ロワイヤル橋
パリの橋
ロワイヤル橋(Pont Royal)はフランス、パリのセーヌ川に架かる石造アーチ橋である。ポンヌフ、マリー橋に次いでパリで3番目に古い橋である。
ロワイヤル橋 | |
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基本情報 | |
国 | フランス |
所在地 | パリ |
交差物件 | セーヌ川 |
設計者 施工者 |
ジャック・ガブリエル J.アルドゥアン=マンサール フランソワ・ロラン |
建設 | 1685-1689年 |
座標 | 北緯48度51分39秒 東経2度19分49秒 / 北緯48.86083度 東経2.33028度 |
構造諸元 | |
形式 | アーチ橋 |
材料 | 石 |
全長 | 110m |
幅 | 17 m [1] |
関連項目 | |
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式 |
右岸のフローラのパヴィリオンと左岸のバック通りを結んでいる。この橋は5つの半円アーチからなり、両岸の橋脚にはセーヌ川が大増水したときの水位が記されている。
歴史
編集1550年以来この場所にはテュイルリーの渡しがあった。バック(渡し船)通りの名前の由来である。 1632年、徴税官のバルビエが木製の有料の橋を架けさせたのが最初である。この橋はアンヌ・ドートリッシュにちなんでサンタンヌ(聖アンヌ)橋、またはその色からポン・ルージュ(赤い橋)と呼ばれていた。この橋は古くなったり、火事にあったりして何度か架け替えられている。
1685年から1689年にかけて、ルイ14世が出資し石造アーチ橋が架けられた。そしてロワイヤル橋と名付けられた。設計を担当したのはジャック・ガブリエル、ジュール・アルドゥアン=マンサールとフランソワ・ロランだった。18世紀にはお祭り騒ぎがあると人々は好んでこの橋に集まってきた。
フランス革命期の1792年から1804年の間はナシオナル橋と改名された。続いて1814年まではテュイルリー橋と呼ばれていた。ナポレオンがテュイルリー宮殿を守るために大砲を並べたのはこの橋であった。
交通
編集隣の橋
編集(上流)ポンデザール―カルーゼル橋―ロワイヤル橋―レオポール・セダール・サンゴール橋―コンコルド橋(下流)