わたしとドルアーガ ~冒険の思い出~

  • 記事タイトル
    わたしとドルアーガ ~冒険の思い出~
  • 公開日
    2025年01月06日
  • 記事番号
    12342
  • ライター
    IGCCメディア編集部

目次

『ドルアーガの塔』40周年記念企画も、こちらで千秋楽。
そこでゲーム愛好家からライター、ゲーム開発者まで、ラストを飾るのに相応しい20名の皆さまに「ドルアーガの思い出」を存分に語っていただきました。
「200文字以上でしたら何文字でも構いません」とお願いをしたところ……さすがに皆さま、ドルアーガとなると筆が止まらぬご様子で、熱く思い出をたっぷりと語ってくださいました。
この貴重な思い出の数々を、ぜひご堪能ください。

遥か遠い世界の物語

文:Pin@ゆずもデザイン @Pin_XXX ゲーム同人誌サークルゆずもデザイン代表

『ドルアーガの塔』を最初に知ったのは「マイコンBASICマガジン」のスーパーソフトマガジンの記事だった。
ゲームやアニメでにわかに「ファンタジー物」が芽吹きだした時代にバビロニア神話というまったく馴染みのない世界観に驚き、ナイトや魔法使いなど個性的なキャラクターに心踊らされた。

当時私が住んでいたところは田舎なためゲームセンターという商売は存在しなかったが、隣町のジャスコにはナムコ直営のゲームコーナーがあった。そこにはあまねく最新のナムコタイトルが取り揃えられていたのだ。自転車で1時間かけて鬼のような峠道を乗り越え、汗だくになって辿り着いてお目当ての『ドルアーガの塔』を発見! コインいっこいれる。

ボタン長押しという概念をまだその当時持っていなかったため、グリーンスライムの前で剣をぶんぶん振って「攻撃当てにくい!」と苦しむ。FLOOR 3あたりでゲームオーバーとなり思ったのは「これは面白いのか…?」という疑問だった。斬新すぎるシステムがゆえに理解できなかったのだ。

ある程度回数を重ねて「これは宝箱を見つけて進めていくゲームなんだ」と理解したが、如何せん情報がない。情報公開されていたFLOOR 3より先はまったく不明で、偶然出せても何故出たのかはわからない。ゲームの腕前とか反射神経とは違うものを求められたのだ。
しかし「よくわからないけど、未知の経験をしている」という楽しさを味わっていた……が、家族向けのロケとの相性は良くなかったのだろう、『ドルアーガの塔』は早々にジャスコから姿を消した。実際、私以外にプレイしている人を見たことなかったので納得だったが。

「結局なんかよぅわからんゲームやったなぁ」とその時は思っていたが、ファミコン版を手に入れてからは毎日60階登る日が続いたのだった。

その後、東京のゲームセンターではプレイヤーたちが攻略を競い合い、コミュニティノートなどで宝箱の情報共有されていたのだと知る。僻地のゲームコーナーで1人ちまちまと遊んでいた田舎者にとって、それはバビロニア神話並みに遠い遠い物語のように感じられたのだった。

イラスト:Pin@ゆずもデザイン氏

 

ドルアーガというかけがえのない想い出

文:中川剛(ライスだんしゃく) @tyosi0211 ゲームクリエイター/前職ハドソン/コナミ

『ドルアーガの塔』が40周年おめでとうございます。
40年たった今でも人気が衰えない素晴らしいコンテンツだと思います。

私が『ドルアーガの塔』に出会ったのは、1984年の夏でした。
軽快な音と同時にゲームが始まりますが、インストカードには「カギを拾って迷路を突破!!」のみしか情報がなく手探り状態でゲームをプレイするしかなかったんです。
1面でグリーンスライムを3匹倒すと宝箱が出ます。そしてつるはしを手に入れるんですが、まずこの効果がわからない。すぐ壁を壊せるということがわかりますが、使用回数とかわからないので、2回使って消滅させたり、外壁に使って消滅させるということでアイテムの使用方法がようやく理解できます。
そうです。このゲームはトライアンドエラーを繰り返してようやくアイテムの使用方法を学べるという現在のゲームでは味わえない仕様となっていました。
試行錯誤を重ね前に進んでいくのが、このゲームの良いところでもあります。
宝箱の出し方も自分で考えます、出し方が完全にわかったときは嬉しくてしょうがないんです。アイテムにも自分が強くなっていくものしかないと思っていますし、当然全部の面に宝箱が出るものだと思うんですが、そうじゃないところが更に迷わせるゲームでした。
更に15階クオックスが初登場時のBGMや57FイシターのBGMはかなり感動的なBGMでした。その後リリースされた『イシターの復活』でアレンジ版を聞いた時かなり感動したものです。
また、このゲームを通して一人でプレイすることに限界を感じ、色んなゲーセンを巡って情報共有した想い出もあります。
話しかけるのが苦手な私でも、共通の話題があればなんとかなるんです。それが『ドルアーガの塔』でした。偉大な名作としてこれからも多くの人にプレイしてもらいたい作品です。

 

あのときもっと遊んでおきたかったドルアーガ

文:松井ムネタツ @MUNETATSU 元ゲーメスト編集部員/元ファミ通Xbox編集長

『ドルアーガの塔』との出会いは高校2年のとき。初プレイ時はどうも勝手がわからなかったので、すぐ連続でもう1回遊ぶつもりが、背後にいた大学生風のお兄さんにメチャ睨まれているのがわかってすぐ席を立った。このお兄さんはどんなふうに遊ぶのか、ちょっと見ておこう……とそのプレイを凝視してたら、「おい、何見てんだよ」と凄まれた。あまりの怖さにそのゲーセンには行くことがなくなってしまい、以降はトラウマで『ドルアーガの塔』もあまり遊ぶことができず。今思えばもったいないことしたなあとつくづく思う。

 

ドルアーガの塔の思い出

文:海道賢仁(ぱぱら快刀) @kenji_kaido ゲームデザイナー/スイレーメロンゲーム設計事務所代表

『ドルアーガの塔』、40周年おめでとうございます!
ついに40年、そして60まであと20!
私は『ドルアーガの塔』をそんなに遊んではいませんでしたが、常連のゲーセン仲間がよくプレイしていて、宝箱の出し方を「ああだこうだ」と検証しながら繰り返し遊んでいたのをよく覚えています。
当時は各フロアの攻略法を自分のノートに書き込んで、それを持ち歩いてプレイしてた人がほとんどだったのですが、その友人は情報漏洩を防ぐために、ノートなしですべてのフロア攻略情報を頭に入れてプレイしていたのが本当にすごいと思いました(現代のドルアーガプレイヤーであれば普通のことですが)。
私はと言えば、ドット絵のキャラクタービジュアルに強く惹かれていて、特にスライムが大のお気に入りでした。そのスライムをモデルにしたキャラクターで四コマ漫画を描き、仲間たちと作っていたゲーム同人誌のコーナーで連載したりして、そんな感じで楽しんでました。
『ドルアーガの塔』は、全国の猛者たちが攻略情報を交換したり、また逆に門外不出として隠したり、ゲーム外での情報戦が繰り広げられるマルチプレイってのがその本質でした。現代では得がたいプレイ体験だったのではないでしょうか。
これからもずっと、その思い出を未来に語り継いでいきたいと思います!

