イーラーム州(イーラームしゅう、ペルシア語: استان ایلام‎, ラテン文字転写: Ostān-e Īlām)はイラン州(オスターン)。国土の南西部、イラクとの国境に位置する。州都はイーラーム。面積は19,086km²、管下にイーラーム、メフラーン、デフロラーン、ダッレ・シャフル、シールワーン・チャルダーヴォル、アイヴァーン、アーブダーナーンの各市(シャフル)がある。周囲は南でフーゼスターン州、東にロレスターン州、北にケルマーンシャー州があり、西では425kmにわたってイラクとの国境線を形成する。人口は580,158人(2016年国勢調査)[1]

イーラーム州
استان ایلام
位置
イランにおけるイーラーム(塗りつぶし部)。
統計
州都:
 • 測地系:
イーラーム
 • 北緯33度38分18秒 東経46度25分21秒 / 北緯33.6384度 東経46.4226度 / 33.6384; 46.4226
面積: 20,133 km²
人口(2016年)
 • 人口密度:
580,158人
 • 28.8人/km²
シャフレスターン 7
タイムゾーン: UTC+3:30
主な言語: ロル語
クルド語
ラキー
ペルシア語
ISO 3166-2:IR: IR-05
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地理・気候

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イーラーム州はイランでも温暖な地域にあたるが、北部、北東部の山岳地帯は比較的冷涼である。年間平均降水量は578mm。1996年の最高気温は8月中の38度、最低気温は2月に記録した0.4度である。冬の凍結が見られるのは27日間である。イーラーム州の最高点はザーグロス山脈カビール山脈英語版(Kuh-e Warzarin山)2790m。

イランの他地域同様、住民はクルドアラブロルなどの複数民族からなり、アラブやロルはほとんどが南部に住む。

イーラーム (1967~2005)の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C°F 23.1
(73.6)
21.0
(69.8)
25.0
(77)
30.2
(86.4)
37.5
(99.5)
40.0
(104)
43.0
(109.4)
47.0
(116.6)
40.0
(104)
35.2
(95.4)
32.0
(89.6)
27.5
(81.5)
47.0
(116.6)
平均最高気温 °C°F 9.0
(48.2)
10.2
(50.4)
14.0
(57.2)
19.8
(67.6)
26.3
(79.3)
32.4
(90.3)
35.8
(96.4)
35.3
(95.5)
31.6
(88.9)
24.9
(76.8)
17.1
(62.8)
11.7
(53.1)
22.4
(72.3)
平均最低気温 °C°F −0.3
(31.5)
0.6
(33.1)
3.7
(38.7)
8.6
(47.5)
13.8
(56.8)
18.1
(64.6)
21.2
(70.2)
20.8
(69.4)
17.3
(63.1)
12.3
(54.1)
6.3
(43.3)
1.9
(35.4)
10.4
(50.7)
最低気温記録 °C°F −14
(7)
−15
(5)
−11
(12)
−3
(27)
3.0
(37.4)
7.0
(44.6)
8.0
(46.4)
8.0
(46.4)
7.5
(45.5)
1.9
(35.4)
−6.2
(20.8)
−12
(10)
−15
(5)
降水量 mm (inch) 117.5
(4.626)
103.9
(4.091)
123.1
(4.846)
70.1
(2.76)
26.1
(1.028)
0.5
(0.02)
0.6
(0.024)
0.3
(0.012)
1.1
(0.043)
26.2
(1.031)
80.3
(3.161)
94.8
(3.732)
644.5
(25.374)
平均降水日数 (≥1.0 mm) 9 8 10 7 4 0 0 0 0 3 6 8 55
湿度 66 62 57 49 38 27 25 25 26 38 51 61 44
出典:Iranian Meteorological Organization[2]

歴史

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考古学的には約6000年前からイーラームには人が住んでいたと思われる。史料によるとイーラームはエラムの一地域であった。エラムおよびバビロニアの碑文銘などでは、イーラームは「アラムト」や「アラム」と呼ばれ、「山岳」あるいは「日出ずる国」の意である。その後はハカーマニシュ朝(アカイメネス朝)に属した。州内およびロレスターン州で発掘されるサーサーン朝期の多数の遺跡の存在は、当時のこの地域の重要性を示している。

11世紀後半から13世紀にかけてはクルドによる支配を受けた。

1930年、国土の再区分によりケルマーンシャーの地域の一部となり、その後分州されてイーラーム州となった。イーラームにはさまざまな点で部族社会の名残があるが、1980年代以降、部族的あり方は大幅に変容している。

今日のイーラーム州

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イラン・イラク戦争で大打撃を受け、イラク軍の激しい爆撃により経済的インフラストラクチャーのほとんどが破壊された。イーラームはこれによりイランでも発展の遅れた地域となっている。2003年現在、イーラーム州の失業率は19. 9%に達する。

1990年代後半以降、中央政府は産業発展を期してイーラームに投資をはじめ、日本の援助による石油産業関連施設も建設された。イラン文化遺産協会に174ヵ所が登録される観光セクターも期待されているが、まだ整備は整っていない状況にある。

高等教育機関

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  1. イーラーム医科大学
  2. イーラーム大学
  3. イスラーム自由大学イーラーム

景勝・旧跡

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  • イマームザーデ:中世以来の廟が数多く点在する。イマームザーデ・アリー・サーレフ、イマームザーデ・セイイェド・アーベド、イマームザーデ・セイイェド・アクバル、イマームザーデ・セイイェド・ファフロッディーン、イマームザーデ・セイイェド・ナーセロッディーン、イマームザーデ・イブラーヒーム、イマームザーデ・アッバース、イマームザーデ・アブドッラー、イマームザーデ・ピール・モハンマド、イマームザーデ・バーバー・セイフォッディーン、イマームザーデ・メフディー・サーレフ、イマームザーデ・イブラーヒーム・ゲタール、イマームザーデ・セイイェド・ハサン、イマームザーデ・セイイェド・サラーヘッディーン・モハンマド、イマームザーデ・ハーッジ・バフティヤール、イマームザーデ・ハーッジ・ハーゼル、イマームザーデ・ジャビール
  • ゾロアスター教神殿(総数10):サーサーン朝期からのもの。現在は廃墟。スィヤーフゴル・イーワーン、チャハール・タギー(在ダッレ・シャフル)
  • 城塞(総数90):ガルエ・ワリー(ガージャール朝)、ポシュト・ガルエ・チョウル、ガルエ・パーゲラ・チェキャルブーリー・ガルエ・ファラーハーティー(ガージャール朝)、シヤーグ城塞(在デフロラーン、サーサーン朝)、イスマーイール・ハーン城塞、サーム城塞(アルサケス朝後期)、プール・アシュラーフ城塞、ミール・ゴラーム・ハーシェミー・ガルエ、ポシュト・ガルエ・アーバダーナーン(サーサーン朝)、コンジャーチャーム城塞、シーリーン・ファルハード・イーワーン(在メフラーン、アルサケス朝)、ヘザール・ダル城塞(サーサーン朝)、シェイフ・マーカーン城塞(サーサーン朝)、ゼイナル城塞
  • サーサーン朝期の古橋(総数5)
  • サーサーン朝期など古代からの遺跡(テッペなど。総数224)
  • 古代のレリーフ(総数8)
  • 古代集住地遺跡(総数22)
  • 泉、洞窟、生態保護区(3)、州立公園など

脚注

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  1. ^ Population-and-Households.xlsx”. Iran Data Portal. 2024年5月13日閲覧。
  2. ^ FORM 1: STATION ILAM”. Iranian Meteorological Organization. 2011年11月18日閲覧。

外部リンク

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