アナバー (Anabaa) とはアメリカ合衆国で生産された競走馬であり、引退後はフランスケスネー牧場で繋養されていた種牡馬である。アレック・ヘッド一族を代表する馬で、競走馬時代の馬主ジスライン・ヘッド、管理調教師クリスティアーヌ・ヘッド主戦騎手は息子のフレディ・ヘッドが務めた。

アナバー
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1992年3月13日
死没 2009年7月6日(17歳没)
Danzig
Balbonella
母の父 ゲイメセン
生国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ケンタッキー州
生産者 ゲインズボローファーム
馬主 A.ヘッド夫人
調教師 C.ヘッドシャンティイ
競走成績
生涯成績 13戦8勝(総合)
12戦7勝(フランス)
1戦1勝(イギリス)
獲得賞金 173万9600フラン(フランス)
9万558ポンド(イギリス)
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経歴

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競走馬時代

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1995年(3歳時)7月に競走馬デビュー戦を迎え、デビュー戦は2着だったが、その約4週間後のデビュー2戦目で初勝利を挙げた。その後のレースで1着、4着となり、初のG1競走挑戦となったフォレ賞に出走したが6着という結果に終わった。そして次の準重賞で3着となり2歳戦を終えて休養に入った。

1996年(4歳時)3月に実戦復帰し、準重賞を連勝した。次のサンジョルジュ賞(G3)を制して重賞競走初勝利を挙げると、続くグロシェーヌ賞(G2)も制し、4連勝でイギリスに初遠征して挑んだジュライカップでは、ピヴォタルに次ぐ2番人気に支持されてレースを制し、5連勝でG1競走初勝利を挙げた。さらに帰国後はモーリス・ド・ゲスト賞ミエスクズサンを相手に勝利してG1競走を連勝したが、アベイ・ド・ロンシャン賞キステナに敗れて2着となり連勝は6でストップとなり、このレースを最後に競走馬を引退した。

種牡馬時代

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1997年からケスネー牧場で種牡馬となり、供用初年度の同年よりオーストラリアのウィッデンファームにもシャトルされていた。2007年、2008年と2年連続でフランスのリーディングサイアーとなった。2009年7月6日、疝痛の手術後に発症した急性腹膜炎のため死亡した。

自身は短距離競走で活躍したが、産駒はジョッケクルブ賞を制したアナバーブルーなど中距離でも活躍している。さらに前述のアナバーブルーは種牡馬入りしており後継種牡馬を残している。ゴルディコヴァブリーダーズカップマイル3連覇などヨーロッパ歴代最多のG1 14勝をあげている。シャトル先のオーストラリアで生まれた産駒もG1競走を制す活躍をみせている。日本にも数が少ないが数頭の産駒が輸入されており、2004年にホットテーブルが中央競馬で産駒の初勝利を記録している。また、フランス調教馬のアナマリーが2003年に日本へ遠征し、エリザベス女王杯に出走して8着となっている。

年度別競走成績

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  • 1995年(3歳) 6戦2勝
  • 1996年(4歳) 7戦6勝
    • 1着 サンジョルジュ賞(G3)、グロシェーヌ賞(G2)、ジュライカップ(G1)、モーリス・ド・ゲスト賞(G1)
    • 2着 アベイ・ド・ロンシャン賞
    • 1996年カルティエ賞最優秀短距離馬

おもな産駒

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ブルードメアサイアーとしてのおもな産駒

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血統表

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アナバー血統ダンジグ系Nearco 4×5=9.38%) (血統表の出典)

Danzig
1977 鹿毛
父の父
Northern Dancer
1961 鹿毛
Nearctic Nearco
Lady Angela
Natalma Native Dancer
Almahmoud
父の母
Pas de Nom
1968 黒鹿毛
Admiral's Voyage Crafty Admiral
Olympia Lou
Petitioner Petition
Steady Aim

Balbonella
1984 黒鹿毛
*ゲイメセン
Gay Mecene
1975 黒鹿毛
Vaguely Noble *ヴィエナ
Noble Lassie
Gay Missile Sir Gaylord
Missy Baba
母の母
Bamieres
1978 黒鹿毛
Riverman Never Bend
River Lady
Bergamasque Kashmir
Bergame F-No.1-n

半兄に種牡馬のキーオブラック、半妹にオールウェイズロイヤルがいる。

外部リンク

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