 

『ドルアーガの塔』40周年に寄せて

文:NIN(西谷亮) @nin_arika 株式会社アリカ代表取締役社長

まずは『ドルアーガの塔』40周年おめでとうございます!
とっても楽しかったこのゲーム、もう40年も経っているとはいくら何でも凄すぎますね。
最初にプレイしたのは新宿の一番街キャロットでロケテストをしていた時ですね。
プレイヤーのギルがどんどん成長していく、装備が変わっていく、アイテムを集めていく!
この感覚を初めて味わいすぐに魅了されていきました。

実際に発売されてからやりこんでみると、操作のシンプルさに驚きました。
4方向レバーとボタン1つだけですからね。
そしてこの要素だけで敵を倒す、呪文を盾で受ける、など今でも十分に面白いゲーム性を生み出してますもんね。
また、本ゲームのメイン要素とも言える宝箱の出現方法も、本当によくこれだけの要素であんなにも多彩な遊びを生み出したと感心したものです。

※ちなみにロケテストの時は足が速くなるジェットブーツの出現が4面でえらく苦労しましたw

思い出をいくつか。

・宝箱の出し方は重要でした。
当然このころはインターネットなどはなく、現代とは情報の価値が桁違いに高かったです。
このゲームに限らずに、「いかにたくさんの情報をもっているか」がゲーム攻略の要といっていいくらいの時代でした。
まだ家庭用のビデオデッキがあまり普及していない時代に録画しながらとりあえずプレイし、宝箱が出現したら巻き戻して、なぜ出現したかを解析するという手法があったらしいですが、お金持ちすぎてうらやましかったです。

・インストラクションカードに書いてあったこと。
剣と盾の使い方、あとは鍵を取って次のフロアに進めとしか書いてないんですよねw
宝箱出さないと先に進めなくなるのにw
冷静に考えるとかなり理不尽なのですが、当時はなぜか受け入れてプレイしていましたね。
むしろ、ゲーマーに対する挑戦状的な受け取り方をしていたのかもしれません。
まぁでもストⅡはじめ、対戦格闘のインストにもキャンセル技とかコンボとか書いてないもんなぁ。

・グラフィックとBGM。
黄金の騎士であるギルがだんだん青に染まっていく感じとか、剣を振るモーションなどとてもよくできていて好きでした。
ローパーの気持ち悪さ、スライムのプルっとした質感なんかも驚いたものです。
いくつかあるBGMも素晴らしく、特に最初のBGMが何かこう、「勇気をもって塔を突き進んでいく感」が凄いんですよね。
今聴いても名曲ですね!

最後にチップスをいくつか(間違っていたらすみませんw)。

・宝箱の出現位置はそのフロアでギルが最初にいた地点。

・呪文を飛ばしてくるスライムは一度飛ばすとしばらく(3~4秒?)は飛ばさない。

・マトックの使用回数は宝箱を取るとリセットされる。ゆえに、カッパー、シルバーとも最低2回は使える。

・ソーサラーが撃つ呪文は迷路の壁がないところで炎に変化する。また、この炎の持続時間はギルが接近して剣を振ることで短縮できる。

・ギル、扉、鍵、敵など、一部の例外を除くキャラクターの初期配置は斜めに配置される(時計で言うと1:30の方向)。フロアは2画面ほどの広さがあるが、初期に見えていない隣の画面(?)でも法則は同じ。なので鍵などの固定物の位置はある程度の予想ができる。また、偽の扉(29面)や宝箱(45面)はこの法則には当てはまらないので見分けがつく。

・偽の扉(29面)や宝箱(45面)は剣を出したりして少し重なってみると表示の優先順位が上になるので見分けがつく(浮いて見える)。

・3面の宝箱はポーションオブヒーリング。これはブルーナイトを倒すと出現するが、2人いるうち先に表示された方を倒すと出現する。

・青いウィスプは左壁にそって動く、赤は右。ナイト系は右壁にそって動く。ただし、ナイト系はギルとX、Y軸が合うとまっすぐに向かってこようとする。この性質を使うと重なっているナイトを引きはがせる。

 

カイのガレージキット

文:櫛田理子 元『ログイン』足軽(バイト)

関連本やグッズなど、コレクションに夢中になった思い出があります。ボードゲームやゲームブック、トレジャーボックス(文具セット)などを集めて満足していましたが、中でも自慢だったのが、非売品のカイのフィギュア。確か『カイの冒険』の発売に合わせて、月刊「NG」が企画した読者プレゼントで、篠崎雄一郎さん自らが原型を手がけたものだったハズです。当時はアニメやゲームキャラのガレージキットが流行りだした頃で、そちらにも興味が向いていた私にはなおさら嬉しかった! ちなみに、フィギュアのカイは『ドルアーガの塔』の2頭身? 3頭身?の姿につき、いわゆる“美少女フィギュア”ではありませんでしたので、あしからず!? 最後になりましたが、40周年おめでとうございます!!

 

遠く果てしない60階までの道程

文:グリーンスライムは最弱の代名詞 80年代のゲームライフを過ごしたさすらいの還暦レトロゲーマー

私がたまたま出張で東京に居たタイミングで『ドルアーガの塔』のロケテが新宿のCARROTで行われていて、開発者の遠藤さんも来られていた。初見の感想としては「インストカードを見てもゲーム画面を見ても鍵を拾ってドアへ向かうことしかわからず。ただ、何かしらのタイミングで宝箱が出て、アイテムが画面下段に並ぶ。これらのアイテムの効力がすぐにわかる物と、そうでない物もある。ノーヒントというスパルタすぎる難易度でかなり路頭に迷った」といったところだった。

しかしながら、プレイすればするほどなぜかどんどんハマってゆく。まるで噛めば噛むほど味の出るスルメのような不思議な魅力がある。ノーヒントで宝箱の出現方法を見つけ出し、更にはアイテムにどのような効力があるのかを理解するまでにかなりの時間とお金を要した。当時のゲーム仲間数名と協力をして少しずつ、遠藤氏が仕掛けた謎解きを地道にコツコツと進めていった。

ゲームを始めた当初はまったく先が見えなかったが、数か月もの時間とお金を費やして59階まで辿り着いた。しかし、遠藤氏の仕掛けたワナは実に非情だった。「YOU ZAPPED TO…」の表示と共に、いくつかのアイテムが強制的に没収されてかなり下の階までイッキに転落してしまった。この仕掛けにはゲーム仲間の誰もが思わずフリーズしたが、ここで手を引いてしまうとこれまでの気が遠くなるほどの労力が水の泡となってしまう。

ところで余談だが、いつものように地元のCARROTで『ドルアーガの塔』プレイしていたところ、視界に入る位置にサラリーマン風の男性から熱い視線を注がれていることにふと気が付いた。プレイが終わるとその男性が近づいて来て私に話し掛けてきた。その男性の正体は、実は当時のNAMCO関西事業所の社員さんだったのだ。話によると、社員さんですら解法はまったく知らされておらず、とても困っておられたそう。

その後も根気強く試行錯誤を繰り返して60階まで到達し、クリスタルロッドを順番に立てて念願のゲームクリアをやっとの思いで叶えられた。振り返ってみれば、余裕で『ドルアーガの塔』の基盤を買えるほど100円玉を突っ込んでいたことに我ながら驚いた。

後に前述の社員さんから「ぜひとも全面クリアしたところを見せてほしい」というリクエストがあり、江坂にあった関西事業所まで出向いてデモプレイをして、全面クリアをお見せして大拍手が巻き起こったことが今でも強く記憶に残っている。この副産物がきっかけとなり、NAMCO関西事業所の方との交流も始まった。

これまでに各メーカーのいろんなジャンルのゲームをプレイして来たが、ひとつのゲームでここまで熱く、たとえ時間やお金をかけてでも粘り強く全面クリアまで徹底的にプレイしたのは、後にも先にもこの『ドルアーガの塔』だけだったように思う。

「In Another Time In Another World…」 同ゲームのPVで流れていたこの言葉が今でもたまに脳裏をかすめることがある。

 

ゲームはナムコ♪を何度も聴いていた頃

文:オヤマン @oyaman ゲームクリエイター

中学3年の夏ごろから地元のゲーセンに入荷し始めたと思います。
パソコン系の情報誌に攻略が掲載される前に、校区外のゲーセンをチャリンコでハシゴして、小学生の子に読んだジャンプをあげて宝箱の出し方を教えてもらったこともあったり、紙に宝箱の出し方を書いて60面をクリアしました。

31面の宝箱はまわりから見てわからないように膝で1Pボタンを押したり、ナイトを倒してエクステンドするとナイトがすぐ消えずに剣に刺さったまま移動できたり(シルバーナイトでやると銀騎士スペシャルだ!と言ってたような?)、わざとザップして長時間遊ぶとか、60面をクリアした後もしばらく遊んでいました。

当時のゲーセンのゲームは、スコアよりも何面までクリアした、100万点とかキリの良いスコアまで行けたとか、お小遣いで遊んでいたので1コインで何時間ねばれるか気にしていたと思います。ドルアーガの塔は宝箱の出し方さえわかればアクションゲームとしては難易度がそれほど高くなかったので時間潰しにはもってこいでした。

ドルアーガの塔を通じてあちこちのゲーセン友だちが増えて、今でもたまに地元に帰るとゲーセンに毎日通ってた頃が懐かしいよねと昔話になります。

しばらくして地元ゲーセンにドラゴンが描いてあるファンタジーなポスターが貼られ、続編か?と思ってたら『ドラゴンバスター』でした。

 

