一宮町 (岡山県)

日本の岡山県御津郡にあった町

一宮町(いちのみやちょう)は、かつて岡山県御津郡にあったである。1971年昭和46年)1月8日岡山市に編入され廃止された。現在は同市北区一宮地域となっている。

いちのみやちょう
一宮町
廃止日 1971年1月8日
廃止理由 編入合併
一宮町津高町高松町 → 岡山市
現在の自治体 岡山市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中国地方山陽地方
都道府県 岡山県
御津郡
市町村コード 33302-6
面積 28.51[1][2] km2
総人口 11,620
(昭和45年国勢調査、1970年
隣接自治体 岡山市、御津郡津高町、吉備郡高松町、足守町都窪郡吉備町
町長 草野八治[3][4]
一宮町役場
所在地 701-12
岡山県御津郡一宮町大字一宮553番地の1[1][2]
座標 北緯34度40分44秒 東経133度51分52秒 / 北緯34.67889度 東経133.86458度 / 34.67889; 133.86458
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歴史

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かつては備前国津高郡馬屋郷に属した。馬屋とは古代山陽道の津高駅がこの地[注釈 1]に置かれ、その駅家(まや)に起因するものとされる。

江戸時代に備前藩の所領となると、池田氏によって馬市が開かれた。その盛んな様子から現在も「市場」の地名が残っている。

1889年の町村制施行により、一宮村・馬屋下村・平津村が発足した。1954年4月にこれら3村で合併気運が高まり、翌1955年に合併して一宮町が発足した。

1971年1月8日、一宮町は岡山市に編入合併され、町制時の15大字のうち山崎は一宮を冠称した上で他の14大字とともに同市の大字に継承された。

沿革

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  • 1889年明治22年)6月1日 町村制施行。
    • 一宮村・尾上村・西辛川村・辛川市場が合併して津高郡一宮村が発足。
    • 大窪村・福谷村・長野村・横尾村・芳賀村・松尾村が合併して津高郡馬屋下村が発足。
    • 首部村・楢津村・山崎村・今岡村・佐山村が合併して津高郡平津村が発足。
  • 1900年(明治33年)4月1日 津高郡と御野郡が合併して御津郡となる。
  • 1904年(明治37年)11月15日 中国鉄道吉備線が開業。一ノ宮駅(現・備前一宮駅)が設置される。
  • 1955年昭和30年)1月1日 御津郡一宮村・馬屋下村・平津村が合併して一宮町が発足。各村は地区(小学区)となる。
  • 1971年(昭和46年)1月8日 一宮町が岡山市に編入される。
  • 1990年平成2年)4月1日 芳賀佐山団地を中心として上芳賀地区および佐山地区が馬屋下・平津の両地区より割譲され新小学区となる桃丘地区(小学区)が発足する。
  • 2009年(平成21年)4月1日 岡山市が政令指定都市に移行し、一宮地区の行政区は北区となる。

人口

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1950年(昭和25年) 8,737人
1955年(昭和30年) 8,887人
1960年(昭和35年) 8,629人
1965年(昭和40年) 8,904人
1970年(昭和45年) 11,620人
総務省統計局 / 国勢調査1970年

出身人物

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脚注

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注釈

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  1. ^ 現在の辛川市場と推定されるが富原遺跡がある北区富原の説もありはっきりと特定されていない

出典

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参考文献

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  • 万朝報社 編『新日本史』 別篇《現代人物篇》、万朝報社、東京、1927年10月26日。doi:10.11501/1264704NCID BN08585537OCLC 1461553216 
  • 岡山県総務部統計課 編『岡山県市町村勢要覧』 昭和44年刊、岡山県統計協会、岡山、1970年10月1日。doi:10.11501/9528441NCID BA43334715OCLC 703790315 
  • 山陽新聞社 編『山陽年鑑』 昭和46年版、山陽新聞社、岡山、1970年10月1日。doi:10.11501/9572432NCID BN03632797OCLC 703818864 
  • 岡山市企画室企画課 編『岡山市と周辺市町村合併の記録』岡山市、岡山、1971年4月30日。doi:10.11501/9773871NCID BN06753652OCLC 672970922 
  • 角川日本地名大辞典編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 33巻《岡山県》、角川書店、東京、1989年7月8日。doi:10.11501/12288356ISBN 978-4-04-001330-5NCID BN00094881OCLC 673246624 

関連項目

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