ラファエル前派
ラファエル前派(ラファエルぜんぱ、Pre-Raphaelite Brotherhood)は、19世紀の中頃、ヴィクトリア朝のイギリスで活動した美術家・批評家(また時に、彼らは詩も書いた)から成るグループである。19世紀後半の西洋美術において、印象派とならぶ一大運動であった象徴主義美術の先駆と考えられている。
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『魔性のヴィーナス』(ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ、1864年から1868年の間、ラッセル=コーツ美術館)
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『雇われ羊飼い』(ウィリアム・ホルマン・ハント、1851年・マンチェスター市立美術館収蔵)
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『オフィーリア』(ジョン・エヴァレット・ミレイ、1852年、テート・ギャラリー)
概略
編集ロイヤル・アカデミー付属美術学校の学生であったダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ、ウィリアム・ホルマン・ハント、ジョン・エヴァレット・ミレイの3人は、美術学校がラファエロ・サンティの絵画に固執し、それ以外の新しい表現を認めない方針に不満を抱いていた。1848年、3人はラファエル前派(ラファエル前派同盟)を結成し、ラファエロ(英語でラファエル)以前の美術に回帰することになった[1]。
その少し後に4人、すなわちウィリアム・マイケル・ロセッティ(ダンテ・ゲイブリエルの弟、批評家)、ジェームズ・コリンソン(画家)、フレデリック・ジョージ・スティーヴンス(批評家)、トーマス・ウールナー(彫刻家)が加わった。これがラファエル前派のメンバーである。
「ラファエル前派」の原語は Pre-Raphaelite Brotherhood であり、これは本来「ラファエロ以前兄弟団」とでも訳すべきものである。「ラファエル」とはイタリア・ルネサンスの古典主義の完成者であり、その後のアカデミズムにおいて規範とされたラファエロのことを指す。「ラファエロ以前」という言葉には、19世紀のアカデミーにおける古典偏重の美術教育に異を唱える意味があり、彼らはラファエロ以前の芸術、すなわち中世や初期ルネサンスの芸術を範とした(実際には、ラファエロ以後の絵画の影響も非常に大きい)。「兄弟団」とは、元々(宗教的)結社を指すもので、これは日本語の「派」よりも、かなり限定的な意味を持つ言葉である。彼らは、この美的な信条を共にする集団という着想をナザレ派から得た。
ハント、ミレイ、ロセッティらは1849年から、自らの絵画に Pre-Raphaelite Brotherhood の頭文字からなる「P.R.B.」と署名したが、当初、これが何を意味するのか、周囲にはわからなかった。ここにも、彼らの秘密結社性を確認することが出来る。
ラファエル前派のメンバーたちは、機関誌『The Germ』を発行するなどイギリス芸術界を席巻する活動を展開したが、統一した形としての芸術理念の文言化を望まなかった。ラファエル前派活動において秘書的役割を果たしていたロセッティの弟ウィリアムは、後年、結成当時の理念を以下のように整理している[2]。
- 表現すべき本物のアイディアをもつこと
- このアイディアの表現の仕方を学ぶために、自然を注意深く観察すること
- 慣習、自己顕示、決まりきったやり方でみにつけた型を拒絶するために、過去の芸術のなかの率直で、真剣で、誠実なものに共感を寄せること
- 最良の優れた絵や彫刻を制作すること
ミレイは芸術性の違いから、ロセッティとハントはモデルをめぐる私情から、互いに散り散りとなっていくが、この後に、ロセッティを慕ってその下に集まった芸術家たち、すなわちエドワード・バーン=ジョーンズやウィリアム・モリスらを美術史上、ラファエル前派第二世代と考える場合もある[1]。
しかし、単に画風の影響を受けた、あるいは親交があるというだけで、例えば、ジョン・ウィリアム・ウォーターハウスやローレンス・アルマ=タデマやフレデリック・レイトン(いずれもアカデミー側の画家)らのヴィクトリア朝の画家たちを、一纏めにラファエル前派と分類するのは誤りである。
特色と影響
編集ラファエル前派の絵画の特色として、以下のことが挙げられる。まず、主題としては中世の伝説や文学、さらに同時代の文学にも取材している点が新しい。また従来のキリスト教主題を扱うにしても、伝統的な図像を無視する場合が多い。画風は、初期ルネサンスや15世紀の北方美術を真似て、明暗の弱い明るい画面、鮮やかな色彩、そして細密描写に特色がある。
ラファエル前派は自然にとっての真実性を追求することを徹底していた[2]。その作品群には、人物モデルを可能な限り忠実に描いて作品空間に取り込む姿勢が見られる。ラファエル前派の作品に共通する女性像は想像力の産物というよりも、現実のモデルの自然な姿を映したものといえる。自然な姿を忠実に取り込むことに関しては、背景となる風景や事物にも同様の姿勢で貫かれており、室内制作ではなく、野外で自然を観察しながらの制作が行われた。
個々の対象物を細密に描写する反面として、遠近法が無視された構図や、部分が忠実に描かれることによって中心が曖昧となった作品、不自然なアトリビュートの存在など、ラファエル前派の絵画には結果的に絵全体がリアリスティックでなくなってしまう特徴がある[2]。
ラファエル前派に思想的な面で影響を与えたのは、同時代の思想家であり美術批評家であったジョン・ラスキンであった。ラスキンの美術に対する考えは、一言で言えば「自然をありのままに再現すべきだ」ということであった。この思想の根幹には、神の創造物である自然に完全さを見出すというラスキンの信仰がある。しかし、明確な理論をもった芸術運動ではなかったラファエル前派は長続きせず、1853年にミレイがロイヤル・アカデミーの準会員になったことなどをきっかけとして、数年後にはグループは解散した。
ラファエル前派をはじめとする19世紀イギリスの絵画は、明治時代の日本でも「明星」や「スバル(昴)」などの文芸雑誌に紹介されながら、美術家(青木繁、藤島武二など)や文学者(夏目漱石など)にも影響を与えた。例えば、詩人の蒲原有明は、ロセッティの詩を盛んに翻訳して理解を深め、自らの作品にもその詩風を活かした。また、藤島武二の『天平の面影』(1902年)には、ラファエル前派の作品にしばしば描かれる婦人像の投影がみられる。
脚注
編集参考文献
編集- 玉井瞕、川北稔(編)、2005、「芸術家たちの結社」、『結社のイギリス史:クラブから帝国まで』、山川出版社〈結社の世界史〉 ISBN 4634444402
関連項目
編集- 象徴主義
- 世紀末芸術
- 耽美主義(唯美主義)
- ザ・クリック
- ウォルター・ペイター
- クリスティーナ・ロセッティ