私とドルアーガの因縁

文:市原雄亮(イチハラ指揮者) @dirigent_lyo / @185usk 指揮者、新日本BGMフィルハーモニー管弦楽団代表

私とドルアーガの出会いは新潟に住んでいた幼少期だった。

私は上越市の高田というところに住んでおり、高田から10kmほど離れた直江津に、年上の親戚のたけちゃんが住んでいた。当時、親戚付き合いが割と多かったのか、しょっちゅう遊びに行っていた記憶がある。
たけちゃんの家にはゲームがたくさんあった。私は誕生日とクリスマスにしかゲームソフトを買ってもらえなかった(と思う)ので、とても羨ましかった。そして、遊びに行ってもたけちゃん自身は不在の日が多かった。そんな時、私は自分が持ってないソフトを自由に遊ばせてもらったのだ。
その時に遊んだソフトの一つが『ドルアーガの塔』である。だから、アーケード版ではなくファミコン版だ。
色々なところで公言しているが、私はアーケード世代から少し外れていて、ファミコン世代である。なので、「ドルアーガ」はファミコンのゲームだとずっと思い込んでいて、もっと大きくなってからアーケードで一世を風靡した偉大なゲームであることを知ることになる。

たけちゃんの部屋の、ゲームが大量に並べられている棚で「ドルアーガ」のカセットを見つけた。カセットに描かれている絵柄は楽しそうに見えた。

どんなゲームなんだろう。

そう思いながらカセットを差し込み、スイッチを入れた。一発でついた。ラッキーだ。無音のタイトル画面でしばらく待つ。何やらアルファベットが大量に表示されたが、まったく読めない。何一つ読めない。多分英語だろう。そう思った。スタートボタンを押すと、勇ましいファンファーレの後、1面が始まった。
いきなり迷路のようなところに放り出された。何をすればいいのかさっぱりわからない。周りには緑色のキャラがいる。たまにふるふると震えて移動する様は気持ちが悪かった。今でこそスライムと知っているが、可愛いなどとは到底思えなかった。これは敵だ。こんなのに触ってはいけない。私の直感がそう告げたので避けることにした。
緑色の敵を避けつつ迷路を歩き回っても何も起こらない。一体何をどうしたら先に進めるのか。

Aボタンを押してみると、ギャリッ、ドヒュッという音がして、棒状のものが操作キャラの前方に出るが、何も起こらない。これは何が起こっているんだろう。Bボタンを押しても何も起こらない。スタートはポーズ。セレクトは何も起こらない。手詰まりだ。「Aボタンを押しっぱなしにする」という操作は思いつきもしなかった。
そうこうしているうちに、制限時間らしき数字がどんどん減っていく。焦った私は緑色の気持ち悪いやつに体当たりすることにした。ピロッ、ペボペボペボ。あっけなく死んだ。なんでこんなやつに。

当時のゲームはグラフィックの情報量が少ない分、想像力の入り込む余地が多くあったように思う。緑色の気持ち悪いやつにぶつかって、あるいは食われて、あるいは溶かされて死んだという想像は、小さな私を恐怖させるには充分だった。怖すぎる。もう無理だ。
そうしてファミコンのスイッチを切って、カセットを元あったところにしまった。

以上が私と「ドルアーガ」の邂逅である。
自分の記憶力にいささか驚いているが、こうして思い出してみると最悪の出会いだ。とにかく意味不明の怖いゲームという印象しかないまま、その後「ドルアーガ」に触れることなく成長していった。ただし、音楽は記憶に残っており、それから長い長い年月を経て、「ドルアーガ」の生みの親と知り合い、オーケストラで、それも作曲者を前にして「ドルアーガ」を演奏することになるのだが、それはまた別の話。

さて、最悪の出会いの後の「ドルアーガ」との付き合いだが、次は1996年にプレイステーションでリリースされた『ナムコミュージアム Vol.3』でアーケード版をプレイした。よしクリアしてやろうと思ったのは、アイテム一覧の付録がついていたからだと思う。付録を熟読し、絶望した。こんなもの幼少期の私に理解できるはずがない。ふざけるのも大概にしろ。そう心の中で悪態をついたというのは決して大袈裟な表現ではない。

その次にプレイしたのは、2003年にゲームキューブでリリースされた『バテン・カイトス 終わらない翼と失われた海』の予約特典でついてきた、ファミコン版の移植作である。
この時、既に『「ナムコミュージアム Vol.3』は手元になかったので、攻略法がまったくわからなくなっていた。たかだか一度や二度クリアしただけで、あんなもの覚えているはずがない。しかし、その時の私には強い味方がいた。そう、インターネットである。当時はまだ個人の良質な攻略サイトが沢山あった時代だ。「ドルアーガの塔 ファミコン 攻略」で検索し、見事60階を踏破した。ファミコン版に恐怖を感じた幼少期のトラウマが払拭された瞬間だった。過去は乗り越えるためにある。

「ドルアーガ」は仕組みと攻略法がわかれば、恐らく誰でもクリアできるゲームだろう。それがまったくわからないからこそ、当時のアーケードゲーマーたちはなにくそと躍起になってクリアを目指し、熱狂したのだろう。インターネットが存在しない時代であるが故の情報伝播の遅さ、ローカルな繋がりによる真偽不明な情報の拡散。リアルタイムで経験した人はさぞ楽しかっただろうと思う。その熱を体験できなかったのが悔しい限りだ。
あまりの難易度に、解法を記した攻略本が刊行され、「ゲームの攻略本」というジャンルの先駆けになったと聞く。それくらいのエポックメイキング的なソフトだったことは間違いないだろう。

そんな「ドルアーガ」の2年後にリリースされたソフトに、同じく理不尽な難易度で、クリア不可能とまで言われた『たけしの挑戦状』がある。
『ドルアーガの塔』は『たけしの挑戦状』に先駆けて、当時のゲーマーたちに突きつけた「遠藤の挑戦状」と言えるのではないだろうか。その挑戦を受け、影響された人々がゲーム業界を志したり、はたまた別の分野にその影響を持ち込んだりしたのであろうと想いを馳せると、まこと偉大なゲームであると思わざるを得ない。
といったところで、長い割に中身のない文章を終わりとさせていただきたい。

『ドルアーガの塔』40周年、まことにおめでとうございます。

 

ドルアーガな毎日

文:高岡義晴 @freeman_HAL プログラマー/ゲームクリエイター

ドルアーガの塔40周年おめでとうございます。

今回は自分とドルアーガとのストーリーを書かせて頂こうかと思います。

ドルアーガと言えば、初めてゲーセンで見かけた時はプレイデモもなくストーリーも英語でしたので、子どもの自分にとっては内容不明で正直コインを入れる勇気が中々湧かないゲームでした。

しかしながら、ゲーセン内に貼ってあったポスターがとても魅力的で気になる存在でしたので、他のプレイヤーのプレイを何度も立ち見して何となくプレイを覚えていました。

その際に聞こえてくる重厚感なサウンドに凄くドキドキさせられたのを鮮明に覚えています。
RPG的なグラフィックや謎要素も個人的にはとても魅力的でした。
取得装備で見た目が変わるのもとても斬新でした!!

意を決して初プレイした時は10面ぐらいまでのギミックや宝の出し方は何となく知っている状態でした。
※この時はまさか60面まであるなんて露知らず(笑)。

この日からメモ帳片手に宝箱出現条件を探す旅が始まりました。
中学生には1プレイ100円は中々に厳しいので、他人のプレイもベガ立ちしながガン見して、宝が出たらメモ。
そんな毎日を過ごしていました。

そんなある日、手書きの宝箱情報がゲーセンに配備されました!!
どうやら他のプレイヤーが作ってくれたようで、即行でノートに書き写し、まだ途中だった自分のメモと答え合わせをしました。しかしその情報もまだ確実ではなく、自分のメモと不一致な部分もチラホラ。実際にプレイしてみても宝が出たり出なかったり。

もしやと思い他のゲーセンをまわってみたところ、ゲーセン交流ノート(?)で攻略をしている店舗が複数ありました。
それまではあまり交流ノートが目立っていた感じはしなかったのですが、ユーザー同士がドルアーガネタで盛んに交流がされていたのです。

ゲーセン周回をしてドルアーガの新しい情報があるとメモを取る。ある程度固まったらプレイ。
そんなルーティンが確立しました(笑)。記憶では夏頃にプレイをし始めて初クリアは秋頃。
ワンコインクリアが出来るようになったのは冬ぐらいだった気がします(フロア42とフロア44次第)。
剣を出していても盾方向を瞬時に対応できる子どもの反射神経は凄かったです(もう無理)。

そして最後の答え合わせは、1985年2月に発売されたベーマガ付録のスーパーソフトマガジンでのドルアーガ特集。
雑誌媒体では初出でしたので本当にとてもワクワクさせて頂きました!!

