三宅 右近(みやけ うこん、本名・同じ、1941年昭和16年)4月6日 - ) は、狂言和泉流能楽師

みやけ うこん
三宅 右近
生年月日 (1941-04-06) 1941年4月6日(83歳)
出身地 日本の旗 日本東京府
職業 狂言師
活動期間 1947年 -
活動内容 狂言
著名な家族 祖父:初世野村萬斎(五世野村万造)
父:九世三宅藤九郎
長男:三宅右矩
次男:三宅近成
兄:和泉元秀
従兄:七世野村万蔵(隠居名:野村萬)
伯父:六世野村万蔵
従兄違:八世野村万蔵(五世野村万之丞)
従兄違:九世野村万蔵
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人物

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九世三宅藤九郎人間国宝)の次男。兄に和泉流十九世宗家和泉元秀。伯父に六世野村万蔵(人間国宝)。

従兄に野村萬人間国宝)、野村万作人間国宝)、野村四郎(能役者)、野村万之介

父に師事。6歳で初舞台「梟山伏」。22歳で「釣狐」、23歳で「花子」を披く。1982年、重要無形文化財「能楽」保持者に認定(総合認定)。

兄、保之(和泉元秀)が和泉流宗家を継ぐため、山脇家の養子になったあと、父・九世三宅藤九郎家の家系を守っている。芸風は野村万蔵家と大きく変ることはないが、本狂言においては世話物的写実性が目立つ一方で、間狂言では式楽的な上品さが強調されるようである。

長男・三宅右矩(すけのり)、次男・三宅近成(ちかなり)は共に狂言師。

手話狂言

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日本ろう者劇団では、ろう者による手話狂言を上演している。三宅右近は、一から彼らを指導し、健常者に勝るとも劣らない狂言として手話狂言を誕生させた。

手話狂言は、日本ろう者劇団(社会福祉法人トット基金付帯劇団)において、「時間が短くて世界に通じる笑いを」というトット基金理事長・黒柳徹子の発案で企画されたもの。能楽にも造詣の深い黒柳徹子は、右近が中学生の頃からの舞台を観ており、その後の和泉家の問題など右近の苦労をよく知っていた。黒柳は、「人の辛さ、苦しさが分かる人。指導者として、素晴らしい人」と、右近に協力を依頼した。

手話狂言とは、舞台上で、劇団員がセリフを手話で表情豊かに演じ、その所作(動き)に合わせて狂言師が袖で発声を行う、聞こえる人も聞こえない人も共に楽しむことが出来る狂言である。

狂言の古い口語のニュアンスを表現するため古い形の手話を使い、手話と声とのタイミングや、間のとり方にも工夫が重ねられ、古典芸能の強靭さを持つ手話狂言が誕生した。

1983年兵庫県芦屋市ルナホールで旗揚げ公演(演目「六地蔵」)。全国7ヵ所の巡回公演を経て、イタリアパレルモで開催された「世界ろう者会議・演劇祭典」で上演された。

その後も、全国各地、世界各国で上演され、2006年の横濱世界演劇祭でも上演されている。

1987年文化庁芸術祭賞受賞。

2002年内閣総理大臣表彰を受けている。

外部リンク

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