2009年 03月 02日
身体感覚
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信用取引上に成り立つビジネスで、エビデンスを得て推進するという思考は至極当然だが、デザインプロセスにおいてはどうか。ユーザビリティを推進する立場にあるが、不安視するデザインの保証(評価・調査)を依頼される。私からしてみれば第三者に担保して欲しいという責任転嫁にも似た感覚を覚えてしまう。だってそもそも自分が怪しいと思うのであれば、それはまぎれもないユーザーの声なのだから、さっさと直してしまえばいいのにと思う。
納期・コスト・営業からの複合条件下での妥協案なのだろうが、ここに人間中心設計が必要だとする論旨がある。ただ人間中心設計はあまりに美しく形式化されていて”手法構築論”に目がいきがちだ。ことの本質は”いかにユーザーの声を抽出するか”ではなく、このコンフリクトした状況下(妥協案)において”いかにユーザーの声を生かせるか”なのだ。
さて、話を戻す。デザインプロセスにおいてエビデンス(調査結果・実績)は社内合意形成のため必須だが、これに依存する思考は自分自身の身体感覚力(直感・本能・主観)の抑制に繋がらないかと思う。友人がいう”思考の外在化”がこの状況をうまく言い当てているが、これについてはまだ別のエントリーで。
採用にも携わっているが、事前に評価観点を精査し共有しておいたとしても、最終的には感性があうかどうかだ。そういった意味で採用とは、能力差ではなく、その企業との相性だとともいえる。(ただそもそも一定以上の能力を有している事が前提ね)
結局、人間は理屈で割り切れないように出来ている。そしてこれは生き物に与えられたあらゆる問題を瞬時に回避するための本能機能で、これが人類が生まれて600万年以上の積み重ねで形成されていると考えるならば、そうそう間違った判断はしないのではないだろうかとも思う。理屈は容易にコンフリクトするものだ。ただ、ここでも勘違いして欲しくないのは、だからといって客観事実がいらない訳ではなく、客観事実を十分に獲得した上で、最終的に身体感覚(直感・本能・主観)で決めるということ。ちゃちゃっと決める事が、正しいわけでははない。
身体感覚、大事にしていきましょう。
納期・コスト・営業からの複合条件下での妥協案なのだろうが、ここに人間中心設計が必要だとする論旨がある。ただ人間中心設計はあまりに美しく形式化されていて”手法構築論”に目がいきがちだ。ことの本質は”いかにユーザーの声を抽出するか”ではなく、このコンフリクトした状況下(妥協案)において”いかにユーザーの声を生かせるか”なのだ。
さて、話を戻す。デザインプロセスにおいてエビデンス(調査結果・実績)は社内合意形成のため必須だが、これに依存する思考は自分自身の身体感覚力(直感・本能・主観)の抑制に繋がらないかと思う。友人がいう”思考の外在化”がこの状況をうまく言い当てているが、これについてはまだ別のエントリーで。
採用にも携わっているが、事前に評価観点を精査し共有しておいたとしても、最終的には感性があうかどうかだ。そういった意味で採用とは、能力差ではなく、その企業との相性だとともいえる。(ただそもそも一定以上の能力を有している事が前提ね)
結局、人間は理屈で割り切れないように出来ている。そしてこれは生き物に与えられたあらゆる問題を瞬時に回避するための本能機能で、これが人類が生まれて600万年以上の積み重ねで形成されていると考えるならば、そうそう間違った判断はしないのではないだろうかとも思う。理屈は容易にコンフリクトするものだ。ただ、ここでも勘違いして欲しくないのは、だからといって客観事実がいらない訳ではなく、客観事実を十分に獲得した上で、最終的に身体感覚(直感・本能・主観)で決めるということ。ちゃちゃっと決める事が、正しいわけでははない。
身体感覚、大事にしていきましょう。
by isoamu
| 2009-03-02 09:36
| デザイン全般