さざれ石(さざれいし、: pebbles)は、小さなの別称[1][2]。漢字では細石細れ石と書く[1][2]

日本

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日本では、古代より小石のことをさざれ石と呼んでいたことが、文献からも確認することができる[3]。8世紀に編纂された日本書紀には「以砂礫(サザレイシもしくはサザレシ)葺檜隈陵上」とあり、同じく8世紀に成立した万葉集でも「佐射礼伊思(サザレイシ)尓古馬乎波佐世弖己許呂伊多美安我毛布伊毛我」や「信濃奈流知具麻能河泊能左射礼思(サザレシ)母伎弥之布美氐婆多麻等比呂波牟」と詠われている[2][3][4]。当時の日本には、巨石はさざれ石が成長して大きくなったとする巨石信仰があり、こういった伝承について柳田国男は、近代でも全国に少なくとも35例あるとしている[5]。10世紀編纂の古今和歌集や11世紀編纂の和漢朗詠集の註釈では、の故事にその由来を求めていて、唐で9世紀に成立した酉陽雑俎にある網にかかった小石を寺に奉納したところ一か年で40斤にも成長したという記事を紹介している[6]。後に日本国国歌の歌詞として採用され「君が代」と呼ばれるようになる歌「わがきみは千世にやちよにさざれいしのいはほとなりてこけのむすまで」を収録した古今和歌集では、その序文で「さゞれいしのいはほとなるよろこびのみぞあるべき」と記しており、巨石信仰が「君が代」一首に因らないことを明らかにしている[7][8]

 
嵯峨天皇像

京都市右京区の「千代の古道」沿いには、「さざれ石山」と呼ばれる標高97mの小山があり、現在は京都市が管理している[9][10]嵯峨天皇は、嵯峨院に行幸する途中にこの地で休んだ際、侍従が眼前の岩塊を指して「君が代」の歌を紹介したところ、嵯峨天皇はその石をさざれ石と呼び、行幸の度に鑑賞したとされる[9]。田井茂実は、近くで銅鐸が出土していることや奈良時代の和歌などから、この地にあるさざれ石が、君が代に詠われているさざれ石であるとしている[11]

水石の世界でもさざれ石と呼ばれる石がある。広島市安佐北区可部町にある真言宗金亀山福王寺には、寺宝として伝わるさざれ石が存在する[12]。このさざれ石は18世紀の博物学者である木内石亭が著した雲根志に紹介されているもので、由来は古く、9世紀に紀伊国の浜辺に光を放つ石が見つかり、京の貴族に献上された[12]。この貴族の末裔は14世紀に安芸国へ左遷され石も同地に移ったが、粗末に扱うと鳴動したり大雨を招いたりしたことから畏怖され同寺に奉納されたとしている[12]。このさざれ石は、文献に残る最古の水石とされている[12]。さざれ石の漢字として11世紀に成立した類聚名義抄などでは碝を当ててい、碝という字には玉のように美しい石という意がある[13]。福王寺の碑文では瑌を当ててい、瑌という字には玉に次いで美しい石という意がある[14]。これは、美しい石をさざれ石と呼んだ例であり、他にも徳川秀忠の「越白根」、足利義政の「九山八海」、鞍馬寺の寺宝「ほてい石」もさざれ石である。

岐阜県は、同県を「君が代」発祥の地だと吹聴している[15] [16][17]。伊吹山を構成する古生界の石灰岩が大小の角礫となり固結した石灰質角礫岩を、同県在住の学識経験のない愛石家が、1961年(昭和36年)に同県春日村の山中で俄かに「発見」し、この石こそ「君が代」にあるさざれ石だとする自説を発表した[18]。この説は、おそらく春日村には惟喬親王の家人が居て、おそらくその家人が石を見て「君が代」を詠み、おそらく惟喬親王に伝わり古今和歌集に掲載されたのであろうという、想像と願望からなるもので、史料は一切ない[18]。しかしこれを以て、1977年(昭和52年)に春日村と岐阜県が相次いでこの石を天然記念物に指定したことから、まことしやかな話となった[1][19]。岐阜県は、この石を「君が代」に詠われたさざれ石だとして、国体にゆかりある先に、知事らの名で積極的に献じている[16][19][20]

