うらる丸(うらるまる)は、かつて大阪商船(現:商船三井)が所有・運航していた貨客船である。日中戦争太平洋戦争の一時期には病院船として使用された。1944年に戦没。

うらる丸
基本情報
船種 貨客船
船籍 大日本帝国の旗 大日本帝国
所有者 大阪商船
運用者 大阪商船
 大日本帝国陸軍
建造所 三菱造船長崎造船所
母港 大阪港/大阪府
信号符字 TSLP→JDBC
IMO番号 34488(※船舶番号)
建造期間 333日
就航期間 5,660日
経歴
起工 1928年5月1日
進水 1928年12月15日
竣工 1929年3月30日
最後 1944年9月27日 被雷沈没
要目
総トン数 6,375トン
純トン数 3,760トン
載貨重量 5,345トン
垂線間長 123.32m
型幅 16.76m
型深さ 10.05m
高さ 29.2m(水面からマスト最上端まで)
11.5m(水面から船橋最上端まで)
18.2m(水面から煙突最上端まで)
ボイラー 石炭専焼缶
主機関 三菱 IMP. D.G.蒸気タービン 2基
推進器 2軸
最大出力 6,658SHP
定格出力 6,500SHP(計画)
最大速力 17.42ノット
航海速力 13.31ノット
旅客定員 一等:65名
二等:130名
三等:583名
計:778名
1941年徴用
高さは米海軍識別表[1]より(フィート表記)
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概要

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大阪商船の阪神~大連航路船として、1929年三菱重工業長崎造船所で竣工。ばいかる丸の拡大改良型で、需要が増大していた大連航路の増強用として建造された。

日中戦争中の1937年~1938年は、日本陸軍に徴用されて病院船となった。

その後は通常航路に戻っていたが、太平洋戦争が勃発すると再び陸軍に徴用されて、主に輸送船として使用された。日本周辺、シンガポールフィリピンラバウルパラオ方面への輸送に従事した。一時は病院船として使用されて、白色船体に赤十字などの識別塗装がされていた。病院船として運用中の1943年4月3日に、アメリカ軍機の爆撃を受け損傷したため、日本側は戦争犯罪であるとして非難した。

1944年9月、輸送船としてシンガポールを出て、ボルネオミリからマニラに向かうミマ11船団に参加。南シナ海を航行中の9月27日にアメリカ潜水艦「フラッシャー」の雷撃を受け沈没した。

脚注

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参考文献

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  • 船舶技術協会『船の科学』1980年7月号 第33巻第7号
  • 海人社『世界の艦船』1995年11月号 No.503
  • 海人社『世界の艦船』1998年10月号 No.543
  • 野間恒『商船三井船隊史 1884-2009』2009年