このようにドルアーガには半年ほどガッツリと楽しませて頂きまして、自分の中の大好きなゲームとして今もリスペクトしまくっています。

時は進み、大人になって自分にもゲームが作れる技術がついたので、スマイルブーム社の『プチコン4』(Nintendo Switch)にて、好奇心で自動生成マップを再現し、その勢いで『ドルアーガの塔』オマージュの自作ゲームまで作ってしまったほどです(TOD愛とROI愛をふんだんに詰め込みました!)。

自分にとってドルアーガの塔は人生の一部と言ってもよい存在です。
大大大ファンです。

 

ドルアーガの頃(a fantasic moment)

文:なるお @syntaxerrors72 「Nichibutsu Shooting Sound Box」監修等

『ドルアーガの塔』との最初の出会いは、友だちが貸してくれたファミコン版でした。発売からさほど時間は経っていなかったと思います。

説明書や攻略本(ドルアーガの塔のすべてがわかる本)もセットで借りたので、一気にエンディングまでクリアできましたが、これらがなければ「剣を出したまますれ違う」という今では当たり前に受け入れているドルアーガのお作法に気づけたかすら怪しいです。これまでのゲームの歴史の中でも、結構独特な攻撃方法ですよね。

宝箱の出し方という答えを見ながらのプレイではありましたが、それでも単なる作業にならず、アクションゲームとしてとてもおもしろかったです。剣を出すと盾の方向が変わるとか、すごいよなあ……。

そしてしばらくして、カセットテープ版の「ザ・リターン・オブ・ビデオ・ゲーム・ミュージック」を通っていたスイミングスクールで一緒だった子が貸してくれたんです。ちょっとおしゃれなスライド式のケースに入ったやつ。このサントラはレコード、CD、音源ファイルと視聴環境を行き来しながら、数え切れないほど聴いています。さらに「オールアバウトナムコ」に掲載されていた譜面とにらめっこで、PC-6001mkⅡSRに「音数が足りなーい」「あの音色が再現できなーい」なんて試行錯誤しながら、MMLで入力して遊んでました。この本で譜面の読み方を覚えた同志も多いのではないでしょうか。

アーケード版の実物に対面したのは、その後の話です。長いこと本の中でしか見たことのなかったそれは、西友町田店の屋上プレイランドにずらりと並んでいた、テーカンのラバ筐体の中のひとつでした。

自宅のテレビとは異なるRGBモニター縦画面というだけでも特別感があるのに、そこに表示される豪華なタイトルロゴ、ファミコンには出せないくすんだ色彩、筐体から響く重厚な音を前にして、「本物だ……!」と静かにテンションが爆上がりしたのを覚えています。当時のナムコゲームには、タイトル画面やスコア表示周りを中心に、共通した様式美、格調の高さのようなものを子どもながらに感じていたのでなおさらです。

アーケード版をプレイしていちばん印象に残っている記憶は、「クレジット音、3回鳴らないんだ!」ですね。「たーんたらら たーんたらら たーんたららたーん!じゃないんだ!」です。これは前述の「ザ・リターン・オブ~」を聴き込んだ後にアーケード版に出会った人あるあるではないかと(笑)。

40年も心に残る作品を残してくださりありがとうございます。
そして、PCエンジン版の復刻もぜひお願いします! めっちゃ遊びやすくて面白いので!

 

『ドルアーガの塔』があった時代

文:おにたま @onionsoftware ゲーム開発と歴史などを研究/オニオンソフトウェア代表

『ドルアーガの塔』40周年おめでとうございます。後に続く偉大なシリーズの始まりであり、アーケードゲームの新しい境地を切り拓いた作品であると思います。
『ゼビウス』が投げかけたゲーム内の「謎」は、当時のアーケードファンを大いに熱狂させ、ゲームの攻略が盛り上がる契機になりました。その「謎」だけを集めて築き上げられたのが、この作品だと感じています。
アーケードでエンディングという存在が珍しかった時代に、60階まである本気の「謎」とアクション、サウンドを作り上げたのは本当に素晴らしいことだと思います。当時のナムコが作るゲームは、先の面までしっかりと作られていて、上達すれば必ずそれに応えてくれるという暗黙の認識がありました。そうしたプレイヤーとの信頼関係が、多くの人々を突き動かし、感動へと導いていったのだと思っています。
これからも偉大な作品として語り継がれることを願っています。本当にありがとうございました。

 

ぼっちゲーマーの『ドルアーガの塔』の想い出

文:鶴見六百(氷水芋吉) @tsurumy 元Beepライター。現在はゲーム翻訳者。

僕は大学進学のために上京したての若造で、地下鉄東西線の早稲田駅にほど近い下宿に住んでいた。雑誌社でのアルバイトを始めたばかりでお金もロクに持っておらず、もっぱら近場のゲーセンを巡っては、100円ゲーセンの最新台で「目の保養」をしてから、50円ゲーセンでちょい古めの台を遊ぶ、というのが常だった。

僕はゲーム好きではあったけれど、今でいう「エンジョイ勢」にすぎず、ハイスコアアタックの世界に飛び込むほどの腕はなく、当時のゲーセンのコミュニティからも距離を置いていた。というか、ゲーセンコミュニティが怖かった。最新台の回りに集って、ノートを回し読み・回し書きしている集団。自分と同世代か、少し若め。高校生らしき人間も多かった。そして誰も彼もがめちゃめちゃ上手い(ように見えた)。

ドルアーガを初めて見たのは、徒歩圏内のゲーセン、たぶん高田馬場か新宿だったと思う。

見たというより「存在を確認した」レベルだった。画面はチラっと見えたけれど、誰かがプレイを始めると、その仲間がテーブルを囲んで、遊んでいる画面はまったく見えない(照明反射防止の段ボールもあった)。そして、いつまで経ってもゲームオーバーにならないし、なったとしても次の仲間に交代する。そしてその集団がテーブルから離れると、また別の集団が台を囲む。

都会、怖え。

いま思えば、ちょっと勇気を出してその集団に声をかければよかったのだろう。コミュニティに飛び込めばよかったのだろう。そうすれば、プレイする順番も回ってきただろうし、情報も手に入ったのだろう。でも当時の僕にはそんなコミュ力はなかったのだ。

ドルアーガを初めてプレイしたのは、深夜のゲーセンだった。まだ風営法「昭和59年の大改正」以前だったので、24時間営業のゲーセンも多かった。それも田舎者の僕には驚きだったのだけれど。

ひと気の少ないゲーセンに一人で入り、無料ドリンクを飲みながら(そういうサービスがあったのだ)、誰に急かされるでもなくドルアーガにコインを入れる。50円プレイに慣れた身には、100円はちょっとお高く感じられたけれど、まあ仕方あるまい。

さあ、ゲームスタート。

…?

…?

…よくわからねえwww

よくわからないまま、5階でゲームオーバー。どうすれば宝箱が出るのかがわからず、宝箱を探している間にミスるかタイムアップになってしまう。なるほど、攻略方法がわからないと先に進めないし、だからこそ、ドルアーガの周りにはあれほど人が集ってコミュニティを作っていたのか。情報を共有するために。

だとすれば、これは「ぼっち」の僕にできるゲームじゃないな。

そう気づいた僕は、これ以上のプレイを諦めて、とぼとぼと徒歩で帰路についたのだった。アーケード版のドルアーガは、それ以来、二度とやっていない。

――これが、掛け値なしの「ドルアーガの想い出」。その直後にゲーム雑誌のアルバイトを始め、ゲーセンコミュニティにどっぷりの人間とも知り合ったので、彼らから色々な情報を得られるようになったのだけれど、ドルアーガはちょうどその端境期のゲームで、いまだに当時の「一人ぼっち」の苦い記憶を呼び起こす。

あの時、ちょっと勇気を出して。
あの集団に声をかければよかったのかな。

 

上から?横から?『ドルアーガ』の嘘

文:HED.HOJO @HEDabsymbel レトロゲームニュースブログ「レ・ゲーム新聞」管理人

2024年から2026年あたりは数多くの「名作」が「40周年」を迎えますよね。1984年から1986年というとアーケードも家庭用も黄金期と言っても過言ではない時代ではなかったかと。

