コシャリン
ポーランドの都市
コシャリン(ポーランド語:Koszalin [kɔˈʂalʲin] ( 音声ファイル)、ドイツ語名:ケスリーン(Köslin [kœsˈliːn]))は、ポーランド共和国北西部の西ポモージェ県の都市。1998年までは県都であった。市街から約10km北にバルト海に面する海岸線がある。経済が発達しており、現在では郡から独立している群独立都市となっている。北ドイツ平原に位置し、市街の周りには農地が広がっている。
Koszalin | |||
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Modern buildings in Koszalin | |||
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北緯54度11分 東経16度11分 / 北緯54.183度 東経16.183度 | |||
国 | ポーランド | ||
県 | 西ポモージェ県 | ||
郡 | city county | ||
Established | 11世紀 | ||
Town rights | 1266 | ||
政府 | |||
• 市長 | Piotr Jedliński | ||
面積 | |||
• 合計 | 98.33 km2 | ||
標高 | 32 m | ||
人口 (2021年12月31日) | |||
• 合計 | 104,944人 | ||
• 密度 | 1,100人/km2 | ||
等時帯 | UTC+1 (CET) | ||
• 夏時間 | UTC+2 (CEST) | ||
郵便番号 |
75-900, 75-902, 75-007, 75-016 | ||
市外局番 | +48 94 | ||
カープレート | ZK | ||
ウェブサイト |
www |
歴史
編集宗教改革の間の1534年、ヨハネス・ブーゲンハーゲンの影響により、都市はルター派に属した。
1701年のプロイセン王国の成立後、街はその支配下となった。1718年の火災により大きな損害を受けたが、翌年再建された。第四次対仏大同盟の後、1807年フランス軍に占領された。ナポレオン戦争後、街はフュルステントゥム郡とケスリーン県の首都となった。フュルステントゥム郡は1872年9月1日に解体され、同年12月13日にケスリーン郡と置き換わった。
プロイセン王国による1871年のドイツ統一に際し、街はドイツ帝国の一部となった。1858年から1878年までの間、シュテッティンから街を通ってダンツィヒまで鉄道が敷設された。1890年には軍幼年学校が、クルムからこの街に移ってきた。これは1776年にフリードリヒ2世によって設立されたものである。1920年代のヴァイマル共和政の間、街の表記が"Cöslin"から"Köslin"に変更になった。
1945年のドイツ敗戦後、街はポーランド領となった(回復領)。