三輪晁勢

1901-1983, 日本画家

三輪 晁勢(みわ ちょうせい、本名:三輪 信郎、1901年4月30日 - 1983年9月7日[1])は、日本画家日本芸術院会員、京都府美術工芸功労者、京都市文化功労者、与板町名誉町民(現在は長岡市名誉市民)[2]堂本印象の義弟。

来歴・人物

編集

1901年明治34年)新潟県三島郡与板町長丁(現長岡市)に生まれる。父は洋画家三輪越龍(本名:三輪大次郎)。与板町立与板尋常小学校卒業後、画家修業の為に京都へ移住し1913年大正2年)京都市立美術工芸学校入学。1924年(大正13年)京都市立絵画専門学校(現:京都市立芸術大学)卒業。

堂本印象に師事し、当初は超世と号した。1927年昭和2年)第8回帝展に「東山」が初入選。1931年(昭和6年)第12回帝展で「春丘」、1934年(昭和9年)第15回帝展で「舟造る砂丘」が特選受賞。同年堂本印象が画塾東丘社」を結成すると入門し塾頭として活躍、1975年(昭和50年)に堂本印象没後は東丘社を主宰する。戦後日展へ発表を続け、1962年(昭和37年)「朱柱」で日本芸術院賞受賞、1979年(昭和54年)日本芸術院会員となる。風景から花鳥、人物と作域は幅広く、晩年は鮮やかな色彩による静かな風景画、装飾性の強い花鳥画を描いた。1983年(昭和58年)京都市で死去、享年82。

家族

編集

作品

編集
  • 『東山』(1927年・第8回帝展入選)
  • 『春丘』(1931年・第12回帝展特選)
  • 『祖谷の深秋』(1933年・後に郷里与板町の与板小学校へ寄贈)
  • 『舟造る砂丘』(1934年・第15回帝展特選)
  • 『朱柱』(1962年・日本芸術院賞受賞)

脚注

編集
  1. ^ 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 2 (学術・文芸・芸術篇)』1073頁。
  2. ^ 名誉市民等”. 長岡市. 2022年8月17日閲覧。
  3. ^ 三輪大次郎コトバンク
  4. ^ 建部遯吾『人事興信録』第8版、昭和3(1928)年

参考文献

編集
  • 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 2 (学術・文芸・芸術篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年。

外部リンク

編集