そんな中でひときわ異彩を放っていた(?)のが『ドルアーガの塔』ですよね。私自身はファミコン版から入ったのですが、まず面白いなと思ったのはその画面なんですね。
迷路状になっている塔内部のステージが平面で描かれているのですが、キャラクター自体は横から見た絵。普通に考えたらキャラクターは上から見た絵になるはずなのですが、横から見た絵でまったく違和感がなかった。それは昔のゲームならではの上手い嘘のつきかたなんですよね。かつて同じくナムコが『パックマン』で使っていた手法を使っていたのを思い出します。
ゲームの構造上、上から見たステージの構図なんですが、キャラクターを魅力的に見せるために横から見たアートにしてる。下手すれば横に歩いている時は壁の上を歩いているように見えちゃう危険もあるんですけど、割り切ってる。というか自信たっぷりに見える。結果的に「壁の上を歩いている」なんて思う人はほぼいなかったように思います。
1984年という「ゲームのグラフィックが一段上に上がった」時代。色々なメーカーが新しくてリアルな表現を模索していた時期、そこにあえてド直球の古風な「ゲームの嘘」を採用し、全然違和感なく遊ばせる手腕は凄いなぁと思わざるを得ません。

宝箱の出し方の難解さ、独特な敵との交戦ルール、ZAPという罠……徹底的に間口が狭いはずなのにとんでもない知名度を誇る名作として語り継がれるようになっちゃった。
あの「上から」と「横から」が混在したビジュアルが醸し出す重厚な世界観も一役買っていたのでしょうね。

 

我が青春のドルアーガの塔(我が青春のテレビゲーム #39、#41 より)

さあにん@山本直人 元『ファミマガ』編集長
 

●このゲームが遊びたい!

1984年頃、東京でも高知でも、テレビゲームの情報源はやはり「ベーマガ」でした。あとは西荻窪CARROTで手に入れていた「NG」ですか。
そこで目に留まったタイトルが『ドルアーガの塔』。アクションゲームながらRPG的な要素、そして各フロアに秘められた「謎」を解くことが、ゲーム進行の大きな鍵を握る。そんなシステムに注目しないわけがありません。しかしその時期は、残念ながら高知に戻っていた時。ナムコの新規タイトルはなかなか見つけられません。

そんな時、高知から香川の大学に進学していた友人がちょうど戻ってきており、『ドルアーガの塔』の話をしている中で、突然の情報をもたらします。

「8月○日に、高松のCARROTに入るらしい」
「ほ、ほんとうかーーーーー っ!!!」

どよめきたつ私と、当時同居していた友人。2人とも遊びたくてウズウズしている『ドルアーガの塔』の導入情報。これは是が非でも向かわねば! と、色めき立つのですが、そこに大きな問題があったのです。

今でこそ、高知=高松間は高速道路で向かうことができますが、当時は高速もなく、山道を長時間かけて向かわないと、高松に向かうことはできませんでした。しかし同居していた友人は、バイク免許は持っていましたが、車の免許はありません。あとは国鉄、汽車で向かうしか方法がないのですが、始発で向かっても、高松CARROTの開店に間に合うかどうかの保証がない。いえ、絶対に間に合わないぞという、そういう交通機関環境しかないのが「四国」という土地の特徴だったのです。
「これはやっぱり、あきらめるしかないか……」

と、その時、吉報をもたらした友人が言います。
「私の車で、みんなで行こうか?」

おお、世の中には神がいた! まさにそんな感じでありました。一も二もなくその計画に乗った私と同居している友人。そして当日の夜明け。3人で高知から高松へと向かうことになるのです。

無事、開店前に高松CARROTに到着した一行。開店前にゲームコーナーに並んでいる、そんな異常さなど何するものぞ。開店を心待ちにしながら、朝食をすませ、いよいよ午前10時を迎え、開店となりました。

が、中を探すものの『ドルアーガの塔』の姿は見えない。

「ガセだったか!?」
と思いつつも、あきらめきれない私たちは、直接店員に新しいタイトルが入るかどうかを尋ねます。

「それでしたら、あと30分くらいで設置になります」
 

●そして目の前に現れた真新しい筐体

筐体が設置される間、他のゲームをそわそわしながらも遊ぶ3人。奥にある空間に、待ちに待っているテーブル筐体が設置されるというのが見てとれました。

果たして30分後。ついに真新しい筐体が運び込まれました。包装が解かれ、その姿を見ることができました。しかし何かがおかしい。どこかがおかしい。

まず、画面が「横向き」だったのであります。『ドルアーガの塔』って縦画面のはずなのです。

そしていちばんの違和感が「レバーがない」ことでした。操作に不可欠なレバーがどこにもない。あるのは3つのボタンだけなのでした。

運び込まれたテーブル筐体の正体。それは『パックランド』でありました。

「どぅえぇぇえぇぇーーーーっ!?」

唖然とする一行。いや、これも見たことのないタイトルではあるのですが、『ドルアーガの塔』目的にはるばるきたのに、現れたのはまったく別のタイトル。いったいここまでの苦労はなんだったのか……。落胆せずにはいられませんしたが、それでもまずは遊んでみることにしたのであります。

それぞれが2、300円遊び、お客さんが増えてきたところで退散することに。時間もお昼になりましたので、せっかくなので讃岐うどんを食べ、高知へ戻ることにしました。

車の友人には気楽に戻ってもらおうと思い、私と同居の友人は汽車で戻ることに。その場で別れ、高松の街をちょっとぶらついて、自宅に戻りました。

後日、山道で友人の車はバッテリーが上がってしまい、JAFを呼んだと聞かされることになります。
 

●高知では遊べなかった『ドルアーガの塔』

結局、高知では『ドルアーガの塔』を遊ぶことはかないませんでした。それどころか、ゲームを発見することもできなかったのです。そして85年1月末、高知の部屋の後始末をして、生活を完全に東京に移行することになります。それ以前もあいかわらず東京と高知を行ったり来たりしておりましたが、84年の春以降は特に東京に居を構えず「ぱふ」のスタッフの家に居候しておりました。

場所は中野。『ドルアーガの塔』は結局、中野ブロードウェイの中にあったゲームコーナーで遊ぶのが初めてということになりました。時期はだいたい、85年の2月ごろだったかと思います。高知から本格的に東京に転居することに決めたものの、まだ住処を見つける前のこと。わずかの期間でしたが、仕事の帰りに『ドルアーガの塔』を思いっきり遊んでおりました。すでに60階の解法が公開されており、それを手帳に写してありました。

中野のゲームコーナーでは、すでに『ドルアーガの塔』は50円ゲームになっていました。プレイする人もほとんどおらず、いつも空き台の状態。そこに座っては、毎日遊ぶ。やがては1コインで60階をクリアできる。適度に空き時間を潰すことができるようになりました。

当時はまだ、引っ越しをするお金がなく、それを準備するのに一生懸命。高知を引き払う前から「テクノポリス」のアルバイトを始め、ようやく敷・礼金が出来、家賃も払える目処がつき、居候していた家から去るまでの間、それが私と『ドルアーガの塔』がお付き合いしていた期間になります。すでにみんな60階をクリアして、その先に何もないことを知り、遊ばなくなった時期ですね。
それでもようやく遊ぶことのできた『ドルアーガの塔』は楽しくて仕方なく、居候先の家主が家に戻るまでの間、中野ブロードウェイでもっぱら遊ぶ。そんな毎日だったのであります。
 

●やがて発売される「ファミコン版」へ

85年の初夏、「テクノポリス」の仕事をしていた私は、突然7月に創刊する「ファミリーコンピュータMagazine」の仕事を手伝うことになります。ウル技50本を全部担当するというかなりの重労働に加え、ナムコを中心とした新作タイトルの記事も受け持つことに。

そして創刊2号目の8月号に掲載されたのが『ドルアーガの塔』。ゲームサンプルがないままの記事でしたが、やりこんだ知識で長~いテキストを埋めていったのであります。

ファミコン版の発売後、アスキーから「ドルアーガの塔のすべてがわかる本」が発売されます。ファミコン版に隠されていた「裏ドルアーガ」の存在も判明し、テレビゲームとしてはブームが終わったと思われていた『ドルアーガの塔』は、ファミコンで見事な復活を遂げます。

「ドルアーガの塔のすべてがわかる本」はベストセラーとなり、「ベーマガ」とは違った形で

「ゲームの情報は、売れる」

という意識を、出版業界に浸透させます。パソコンゲームの浸透に伴い「パソコン雑誌」が部数を伸ばしていく中、ゲームは「テレビゲーム」を通じて、またあらたな金脈を見つけることに。ファミコンブームは、すぐそこにまで近づいておりました。

 

