一関シネプラザ
一関シネプラザ(いちのせきシネプラザ)は、岩手県一関市磐井町2丁目13に所在する2スクリーンの映画館。2024年時点で一関市唯一の映画館である。
一関シネプラザ Ichinoseki Cineplaza | |
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情報 | |
正式名称 | 一関シネプラザ |
旧名称 | 新星映画劇場、一関東映劇場 |
完成 | 1949年 |
開館 | 1990年 |
収容人員 | (2スクリーン合計)210人 |
設備 | ドルビーデジタル |
用途 | 映画上映 |
運営 | 有限会社一関東映劇場 |
所在地 |
〒021-0894 岩手県一関市磐井町2丁目13 |
位置 | 北緯38度55分58.8秒 東経141度8分4秒 / 北緯38.933000度 東経141.13444度座標: 北緯38度55分58.8秒 東経141度8分4秒 / 北緯38.933000度 東経141.13444度 |
アクセス |
一ノ関駅より徒歩13分 岩手県交通・一関市営バス「一関一高前」停留所下車徒歩2分 |
歴史
編集前身は1949年(昭和24年)7月開業の新星映画劇場。同市に本社を置く酒造メーカーの世嬉の一酒造(せきのいちしゅぞう)の製品倉庫を改修して作った映画館だった[1]。後に作家となる井上ひさしは中学生時代に窓口でアルバイトをしていた[2]。
その後1957年(昭和32年)、現在地にあった一関映画劇場を売却し、東映のロードショー館である一関東映劇場とする[2]。同年には盛岡市に同じ東映系映画館である「盛岡東映」(2004年1月9日閉館)も開業しており、一関市内には同館の他にオリオン座、一関日活劇場、一関文化映画劇場といった映画館も存在していた[3]。
1990年(平成2年)、現在の2スクリーンの映画館に改築し、館名を一関シネプラザに改称。東映の封切館からフリー館に転向し現在に至る。1階は、株式会社イーハトーブ東北が運営する「栗駒茶屋」等で販売する和スイーツのあんこなどを作る栗駒茶屋工房になっている。
2011年(平成23年)の東日本大震災発生時は、映写機やスクリーン等が破損するなどの被害を受けたが[4]、愛知県名古屋市のミニシアター「シネマスコーレ」のスタッフや、三重県伊勢市のミニシアター「伊勢進富座」の支配人らの協力を得て再建にこぎ付けた[5]。2012年(平成24年)3月15日には、日本映像職能連合主催の「シネマエール東北」の一環として『フラガール』(監督李相日、2006年)の無料上映会が行われ、日本映画監督協会の理事長を務める崔洋一監督が来館しトークショーを行っている[6]。
秋原北胤監督作『一遍上人』(2012年)の上映時は、同作の主題歌を担当した宇佐元恭一が5月19日に、主演のウド鈴木が5月20日に舞台挨拶で来館している[7]。
2022年(令和4年)3月6日に発生した福島沖を震源とする地震で天井の一部やスピーカーが落下。工事費に600万円以上の費用がかかり、資金的に廃業を検討せざるを得ない状況に。しかし、お客様からの多数の励ましにより、営業再開に向け、クラウドファンディングを実施。662万円の支援が集まり、4月22日から営業を再開した[8]。
座席数
編集スクリーン 座席数 備考 シネプラザ1 140 シネプラザ2 70
脚注
編集- ^ “バーチャル蔵めぐり”. 世嬉の一酒造株式会社. 2013年7月31日閲覧。
- ^ a b “一関シネプラザ”. 港町キネマ通り (2010年10月). 2013年7月31日閲覧。
- ^ “1960年の映画館(東北地方)”. 消えた映画館の記憶. 2021年7月7日閲覧。
- ^ “震災情報「被災の映画館 デジタル化に困ってます」”. 読売新聞 (読売新聞社). (2013年2月10日) 2013年7月31日閲覧。
- ^ “名駅の映画館「シネマスコーレ」のスタッフらが被災地へ - 映写機を修理”. 名駅経済新聞 (みんなの経済新聞ネットワーク). (2011年4月18日) 2013年7月31日閲覧。
- ^ “シネマエール東北 映職連企画宮古一関上映会報告”. 特集. 日本映画監督協会 (2012年6月11日). 2013年12月9日閲覧。
- ^ “映画「一遍上人」の上映、舞台挨拶が決定しました!”. さんりく観光情報. 岩手県観光ポータルサイト「いわての旅」 (2012年4月19日). 2013年12月9日閲覧。
- ^ “目標上回る660万円 福島沖地震で被害 CF、映画ファンから支援 一関シネプラザ営業再開”. Iwanichi Online 岩手日日新聞社. 2024年11月23日閲覧。