨時の御用金や家臣の俸禄を貸し上げて調達して対応、藩財政の窮乏がさらに進んだ。なお、享保19年(1734年)5月初旬に病に倒れ、同年5月13日に米沢にて死去した。享年22。墓所は米沢市。嗣子が無かったため、弟の宗房が末期養子として跡を継いだ。