ジミー・ボンナ
アメリカ合衆国の野球選手 (1906-1963)
ジミー・ボンナ(Jimmy Bonna[1], 1906年9月18日[注 1] - 1963年5月10日)は、アメリカ合衆国ルイジアナ州マンスフィールド出身のプロ野球選手(投手)。
ジミー・ボンナ (1936年(昭和11年)10月6日付『國民新聞』) | |
基本情報 | |
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国籍 | アメリカ合衆国ルイジアナ州マンスフィールド |
生年月日 | 1906年9月18日 |
没年月日 | 1963年5月10日(56歳没) |
身長 体重 |
179 cm 69 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1936年秋 |
初出場 | 1936年 |
最終出場 | 1936年 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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メジャーリーグ(MLB)で初の黒人選手として活躍したのはジャッキー・ロビンソンであるが、ロビンソンがMLBに入る11年前に日本プロ野球に所属した初めての黒人選手である。
経歴・人物
編集中学時代から野球をはじめ、中学卒業後は5年間ニグロリーグに所属した。1試合22奪三振を記録したアンダースローからの快速球と打撃では4割以上の通算成績、また投手以外も内野ならどのポジションも守れるとの触込みで、1936年秋に日本の大東京軍へ入団した。
10月8日の初練習では噂に違わぬストレートの威力と制球の良さに捕手としてボールを受けた伊藤勝三選手兼任監督も「現在の職業團の打撃力では一寸打ちこなす事は難しいでせう」[3]と称賛した。10月23日、第2回全日本野球大会初戦となる阪神戦に登板するが、伊賀上良平に満塁本塁打を打たれる[4]など5失点を喫した[5]。4試合に登板するのみに終った投手としては制球に苦しみ精彩を欠いたが、打撃の方では24打数で二塁打1三塁打1を含む11安打で4割5分8厘を記録する好打者振りを披露した。入団から約一か月後、11月18日に退団した[6]。
その後の消息は不明である。
詳細情報
編集年度別投手成績
編集年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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1936秋 | 大東京 | 4 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | -- | -- | .000 | 52 | 9.2 | 12 | 1 | 13 | -- | 1 | 2 | 1 | 0 | 14 | 11 | 9.90 | 2.72 |
通算:1年 | 4 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | -- | -- | .000 | 52 | 9.2 | 12 | 1 | 13 | -- | 1 | 2 | 1 | 0 | 14 | 11 | 9.90 | 2.72 |
年度別打撃成績
編集年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1936秋 | 大東京 | 7 | 26 | 24 | 4 | 11 | 1 | 1 | 0 | 14 | 1 | 1 | -- | 0 | -- | 2 | -- | 0 | 5 | -- | .458 | .500 | .583 | 1.083 |
通算:1年 | 7 | 26 | 24 | 4 | 11 | 1 | 1 | 0 | 14 | 1 | 1 | -- | 0 | -- | 2 | -- | 0 | 5 | -- | .458 | .500 | .583 | 1.083 |
背番号
編集- 20 (1936年秋)
脚注
編集注釈
編集出典
編集参考文献
編集- 川越亮太「メジャーリーグより早く日本プロ野球に黒人選手がいた」コンフィデンシャル『中日スポーツ』2013年12月27日、5版、5面
- 「大東京軍傘下に黒人名投手馳せ參ず」『國民新聞』 - 日付は不明であるが上記『中日スポーツ』記事に縮刷掲載されている。スーツ姿で来日時のボンナの写真付き。國民新聞社は大東京軍の親会社であった。
- 蛭間豊章「日本球界初黒人助っ人契約書、米で競売《特別版》」『蛭間豊章記者のBaseball Inside』2012年1月29日
- 氏田秀男「舌口球<第202回>プロ野球なんでも始め物語(3)」『プロ野球舌口球』2013年1月28日