ギャラリー

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関連項目

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脚註

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出典

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  1. ^ a b c 「「君が代」歌詞への解説要望多く」『東京新聞』株式会社中日新聞社東京本社、東京、2007年3月19日、5面、全国書誌番号:00061061
  2. ^ a b c 細石”. コトバンク. 株式会社DIGITALIO,株式会社C-POT. 2023年7月29日閲覧。
  3. ^ a b 豊田裕章「(ビンザサラ)の語源について ─郢曲「鬢多々良」の問題を含めて─」『日本伝統音楽研究』第17巻、京都市立芸術大学日本伝統音楽研究センター、2020年12月10日、65-73頁、CRID 1390010292874668800doi:10.15014/00000331ISSN 1347-3689全国書誌番号:010057992023年9月11日閲覧 
  4. ^ 米田文孝「中尾山古墳の発掘調査と今後の課題」『KU-ORCASが開くデジタル化時代の東アジア文化研究』、関西大学アジア・オープン・リサーチセンター、吹田、2022年3月31日、179-190頁、doi:10.32286/00026591 
  5. ^ 宋丹丹「岩石伝説の身体性に関する一考察 ―『日本伝説大系』と『日本の伝説』を中心に―」『総研大文化科学研究』第17号、総合研究大学院大学文化科学研究科 / 葉山町(神奈川県)、2021年3月31日、59-80頁、CRID 1050006198845624448ISSN 1883096X全国書誌番号:010099462023年9月11日閲覧 
  6. ^ 段成式 著、今村与志雄 訳『酉陽雑俎』 4巻、平凡社、東京〈東洋文庫〉、1981年9月、78頁。ISBN 4-582-80401-2NCID BN00269646OCLC 959651067全国書誌番号:81044478 
  7. ^ 土屋北彦「「君が代」考」『大分縣地方史』第32号、大分縣地方史研究會、別府、1964年1月、14-48頁、ISSN 0287-6809NAID 120002740599全国書誌番号:000024402023年7月29日閲覧 
  8. ^ 溝口貞彦「「君が代」考」『二松学舎大学人文論叢』第69巻、二松学舎大学人文学会、2002年10月10日、18-45頁、CRID 1050845762962300544ISSN 02875705全国書誌番号:00018096 
  9. ^ a b 池仁太 (2016年9月10日). “千代の古道”. コトバJapan!. ジャパンナレッジ. 株式会社ネットアドバンス. 2023年7月29日閲覧。
  10. ^ 忘れられた「さざれ石」 江戸時代の京都名所、今は…”. カナロコ. 神奈川新聞. 株式会社神奈川新聞社 (2021年9月17日). 2023年7月29日閲覧。
  11. ^ 京都・宇多野のさざれ石こそ「君が代発祥の元祖」 周知や管理の必要性訴え”. 文化・ライフ. 京都新聞. 株式会社京都新聞社 (2022年12月10日). 2023年12月17日閲覧。
  12. ^ a b c d 村田圭司. “碝石”. コトバンク. 株式会社DIGITALIO,株式会社C-POT. 2023年7月29日閲覧。
  13. ^ 漢字「碝」について”. 漢字辞典オンライン. 株式会社ジテンオン. 2023年7月29日閲覧。
  14. ^ 漢字「瑌」について”. 漢字辞典オンライン. 株式会社ジテンオン. 2023年7月29日閲覧。
  15. ^ さざれ石公園|君が代発祥の地!さざれ石に込められた意味や君が代についてお伝えします
    さざれ石公園|君が代発祥の地!さざれ石に込められた意味や君が代についてお伝えします at the Wayback Machine (archived 2019-08-05)
  16. ^ a b 即位の祝い品に「さざれ石」選定 県と揖斐川町”. 岐阜. 毎日新聞. 株式会社毎日新聞社 (2019年11月1日). 2023年7月29日閲覧。
    即位の祝い品に「さざれ石」選定 県と揖斐川町 at the Wayback Machine (archived 2023-07-29)
  17. ^ 岐阜県農政部農村振興課 編『ぎふ農泊ガイドブック』岐阜県、2019年https://www.pref.gifu.lg.jp/uploaded/attachment/301522.pdf2023年7月31日閲覧 
  18. ^ a b 小林宗一『国歌によまれているさざれ石』(第7版)小林宗一、揖斐、1979年2月11日(原著1962年6月7日)。 
  19. ^ a b 令和4年第8回 定例会【一般質問】”. 揖斐川町議会. 揖斐川町 (2023年1月18日). 2023年7月29日閲覧。
  20. ^ 岐阜・揖斐川町:特産「さざれ石」を安倍首相に贈呈”. 毎日新聞. 株式会社毎日新聞社 (2018年4月16日). 2023年7月29日閲覧。
  21. ^ ラグビー日本代表が「さざれ石」の前で君が代”. 産経新聞. 2023年8月3日閲覧。

参考文献

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