ビトム
ポーランドの都市
ビトム(ポーランド語: Bytom [ˈbɨtɔm] ( 音声ファイル)、シレジア語: Bytōm、ドイツ語: Beuthen ボイテン)は、ポーランドの都市。人口は約16万人。
ビトム Bytōm / Bytōń (シレジア語) | |||
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北緯50度23分 東経18度54分 / 北緯50.383度 東経18.900度 | |||
国 | ポーランド | ||
県 | シロンスク県 | ||
郡 | city county | ||
Established | 12世紀 | ||
Town rights | 1254 | ||
政府 | |||
• 市長 | Mariusz Wołosz | ||
面積 | |||
• 都市 | 69.44 km2 | ||
最高標高 | 330 m | ||
最低標高 | 249 m | ||
人口 (2021[1]) | |||
• 都市 | 161,139人 | ||
• 密度 | 2,300人/km2 | ||
• 都市部 | 2,710,397人 | ||
• 都市圏 | 5,294,000人 | ||
等時帯 | UTC+1 (CET) | ||
• 夏時間 | UTC+2 (CEST) | ||
郵便番号 |
41-900–41-936 | ||
市外局番 | +48 32 | ||
カープレート | SY | ||
ウェブサイト | http://www.um.bytom.pl |
地勢・産業
編集カトヴィツェの郊外にある工業都市。かつてはシロンスク地方(シュレジエン地方)の豊富な地下資源に支えられて繁栄を誇ったが、地下資源の枯渇にともない工業も衰退し、高失業率に悩まされている。
歴史
編集13世紀半ばに都市特権を得た。ビトム公国はポーランド王国、ボヘミア王国などの支配を経て、オーストリア・ハプスブルク家の所領となった。この過程で、街のドイツ化が進んでいった。18世紀半ばのオーストリア継承戦争に乗じてプロイセン王国の領土となり、1871年に成立したドイツ帝国の領土となった。ドイツ敗戦後のポツダム会談における決定に基づき、第二次世界大戦後ポーランド領となった。この際、ビトムに居住していた多くのドイツ人が追放され、西方への移住を余儀なくされた。近隣の大都市カトヴィツェと同様、冷戦期には豊富な地下資源に支えられた工業都市であったが、もはや地下資源も枯渇し、新たな産業構造を生み出す必要に迫られている。
スポーツ
編集ポロニア・ビトムが、ビトムを本拠地とするサッカークラブ。2007年に1部昇格を果たした。
友好都市
編集脚注
編集- ^ “Local Data Bank”. Statistics Poland. 2022年6月2日閲覧。 Data for territorial unit 2462011.