これは2004、2005年に以前のブログへ投稿したエントリーを加筆、編集したものです。
「広告に騙された!」というのが映画『2046』鑑賞後の第一印象だった。とはいえ、内容はいつも通りのウォン・カーウァイ流であり、ファンにとって広告は、無用な印象を与える害悪以外、何物でもなかった。おそらく、そうでも宣伝しなければファン以外の観客を呼び込むことが難しかったのだろう。
不思議な近未来では、ミステリー・トレインが動き出して、アンドロイドが恋をする、などと広告は言うのだが、作品は近未来を舞台にしたラブ・ストーリーではない。近未来のエピソードはストーリーのごく一部であり、それは劇中作が映像化されたものだ。主人公の周辺環境を反映した心理描写であり、『2046』そのもののメイン・ストーリーではない。『2046』は『花様年華』の続編であり、舞台は同じく1960年代だ。
映画作りを決めたら、まず撮影を始める。撮りながら作るので、まとまりがない。最初に決めた完成形は存在せず、言うなれば感性で仕上げるのが、いつも通りのウォン・カーウァイ流だ。
クリストファー・ドイルによるカメラ・ワークが、その映像美を支えているのも、いつも通りだった。
ウォン・カーウァイは『欲望の翼』、『恋する惑星』の日本公開、特に後者のヒットで日本でも受け入れられるようになった映画監督だ。『恋する~』はNHK教育で日曜日お昼に放送される『アジア映画劇場』でも取り上げられたことがある。
この作品に触れるまで、いわゆるラブ・ストーリー作品を観ることはなかった。それは、ラブ・ストーリー=メロドラマという個人的偏見、特に次の要素が敬遠させていたからだった。
- ストーリーが恋愛の結末に収斂される、ワン・パターン
- 過剰に恋愛を美化、賛美する
- 独特のベタベタ感
『恋する~』は、そのような偏見を払拭してくれた作品だった。特に次の特性
- その表現のドライさ加減
- 恋愛の成就をストーリーの主軸に置かない
- 訴えるものが何もない割り切り
が何かを振り切ったような爽快感をもたらしてくれた。当然、振り切っているので鑑賞後の印象として心に残るものは、何もない。
『2046』鑑賞後の印象も同様だ。残念ながら、その爽快感を喚起することはなかったのだが、尾を引くような不快感をもたらすわけでもなく、何か「綺麗なもの」を観た、と言う印象だけが残るのだった。どうしても作品として比較してしまうと『花様年華』が、印象だけでなく、映画作品としても格上だ。『2046』とは異なり、この作品には「綺麗なもの」以上に心に残る要素がある。
『花様年華』は『2046』の前日端に相当する。とはいえ、作品上のつながりと言えば、
・トニー・レオン演じる主人号が登場する
・ホテルの部屋、2046号室が登場する
と言ったところで、ストーリーを理解する上で欠かせない要素はない。『花様年華』は成就しないラブ・ストーリーなのだが、いわゆるメロ・ドラマ的なものではない。それは何か覆しがたい妨害や障害によるものではなく、お互いが心を決めず、今一歩を踏み込まない帰結によるものだ。結果として、お互いに未練を残しながら作品は終わる。言うなれば『2046』はこの未練の残照なのだ。
『花様年華』は映像だけでなく、音楽のセンスも良い。60年代のモダンな香港に会うジャズ・バラード、京劇風の曲、そして夢二のテーマなど、世界観によくマッチしている。
特にラジオから流れる「花様的年華」と言う曲が流れるシーンの印象が忘れられない。隣り合う部屋住む男女が、壁を挟んで背中合わせに座っている。カメラは水平に行き来し、男女を交互に映す。ここだけは他の場面と色調、構成が全く異なっている。この作品の主題を一番、視覚的に表現しているシーンであると同時に、お互いが結論を下す重要なシーンだ。この楽曲用のMTV的でもある。
花様年華in the mood for love ― オリジナル・サウンドトラック
- アーティスト: サントラ,郭白英,周旋,ナット・キング・コール,レベッカ・パン,鄭君錦,趙衛平,朱雪琴,傳全香,譚龕培,李紅
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