三朝温泉
座標: 北緯35度24分38.7秒 東経133度53分35.1秒 / 北緯35.410750度 東経133.893083度
三朝温泉(みささ おんせん)は、鳥取県東伯郡三朝町にある温泉。日本百景。
三朝温泉 | |
---|---|
河原風呂と三徳川 | |
温泉情報 | |
所在地 | 鳥取県東伯郡三朝町 |
交通 | 鉄道:JR山陰本線倉吉駅より、日ノ丸バスで20 - 25分 |
泉質 | 塩化物泉、単純温泉、放射能泉 |
宿泊施設数 | 22[1] |
年間浴客数 | 289,719[2] |
統計年 | 2023年 |
外部リンク | 三朝温泉公式サイト |
泉質
編集- 含放射能/ナトリウム・塩化物泉
- 含放射能/単純泉
三徳川によって南北に三朝群(三朝区)と山田群(山田区)の二つの温泉群に分けられる[3][4]。日本最大規模のラドン温泉地域で、泉温摂氏34度以上のラドン温泉は世界的にも希少な放射能泉である[4]。
温泉療法を実施する医療機関があり、温泉は泉質に応じて温泉プール療法、飲泉療法、鉱泥療法など様々な治療に用いられている[5][6]以上により、高いホルミシス効果があるとされ、観光客だけでなく療養目的で訪れる湯治客も多い[7][8]。
温泉街
編集三徳川の両岸に旅館が立ち並ぶ[4]。また、三朝大橋のたもとに河原風呂(川原の温泉:24時間(奇数日午前中は清掃)・無料)がある[9]。石畳が敷かれた温泉本通りには、こぢんまりした旅館や飲食店、古美術店、スナック、土産物屋、射的場等が並んでおり、情緒ある温泉街が形成されている。三朝温泉最古の源泉とされる「株湯」は温泉街から少し離れた静かな住宅街の中にあり、地元住民の利用が多い[4]。
本格的な療養温泉でもあり、温泉療法を実施する病院や研究施設がある。また温水床暖房を持った長期滞在者向けの旅館や自炊宿も見られ、観光と療養(湯治)の並立が三朝温泉の特徴である[4]。二十数軒ある旅館・ホテルの多くが、「現代湯治」に対応している。温泉街にある病院での診察と組み合わせたり、ソムリエをもじった入浴アドバイザー「ラヂムリエ」がいたりする旅館もある[10]。
温泉施設
編集なお、三朝町営の国民宿舎としてブランナールみささが設置された[13]。旧名称は三朝温泉会館で、1963年(昭和38年)にオープンし、1995年(平成7年)にブランナールみささに改名した。国民宿舎ブランナールみささは、2023年(令和5年)に指定管理者ジーライオンのグループ会社に譲渡されることになった[14]。
また、温泉街には公衆浴場「たまわりの湯」が設けられ、住民や観光客に利用されてきたが、施設の老朽化と従業員の高齢化により、2023年3月末で営業を終了することになった[15]。この共同浴場「たまわりの湯」の跡地についても、2024年(令和6年)5月に高級旅館の建設を計画するジーライオングループに売却する方針が発表された[16]。
周辺施設
編集- 病院 - 三朝温泉病院(2015年末で閉鎖の岡山大学病院三朝医療センターの機能も継承[17])
- 研究所 - 岡山大学惑星物質研究所(岡山大学所管の共同利用・共同研究拠点)
- 博物館・美術館 - 三朝バイオリン美術館、陣所の館 、湯の街ギャラリー
- その他 - キュリー広場、キュリー夫人の胸像、木屋旅館(2010年3月 建物が国の登録有形文化財に登録)、旅館大橋(1932年築の国の登録有形文化財の旅館)
歴史
編集伝説によれば、平安時代末期の1164年(長寛2年)に源義朝の家臣、大久保左馬之祐(さまのすけ)によって発見されたという[3]。三朝温泉発祥の伝説として、白狼伝説があり、左馬之祐が三徳山三仏寺の参拝に赴いた際、老いた白いオオカミが現れ討ち取ろうとしたが、神仏の化身であることがわかると思いとどまり宿に帰った[18]。その夜、左馬之祐の夢枕に妙見大菩薩が現れて出湯の場所を道案内して消え、その教えられた場所に実際に行くと楠の老木の根元から湯が湧き出ていたという[4][18]。三朝温泉源泉の「株湯」の名はこの故事に由来する[18]。
温泉名の由来は諸説あり、その一つが「三つ目の朝を迎えるころには病が消える」ことから三朝と呼ばれるようになったというものである[19]。
『出雲国風土記』にも温泉に関する記述がある。明治以降、与謝野鉄幹、与謝野晶子、野口雨情、志賀直哉、斎藤茂吉、島崎藤村など多くの文人も訪れた。
