エイ (夏)
豷(えい)は、古代中国の人物。姓は妘、或いは猗、氏は寒。寒浞と玄妻の子。同母兄に澆(ぎょう)がいる。
相20年に父である寒浞が有戈国(現在の河南省商丘市睢陽区と新鄭市の間)を滅ぼした後に戈国に封じられた。
相の遺児である少康が伯靡や有仍氏などの夏王朝の遺臣達と挙兵した際、少康の子である予に殺された。
一説には有戈氏は豷の末裔であるという。
なお、『宋書』には、東晋の安帝から禅譲され皇帝となった桓玄を討つ際の檄文に、桓玄と同じように皇帝を蔑ろにした存在として寒浞と豷の名前が見える[注釈 1]。また、『晋書』巻九十八列伝第六十八の賛にも「罪浮浞豷」とあり、王敦・桓玄と寒浞・豷が比較されている[注釈 2]。
脚注
編集- ^ 『宋書』「夫治亂相因,理不常泰,狡焉肆虐,或值聖明。自我大晉,陽九屢構,隆安以來,難結皇室,忠臣碎於虎口,貞良弊於豺狼。逆臣桓玄,陵虐人鬼,阻兵荊郢,肆暴都邑。天未亡難,凶力繁興,踰年之間,遂傾皇祚。主上播越,流幸非所,神器沉淪,七廟毀墜。夏后之罹浞、豷,有漢之遭莽、卓,方之於玄,未足為喻。自玄纂逆,于今歷年,亢旱彌時,民無生氣。加以士庶疲於轉輸,文武困於造築,父子乖離,室家分散,豈唯大東有杼軸之悲,摽梅有傾筐之塈而已哉。仰觀天文,俯察人事,此而能久,孰有可亡。凡在有心,誰不扼腕。裕等所以叩心泣血,不遑啟處者也。是故夕寐宵興,援獎忠烈,潛搆崎嶇,險過履虎。」
- ^ 『晋書』巻九十八列伝第六十八「贊曰:播越江濆,政弱權分。元子悖力,處仲矜勳。跡既陵上,志亦無君。罪浮浞豷,心窺舜禹。樹威外略,稱兵內侮。惟身與嗣,竟罹齊斧。ー