スパイ・ゾルゲ』は、2003年6月14日公開の日本映画。実在のスパイリヒャルト・ゾルゲの半生を描いた、全編3時間を越える大作である。

スパイ・ゾルゲ
Spy Sorge
監督 篠田正浩
脚本 篠田正浩
ロバート・マンディ
原作 篠田正浩
出演者 イアン・グレン
本木雅弘
音楽 池辺晋一郎
撮影 鈴木達夫
編集 奥田浩史
製作会社 スパイ・ゾルゲ製作委員会
配給 東宝
公開 日本の旗 2003年6月14日
上映時間 182分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語、英語
興行収入 7.6億円[1]
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概要

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映画監督篠田正浩の十数年にわたる構想を実現させた監督引退作品。HD24Pによる全編デジタル撮影やCGによる大規模な合成などで話題を集めたものの、批評的にも興行的にも成功しなかった。元朝日新聞社員の尾崎秀実が主要な人物として登場することもあり、朝日新聞社が製作に大きく関与している。

篠田は本作製作は『ハムレット』の一節がきっかけであったと述べており、それに例えて戦前・戦中の昭和を「関節が全部外れていった時代」と称している[2]。また製作の動機について、自身が何故太平洋戦争を体験したのかという謎に対する想いも挙げている[2]

最先端のデジタルシネマ撮影技術が大規模で投入された。HD24Pはテープ収録ではなく非圧縮ハードディスクレコーディングで行われ[3]、CG製作においては早稲田大学NTTなどの産学協同体制がとられた。篠田は当時早稲田大学の特命教授を務めており、大学との提携により早稲田大学本庄キャンパス内にあるTAO(通信・放送機構)の本庄情報通信研究開発支援センターを映画で初めて使用している[3]。篠田は本作を引退作とした理由について技術の到達度を挙げている[2]。篠田によると、この作品は日本で初めて撮影から編集まで、フィルムを一切使用せずに制作された映画だという[4]

三宅華子のモデルであった石井花子[注 1]はじめ、登場人物の大部分は映画公開時点で物故者であったが、ヴェケリッチの妻である山崎淑子(2006年死去)は当時存命で、子息である山崎洋(彼も生誕間もない姿で本作に登場する場面がある)とともに試写会に招かれている。ヴェケリッチと淑子が出会う場面で淑子は和装であるが、史実では洋装であった。これに関しては衣装担当の森英恵がそれを知った上で和装にするよう篠田に勧めたという[7]

音楽のメインテーマは、池辺晋一郎の交響曲第6番『個の座標の上で』の冒頭部分をそのまま引用している。本作の予告編及びテレビCMではBGMにフィンランドヘヴィメタルバンドストラトヴァリウスの『Infinity』が使用されていた。

エンドロールの最後に「この映画を武満徹に」の献辞が表示されるように、武満の死を悼んで作られた映画でもある (篠田は自分の映画の音楽の多くを武満に頼んでいた)。実際に、エンドロールの最後にかかる曲は武満徹の「弦楽のためのレクイエム」である。

篠田の監督引退作品ということで、妻の岩下志麻がメイキング監督として自らカメラを回し、後に『わが心の「スパイ・ゾルゲ」〜妻・岩下志麻が見た監督・篠田正浩』として発売された。

ストーリー

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キャスト

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スタッフ

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注釈

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  1. ^ 石井はゾルゲと交際した当時は三宅姓を名乗り(1944年に石井姓に復する)[5]、また最初のゾルゲの回想録(1949年)は「三宅華子」名で刊行している[6]

出典

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  1. ^ 「2003年度 日本映画・外国映画 業界総決算 経営/製作/配給/興行のすべて」『キネマ旬報2004年平成16年)2月下旬号、キネマ旬報社、2004年、160頁。 
  2. ^ a b c 宇宙船106 2003, p. 27, 「監督・篠田正浩インタビュー」
  3. ^ a b 宇宙船106 2003, p. 26
  4. ^ 「時代の証言者」『読売新聞』2012年6月9日
  5. ^ 石井花子『人間ゾルゲ』角川書店<角川文庫>、2003年、pp.43、262
  6. ^ 人間ゾルゲ - 国立国会図書館サーチ
  7. ^ 近藤節夫「ある女性の波乱の生涯」『知研フォーラム』290号、知的生産の技術研究会、2006年

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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