1914年(大正3年)、三朝温泉の源泉の一つ(後の岡山大学分室泉)からラドンの存在が発見された[3]。1939年(昭和14年)に岡山医科大学が療養所を設置し、1943年(昭和18年)に放射能泉研究所に改組された[3]。この研究所は1949年(昭和24年)の新制岡山大学の発足により同大学附置の研究所となった[3]。
1947年(昭和22年)11月28日、昭和天皇が三朝温泉療養所に行幸(昭和天皇の戦後巡幸)[20]。患者への慰問が行われた[21]。
三朝温泉に関する作品
編集ギャラリー
編集-
河原風呂。よしずの向こうに脱衣場と足湯「河原の湯」がある
-
温泉本通りの灯
-
三朝バイオリン美術館
-
陣所の館
-
公衆浴場「株湯」:右手前側には飲泉場がある
-
三朝神社の手水舎。温泉が流れており、飲泉できる。
周辺
編集アクセス
編集- JR山陰本線倉吉駅より、日ノ丸バスで20 - 25分。
- 三朝温泉・はわい温泉直行かにバス
- 山陰自動車道はわいインターチェンジより国道179号・鳥取県道21号鳥取鹿野倉吉線経由。あるいは米子自動車道湯原インターチェンジより国道313号・国道482号・国道179号・鳥取県道21号線経由。
脚注
編集- ^ “宿泊施設”. 三朝温泉公式サイト. 2024年10月4日閲覧。
- ^ a b “観光入込動態調査 温泉地入湯客数”. 鳥取県 輝く鳥取創造本部 観光交流局 観光戦略課 (2024年9月13日). 2024年10月4日閲覧。
- ^ a b c d e 森永寛「放射能温泉地の医学-補遺」 温泉科学38巻3号、2023年2月27日閲覧。
- ^ a b c d e f 堀内公子、箕輪はるか、吉澤幸夫「三朝温泉におけるラドン研究の 100 年」 温泉科学64巻、2023年2月27日閲覧。
- ^ 温泉療法 - 岡山大学病院三朝医療センター(2012年7月21日閲覧)
- ^ 当院の温泉について - 社団法人鳥取県中部医師会立三朝温泉病院(2012年7月21日閲覧)
- ^ “三朝温泉の効能と歴史 | 三朝温泉ポータルサイト│宿泊施設&観光情報満載【三朝温泉 公式サイト】”. misasaonsen.jp (2020年3月20日). 2024年10月4日閲覧。
- ^ 「ラドン熱気浴 | 健康づくりの湯治宿 ブランナールみささ」『健康づくりの湯治宿 ブランナールみささ』。2024年10月4日閲覧。
- ^ 三朝温泉河原風呂 公益社団法人 鳥取県観光連盟、2023年3月15日閲覧。
- ^ 三朝温泉の現代湯治(2018年4月30日閲覧)
- ^ “三朝温泉 温泉施設”. 三朝温泉公式サイト. 三朝温泉観光協会/三朝温泉旅館協同組合. 2021年11月10日閲覧。
- ^ “三朝温泉”. 鳥取県観光案内 とっとり旅の生情報. 公益社団法人 鳥取県観光連盟. 2021年11月10日閲覧。
- ^ 三朝町国民宿舎事業の設置等に関する条例
- ^ 三朝町「ブランナール」民間譲渡 指定管理者グループ会社に 日本海新聞、2023年2月27日閲覧。
- ^ ”癒やしの浴場”3月末閉館 三朝温泉・たまわりの湯 町が新施設計画も 日本海新聞、2023年3月15日閲覧。
- ^ “たまわりの湯跡地 売却へ 神戸の企業に 地元おおむね了承 三朝町”. 日本海新聞. 2024年5月23日閲覧。
- ^ 三朝医療センター:岡大が今月末閉院 温泉病院が機能継承『毎日新聞』朝刊2015年12月25日(鳥取県版)2018年4月30日閲覧
- ^ a b c みちくさウォーキングマップ 三朝・温泉街 三朝町、2023年2月27日閲覧。
- ^ 【湯の心旅】三朝温泉(鳥取県)若旦那が変える湯治宿/医療と連携、森林セラピーも『日本経済新聞』朝刊2018年4月21日・別刷りNIKKEIプラス1(9面)
- ^ 原武史『昭和天皇御召列車全記録』新潮社、2016年9月30日、99頁。ISBN 978-4-10-320523-4。
- ^ 宮内庁『昭和天皇実録第十』東京書籍、2017年3月30日、548頁。ISBN 978-4-487-74410-7。
- ^ 日本遺産 三徳山 三朝温泉「六根清浄と六感治癒の地」(2018年4月30日閲覧)
関連項目
編集- ルブロバクテル・ラディオトレランス
- 鳥取県の観光地
- 美しい日本の歩きたくなるみち500選
- リアリズムの宿 - 2004年公開の映画のロケ地となった。
- ホルミシス効果
- 放射線ホルミシス#環境放射線の積極的な利用としての放射能泉
- 放射線ホルミシス#三朝温泉地区における調査
- みささ (列車) - 旧国鉄が運行していた準急・急行列車