上ノ平城
上ノ平城(うえのたいらじょう)は、信濃国伊那郡(現在の長野県上伊那郡箕輪町東箕輪)にあった日本の城。長野県指定史跡。
上ノ平城 (長野県) | |
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別名 | 神之平城 |
城郭構造 | 平山城 |
天守構造 | なし |
築城主 | 源為公 |
築城年 | 平安時代後期 |
主な城主 | 伊那氏、知久氏 |
廃城年 | 不明 |
遺構 | 堀、土塁 |
指定文化財 | 県指定史跡 |
位置 | 北緯35度55分51.8秒 東経138度00分05.2秒 / 北緯35.931056度 東経138.001444度座標: 北緯35度55分51.8秒 東経138度00分05.2秒 / 北緯35.931056度 東経138.001444度 |
地図 |
概要
編集平安時代後期に信濃国伊那谷に土着した源為公(伊那馬大夫為公)によって築かれたと伝えられる。以後、為公の嫡流が代々居住したが、鎌倉時代に諏訪氏の一族にあたる知久氏(為公の後裔とする説もある)の居城となった。
従来、鎌倉初期に城主であった知久信貞が承久の乱の後に下伊那の知久郷へ退去して以降は改築されることなく廃城となったと考えられてきたが、平成に入ってから行われた発掘調査で確認された遺構、遺物から戦国時代にも城として機能していたことが明らかとなった。また、主郭跡の地中から大量の炭化物および焦土が出土していることから、何らかの理由により焼失したものと考えられている。
脚注
編集参考資料
編集- 長野県・箕輪町両教育委員会「上ノ平城」説明看板