かつての私は「ドルアーガの塔」に興味がなかった

文:MUCOM @mucom88 レトロPC・レトロゲーム・レトロサウンド愛好家

『ドルアーガの塔』が世に登場してから早いもので40年が経ちました。

このアーケードゲームが登場した1984年当時、私はどこにでもいるゲーム好き・マイコン好きの中学生の一人でしたが、その頃の私は『ドルアーガの塔』にはほとんど興味がなく、実は当時一度もプレイしておりません。そんな私が『ドルアーガの塔』に興味を持ち始めて真面目に攻略を開始したのは登場から実に35年後の2019年のことで、そこから頑張ってワンコインクリアの達成にまで至りました。

そんな『ドルアーガの塔』プレイヤーとしては超後発組の私ですが、どんな経緯があったのかをお話させて頂きますので、よろしければお付き合い下さい。

『ドルアーガの塔』が登場した1984年当時の私は中一でした。北海道の田舎ぐらしだったため近場にアーケードゲームを楽しめるような場所はとても少なく、実際にプレイできる機会は決して多くはありませんでした。それでも当時黄金期真っ只中のナムコのアーケードゲームは当たり前のようにどれも大好きで、チャンスがあれば夢中でプレイしました。しかしながら、そんな私にとって『ドルアーガの塔』だけは例外中の例外、まったくと言っていいほど興味を持つことができませんでした。

当時の私はアクションやシューティング等の爽快なゲームが大好きでした。逆にロールプレイングゲームのような物にはあまり興味がなく、迷路の中をウロウロして謎を解き、宝物を手に入れて扉から脱出する…というのを繰り返す『ドルアーガの塔』の基本ルールがひどく地味でつまらない物に私の目には映っていたのです。

ただし、上質なサウンドだけは最初から好きでした。ナムコのゲームサウンドを多数収録したレコードに入っている『ドルアーガの塔』のオリジナルのBGMは擦り切れるほど聴きました。しかしながら、お小遣いに限りがあってアーケードゲームのワンプレイが非常に重かった学生時代、友人がプレイする様子を眺めてゲームサウンドに耳を傾けることはあっても、自分で実際にプレイしてみようと思うことは一度たりともありませんでした。
そしていつしか『ドルアーガの塔』は、自分の行動範囲のゲームコーナーからは完全に消えてしまいました。

時は流れて高校生になっていた私は高二の時に初めて自分のパソコンを手に入れました。機種はNECの8bitパソコンPC-8801シリーズで最初はプログラミングを楽しんでいましたが、そのうちマイコンソフトからナムコのメジャーなアーケードゲームが様々なパソコンに移植・販売されていることに気が付きます。当時の8bitパソコンの多くはアーケードゲームを移植するには不向きな性能で動きがカクカクしているものがほとんどでしたが、それでもワンプレイごとにクレジットを投入する必要がないという恩恵は非常に大きく、なんかオリジナルとは違うなとは思いつつもPC-8801シリーズ用の移植タイトルを片っ端から手に入れて喜んでプレイしていました。
ちなみに『ドルアーガの塔』は結構様々な8bitパソコンに移植されていた人気タイトルのひとつでしたが、残念ながらPC-8801シリーズには移植されていません。『ドルアーガの塔』をプレイすることに興味がなかった当時の自分はまったく気にしていませんでしたが、残念に思っていたPC-8801ユーザは決して少なくなかったのかもしれないなと今では思います。もしPC-8801シリーズで『ドルアーガの塔』が発売されていたとしたら……サウンド聴きたさに少しは興味が湧いていたかもしれませんが、やはり当時の私はきっと手は出すことはなかったでしょう。

更に時は流れて1996年、プレイステーションで『ドルアーガの塔』が収録されている『ナムコミュージアムVol.3』が発売されました。オールドナムコのアーケードゲームがほぼ完全移植といっていいレベルで多数収録されているこのシリーズは当時大喜びで購入して片っ端からプレイに興じていた自分ですが、やはり『ドルアーガの塔』だけは例外でサウンドを聴くために数回立ち上げた程度でろくにプレイしないまま終わっています。ゲーム好きの友人連中が各種実績解除に躍起になっていたり、彼らが「裏ドルアーガ」や「闇ドルアーガ」を必死に攻略していたりしたのを覚えていますが、当時の私には関係のない話でした。今から考えると実にもったいないことなのですが、当時の私は本当に『ドルアーガの塔』をプレイすることに対して相変わらず無関心でした。

そんな私に転機が訪れたのは、21世紀に入ってから10年以上が経過した2014年にインターネット上で公開されたひとつの動画でした。それはSHARPの8bitパソコンMZ-1500用に趣味で再現された『ドルアーガの塔』のデモプレイの動画です。MZ-1500にはマイコンソフトから移植・販売されたものが既に存在していましたがそれとはまったくの別物で、限られたパソコンの性能を現代の技術により限界まで引き出すべく新たにプログラミングされたものでした。すっかりレトロパソコン大好きおじさんになっていた自分はその出来栄えに超食いつきます。

MZ-1500はハードの特性上、グラフィックは8ドット単位でしか描画できないはずなのですが、そのデモプレイでは4ドット単位でキャラクターが動いたり画面がスクロールしたりしていました。技術的なことに関心が強かった自分は、『ドルアーガの塔』自体には興味が薄いのにもかかわらず、その高い技術力にとても驚かされたのです。

ただ残念ながら自分は、これがハイレベルな技術の結晶であることは理解できても、オリジナルの『ドルアーガの塔』に疎いがためにそのプレイ感覚やゲーム性の再現度の凄さという点について実感として感じることは難しく、凄いと感じると同時に少し悔しい気持ちにもさせられました。

そんなことをきっかけとして、私は少しずつ『ドルアーガの塔』の存在を意識するようになっていきました。秋葉原のHeyや高田馬場のミカド等、レトロなアーケードゲームを扱っている都心のゲームセンターに行くと常に稼働している『ドルアーガの塔』。もはや謎解きを楽しむような余地など何も残っていないのに、そこには日々黙々と塔を登頂し続けているプレイヤーたちがいます。傍から見ているだけの自分にはサウンドがいいだけの地味なゲームにしか見えていないのですが(失礼)、一体何がそんなに面白いのか、何に魅了されているのか、それが気になりました。

試しにインターネット上の動画サイトで『ドルアーガの塔』のプレイ動画をいくつも眺めてみましたが、やっぱり何が面白いのかよくわかりません。おそらくどれも上級者のプレイばかりなのですが、初心者の自分には何がどう凄いプレイなのかはサッパリわからないですし、ただ淡々と塔を登頂しているだけのつまらない物に見えてしまいます。

そんなこんなで『ドルアーガの塔』に興味は持ち始めたものの、自分で実際にプレイしてみようというところまではなかなか行かずにいた私でした。

『ドルアーガの塔』に興味を持つようになってからあらためて気が付いたのですが、実はわりと身近にこの『ドルアーガの塔』を頻繁にプレイしている友人がいました。その彼はゲームセンターで『ドルアーガの塔』を見かけるたびにそそくさとプレイに興じてしまう『ドルアーガの塔』フリークの一人。プレイしている様子をちょくちょく後ろから眺めさせてもらうようになったのですが、これがまた実に楽しそうにプレイしていまして。興味深そうに覗き見していると色々とテクニックを解説してくれるのですが、もちろん私にはサッパリ。

そんな彼から「やれば面白さがわかります、いいからやりましょう」というプッシュを頻繁に受けるようになり、ついに私は重い腰を上げて『ドルアーガの塔』の筐体に初めて100円玉を投入したのでした。時は2019年2月、場所は秋葉原のHey。

仕事帰りにちょくちょく秋葉原に寄ってはHeyでドルアーガをプレイする日々が始まりました。ちなみに各階の宝箱の出し方は最初からインターネット上の攻略サイトに頼りました。攻略情報のアンチョコをスマホで覗き見しながらのプレイです。ハイレベルな常連プレイヤーが群雄割拠しているHeyにおいて、いかにも初心者丸出しなプレイスタイルは少し恥ずかしくもあったのですが、本当に初心者なのですから仕方ありません。初心者らしく頻繁にマトックをロストしつつも、5階、10階と初心者がつまずきがちな壁をひとつずつ乗り越え、ひと月弱で(調子が良ければ)ワンコインで15階を越えられるぐらいまでになりました。

この頃から徐々に『ドルアーガの塔』の面白さというものが自分にもわかるようになっていきました。アクションゲームとして純粋に面白いのです。単純なようで実は奥が深い。『ドルアーガの塔』をロールプレイングゲームの一種としか見ていなかった私には目から鱗でした。気が付けば、少しずつ上達しながら先のFLOORに進んでいけるようになるのが楽しくなっていました。

