シャーラスタニ
シャーラスタニ(Shahrastani、1983年 - 2011年)は、第207回ダービーステークス(1986年)に優勝したイギリスの競走馬である。アメリカ産。生産・馬主はアーガー・ハーン4世、調教師はマイケル・スタウト、主戦騎手はウォルター・スウィンバーン。
シャーラスタニ | |
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アーガー・ハーン4世の勝負服 | |
品種 | サラブレッド |
性別 | 牡 |
毛色 | 栗毛 |
生誕 | 1983年3月27日 |
死没 | 2011年12月6日(28歳没) |
父 | ニジンスキー |
母 | Shademah |
母の父 | Thatch |
生国 | アメリカ合衆国 |
生産者 |
グレン・オーク・ファーム テイラー・メイド・ファーム |
馬主 | His Highness The Aga Khan |
調教師 | Michael R.Stoute(イギリス) |
競走成績 | |
生涯成績 | 7戦4勝 |
獲得賞金 |
35万3766ポンド 40万フラン 29万8650アイルランド・ポンド |
全成績は7戦4勝。ダービーでは後方から猛烈に追い込んできたダンシングブレーヴの追撃を半馬身凌ぎ切り、アイリッシュダービーも8馬身差で圧勝した。キングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークス、凱旋門賞はともにダンシングブレーヴの4着に敗れた。
1988年からはアメリカのスリーチムニーズファームで種牡馬となり、父ニジンスキーの後継として期待されたが不発に終わった。1992年からはアイルランドのバリーメニースタッド、1994年からは日本のアロースタッド、2000年以降はアイルランドのクラッシュモアスタッドを経てウォルトンフィールズスタッドで供用されたものの、結局G1勝ち馬を出すことはなかった。ただし、母の父としてはアラムシャー、キャラダックを出している。2011年の種付けシーズン中に種牡馬を引退し、同スタッドで余生を送っていたが、同年12月6日に死亡[1]。
血統表
編集シャーラスタニの血統(ニジンスキー系 / Hyperion 5×5=6.25%) | (血統表の出典) | |||
父 Nijinsky II 1967 鹿毛 |
父の父 Northern Dancer1961 鹿毛 |
Nearctic | Nearco | |
Lady Angela | ||||
Natalma | Native Dancer | |||
Almahmoud | ||||
父の母 Flaming Page1959 鹿毛 |
Bull Page | Bull Lea | ||
Our Page | ||||
Flaring Top | Menow | |||
Flaming Top | ||||
母 Shademah 1978 鹿毛 |
Thatch 1970 鹿毛 |
Forli | Aristophanes | |
Trevisa | ||||
Thong | Nantallah | |||
Rough Shod | ||||
母の母 Shamim1968 栗毛 |
Le Haar | Vieux Manoir | ||
Mince Pie | ||||
Diamond Drop | Charlottesville | |||
Martine F-No.3-o |
外部リンク
編集- 競走馬成績と情報 netkeiba、JBISサーチ、Racing Post