同年3月、私が『ドルアーガの塔』の攻略を開始してからふた月目のある日、大変気になるニュースが飛び込んできました。

「NECの8bitパソコンPC-8001で『ドルアーガの塔』の再現を目指し始めた人がいる。」

まさに寝耳に水、またしてもレトロパソコン好きの血が騒ぎます。

PC-8001はPC-8801よりも古い機種で、セミグラフィックという非常にドットが粗くて色使いも不自由なグラフィックしか描画できません。そんなスペックで『ドルアーガの塔』をどうやって表現するのか、これはワクワクせざるを得ません。

ほどなくして開発中の実物を拝見する機会がありました。粗いグラフィックながらも生き生きとアニメーションするギルといい、滑らかにスクロールする画面といい、それは紛れもなく『ドルアーガの塔』。PC-8001でこんなにも軽快に動作する『ドルアーガの塔』が作れるものなのかと度肝を抜かれます。またしてもその高い技術力に感動させられると共に、今度こそ『ドルアーガの塔』をきちんと理解した上で楽しめるであろうことを大変嬉しく思いました。

そんなこともあって私のやる気にはブーストが掛かり、『ドルアーガの塔』攻略にも更に熱が入るようになっていきます。同年5月にはついに初めて29階に到達してゴールドマトックを手にしました。これで鬼に金棒!……かと思っていたらそうは問屋が卸さず、この頃から伸び悩みが始まり、なかなか先のFLOORに進めなくなっていきます。

実は今回私が『ドルアーガの塔』を攻略するにあたって最初に決めていたことがありました。それは「原則コンティニューはしない! ワンコインクリアを目指す!」というものです。しかし、これは流石にコンティニューしてでも先のFLOORの練習をしないとどうにもならないと悟り、ゲームセンター以外の場所ではコンティニューをして練習してもOKという自分ルールを追加しました。そして時々『ドルアーガの塔』の業務用基板を所有している友人の所に遊びに行ってはコンティニュー有りで練習させてもらうようになりました。

同年6月頃、現在の腕前はどれほどのものかとコンティニュー有りでクリアするまで何度か挑戦させてもらったところ、最も運と調子がいい時でも13クレジットはつぎ込む必要があるレベルでした。…先は長そうです。

同年11月、遂に完成した、できる限りPC-8001で再現した『ドルアーガの塔』に触れる機会がありました。ひと言で言って、想像を絶する完成度でした。私はこの時点ではワンコインでようやく40階に到達できるかどうかぐらいの腕前でしたが、再現度の高さは充分に実感することができました。画面は一見チープかもしれませんがプレイ感覚はオリジナルの『ドルアーガの塔』とほとんど遜色がなく、実際にプレイしてみるとオリジナルで培ったテクニックがほとんどそのまま通用するのです。私が『ドルアーガの塔』の攻略を始めるきっかけを作った例の彼も、実際にプレイして持ち前のテクニックで見事クリアしており、その完成度を褒めちぎっていました。これをプログラミングされた方の技術力の高さにあらためて感動させられると同時に、その再現度の凄さを実感として感じ取れるようになっている自分にも感動することができた出来事でした。

そんな感動を胸に秘めて『ドルアーガの塔』攻略の日々は更に続きます。ほどなくして最難関と言われる44階に到達しますが、まぁこれがとにかく越えられない。基板所有者の友人のところで練習させてもらっている時にはコンティニューを繰り返していればそのうち運よく越えられるのですが、安定して越えるにはほど遠い状況です。

上級者は一体どうやってプレイしているのだろうと、久々にインターネット上のプレイ動画を参考に観てみました。するとどうでしょう、昔観た時は何がどう凄いのかまったくわからなかったのに、今あらためて観てみるとその凄さがよくわかるようになっているじゃないですか。動画で観る上級者のプレイの凄さに感動しつつ、そのテクニックを学んで実際のプレイで実績していきます。

年が明けて2020年1月、初めて(まぐれで)44階を一発で突破した私は一気に55階まで到達しました。

結局、私が44階をある程度安定して突破できるようになるには更に半年近くの時間を要しました(安定してといってもいいとこ5回に1回程度の突破率ですが……マジシャンまじ嫌い!)。

最終局面の59階(対ドルアーガ戦)は基板所有者の友人のところで何度も練習させてもらっていたのでもうそこそこの自信は付いていたのですが、めったにそこまで到達できないので挑戦できる機会がなかなか回ってきません。ごくたまに到達しても緊張しすぎて直ぐにミスをしてしまいます。

それでも根気よく挑戦し続け、59面に挑戦すること十数回目、ついに……ついにラスボスのドルアーガ戦に勝利することができました。ドルアーガを倒した瞬間は感動のあまりに変な声が漏れていた気がします。恥ずかしい! 震える手で59階の扉を脱出、そして60階。クリスタルロッドの置き場所に迷いつつも順番に処理をこなし、ドキドキしながらカイを無事救出。ゲームセンターで自分の力で初めて聴くクリアBGMは感動もひとしお、座ったまましばらく酔いしれました。レコードで聴くのとはひと味もふた味も違いました。

2020年8月、『ドルアーガの塔』の攻略を開始してから実に1年半が経過していました。

かつての私は『ドルアーガの塔』に興味もなければ何が面白いのかもまったくわかっていませんでした。しかし今は違います。まだまだレベルは低いかもしれませんが、今なら『ドルアーガの塔』の面白さはよくわかります。

気がついてみれば、ゲームセンターで『ドルアーガの塔』を見かけるとついついプレイしてしまうゲーマーの一人になっていました。10年後の50周年の時もきっとプレイし続けている事でしょう。

『ドルアーガの塔』の面白さを私に教えて背中を押してくれた友人、そして業務用基板で好きなだけ練習させてくれた友人に深く感謝します。おかげさまで自分の人生の中で好きといえるゲームがひとつ増えたよ、ありがとう。

そして最後に、レトロゲームは好きだけど『ドルアーガの塔』はあまりプレイしたことはないというそこのあなたへ。これを読んでくれているということは、少なからず『ドルアーガの塔』に興味があるはずですよね。是非、騙されたと思って10階ぐらいまで頑張ってプレイしてみてください。ひょっとすると、私のように好きと言えるゲームがひとつ増えるかもしれませんよ。

 

未知の宝箱を求めて

文:石井ぜんじ @Zenji1 元ゲーメスト編集長、ゲームライター

『ドルアーガの塔』40周年おめでとうございます。本作は筆者がこれまでの人生で出会ったゲームの中で、もっとも衝撃的な作品だったと言っても過言ではありません。
 筆者は40年前にこの作品とゲーセンで出会い、友人と2人でひたすら未知の宝箱を探してプレイに没頭しました。宝箱を自力で見つけたときの衝撃は、世界の真理を見つけたかのようなインパクトを自分に与えたものです。
 それはインターネットが存在せず、メディアからほとんど情報を得られなかったあの時代だったからこそ得られた、特殊な体験だったと思います。後で振り返ると、宝箱を探していた期間は1カ月に満たない短い期間でした。それが信じられない思いです。
 筆者にとって『ドルアーガの塔』という作品は、未知の宝箱を探すという浪漫そのものでした。しかしこの作品には、世界観、サウンド、ゲーム的な緻密さなど、様々な魅力があります。人それぞれ、惹かれたポイントは異なるでしょう。それぞれの想いを胸に、皆で『ドルアーガの塔』40周年を祝えればと思います。

 

『ドルアーガの塔』ではじめて「ゲームの中で描写される物語」の魅力を知った

文:藤井昌樹 @hilow_zero ライター/ゲーム企画展コーディネーター

自分にとって『ドルアーガの塔』は「RPG」という言葉をはじめて知るきっかけになったゲームだ。

ドルアーガのアーケード版が稼働開始した1984年、自分はあまりゲーセンに行く機会がなく、ドルアーガの存在を把握していなかった。ただ翌年の1985年からゲーセン(厳密にはデパートやスーパーのゲームコーナー)に行く機会が増えた。そこでドルアーガに出会う。
当時、自分は高校二年生で北海道の苫小牧市に住んでいた。記憶が定かではなくなっているが、このときの苫小牧市内にナムコの直営店はまだなかったと思う(翌年にはあった記憶がある)。また、同級生とゲーセンに行くことはあっても、ゲーマーどうしのコミュニティには参加していなかった。だからドルアーガがどういうゲームで、どのようにプレイするかはわかっていなかった。何回か気が向いてプレイすることはあったが、宝の出し方がわからないので、すぐゲームオーバーになっていたと思う。ただ、印象に残るゲームではあった。

そんな1985年、はじめて自分用のファミコンを買った(それまで友人の家で遊ぶことはあった)。そして、その年の8月6日にファミコン版の『ドルアーガの塔』が発売される。先立ってのアーケード版はどういうゲームか理解していなかったが、その時点で言語化できない魅力を感じていた。また、8月辺りだとドルアーガの開発に『ゼビウス』の遠藤雅伸さんが関わっていることをゲーム雑誌の情報などで知っていたと思う。自分にとって『ゼビウス』ははじめて攻略を意識してゲーセンに通うきっかけになったゲームであり、ファミコン本体と一緒に買ったゲームでもある。そういった自分的にとって大きな存在である『ゼビウス』を作った遠藤さんが次に手掛けたゲームがファミコンで遊べるのなら、買って遊びたいと思うのは自然な流れだった。だから発売してすぐにファミコン版を買った。

ファミコン版ドルアーガのパッケージ裏面に「RPG」という言葉が書かれていた。また取扱説明書にも「ロールプレイング」という言葉が記載されていた。これが自分にとってはじめて「RPG」という言葉を知るきっかけだった。「RPG」とは「役割を演じるゲーム」であることをそこで知る。悪魔ドルアーガに囚われた巫女カイを救出するため、主人公ギルはドルアーガが住まう塔の最上階(60階)を目指す。プレイヤーである自分は、ゲームの中で主人公のギルを演じるというわけだ。
それ以前のゲームにも簡単なストーリーが存在するものはあったし、何よりも『ゼビウス』には遠藤さん自身が執筆した「ファードラウト」という詳細な物語が存在する。しかし、そういったバックストーリーを意識してゲームをプレイすることは、少なくとも自分の場合はなかった。TRPGやパソコンRPGに触れる機会もそれまでなかったので、「ロールプレイング」を名乗るゲームに触れるのは、ドルアーガがはじめてだった。アドベンチャーゲームやゲームブックを遊ぶようになるのも、ドルアーガの後だ。だからドルアーガは、ゲーム中の中で描かれる物語の中にプレイヤーとして没入していくことを意識する最初の体験となった。

ファミコン版ドルアーガの発売から1か月後にアスキー出版局から攻略本「ドルアーガの塔のすべてがわかる本」が発売される。宝箱の出し方がわからず苦戦していた自分は迷いなくこの攻略本を買った。ゲーセン・コミュニティの中で試行錯誤しながら宝箱の出し方を含めて謎を解いていく。そういったドルアーガ本来の楽しみ方は体験できなかったが、宝箱の出し方を把握したうえで楽しむアクションゲームとしてのドルアーガに自分は違和感がなく、純粋に楽しむことができた。

ドルアーガは2024年現在において一般的に認識されているRPGとはかなり異なるゲーム内容ではある。しかし1985年当時の自分にとってドルアーガはそれ以降に展開していくコンピューターRPGの基礎を学ぶものとして充分な存在だった。
ゲームの中での「アイテム」や「コンティニュー」という言葉を知ったのはドルアーガが最初だった。
新しい装備を入手して主人公が強化される。その装備にはソード、アーマー、シールド、ヘルメット、ガントレット、ブーツがある。体力を回復するポーション、壁を破壊するマトック。独自の効果を持ち、ゲームを有効に進める、あるいは攻略上必須となるキャンドル、リング、ネックレス、ブック。そういったアイテムは「宝箱」から手に入れる。一方で入手するとデメリットのあるアイテムがあり、宝箱自体が罠となっている場合もある。どの要素も、その後にプレイする多くのRPGに出てくるものだ。
スライム、ナイト、マジシャン、ゴースト、ドラゴン、ローパー、ウィル・オー・ウィスプといった敵たち。それらの敵には多彩なバリエーションがある。可視化された「呪文」で攻撃してくる魔法使いを知るのは、ドルアーガがはじめてだった。これらの大半も、その後にプレイするRPGに似たような形で登場する。
ドルアーガに続いて『ハイドライド・スペシャル』、『ゼルダの伝説』、『ドラゴンクエスト』といったRPGをファミコンでプレイした。『ハイドライド』や『ゼルダ』は基本的な操作方法やグラフィックがドルアーガの延長上にあるものに感じられた。取得したアイテムがアイコンのように表示されていたり、敵キャラのビジュアルも似ているところがあった。
ファミコン版『ポートピア連続殺人事件』が面白かったので、同じ制作スタッフである『ドラゴンクエスト』を発売日に買うことになるが、このときの自分の『ドラクエ1』の認識は「ポートピアにドルアーガの要素をプラスしたゲーム」というものだった。自分のゲーム経験の中では、RPGの基点となるものが『ドルアーガの塔』だったのである。

攻略本とコンティニューを駆使してファミコン版ドルアーガのエンディングに到達したときに大きな衝撃を受ける。60階でカイを救出しすべてのクリスタルロッドを台座に収めてファンファーレが鳴ったあと、スタッフロールが画面に流れる。下から上にスタッフの名前が流れていく様は、まさに「映画のようなもの」だった。そこで改めて物語の中で役を演じるRPGをプレイしたことを自分は再認識して、その物語が終わったことを知った。そしてゲームの中で物語を語ることができて、プレイヤーとしてそれに感動できることを理解する。

2024年現在、ゲームのエンドクレジットはほぼ当たり前で、映画のようなゲームも普通に存在するが、1984~85年のビデオゲームはまだ「遊び」の文脈として認識されていたと思う。そこにスタッフロールが流れるということは、誰も想像していない時代だった。だから、それをはじめて見たときの衝撃は大きかったのである。
ファミコン版のクリア後、そこで得た攻略法を応用して、コンティニューしながらではあるがアーケード版のドルアーガもクリアした。そこで1画面に収まる形ではあるがスタッフの名前が表示されるエンディング画面を見て、改めてドルアーガの物語の終焉を眺めることになった。

それ以来、現在に至るまで自分は「物語を体験するもの」という位置付けでゲームに触れている。読書や映画鑑賞と同じ感覚と言っていい。折しもドルアーガ以降、ジャンルを問わずクリア時にエンドクレジットが表示されるゲームが増えた。自分は格闘ゲームをプレイするときも対戦よりCPU戦をクリアしてスタッフロールが流れるエンディングを見ることを重視していたくらい、ゲームを物語として認識し続けている。

2012年から2024年にかけて、市立小樽文学館で開催されたゲームに関する企画展「テレビゲームと文学展」、「ボードゲームと文学展」、 「小樽・札幌ゲーセン物語展」、「小樽・札幌ゲーセン物語展2」、「雑誌・攻略本・同人誌 ゲームの本展」、「小樽・札幌ゲーセン物語展ミニ」、「ゲームの中の『物語』 ボードゲームとTRPG展」に自分は企画者として携わった。ほとんどの企画展のテーマが「ゲームと物語」になっているが、これは『ドルアーガの塔』がきっかけで自分がもっとも魅力を感じたゲームの要素の影響を受けてのものである。余談だが「ゲーセン物語展」以降の企画展では、ゲームの中で語られる物語だけではなく、ゲームを通してプレイヤー自身の経験として紡がれる固有の物語にも着目している。

ゲームの中で語られる物語、そして、その物語の登場人物を演じるRPG。ドルアーガが世に出てから40年が経ち、その過程でRPGについて俯瞰的・一般論的な認識ができるようになった。ゲームの歴史としてドルアーガはRPGの始祖ではないが、自分の経験としてRPGの魅力、そしてゲームの中で語られる物語の魅力を知る最初の入り口となったゲームは『ドルアーガの塔』なのである。それ故に、ドルアーガは自分にとって今でも大きな存在のひとつとなっている。

 

初めて”世界観”を感じたコンピューターゲーム

文:カシオ松下 @matsushita_8bit ゲームデザイナー/有限会社エムツー所属

1984年……私が小学校低学年時代……。
『ドルアーガの塔』というアーケードゲームがあるということは、「マイコンBASICマガジン」で見て知ってはいました。
しかし、近所に入らないのでファミリーコンピュータ版※にて購入、初めて遊ぶことが出来ました。
本作はパッケージに篠崎雄一郎氏のセンスあるキャラクターと模型を利用したキーアートと神話モチーフのストーリーがまず素晴らしく、子どもながらゲームに世界観を感じることが出来ました。
LSIゲームには「タロウ君、ワルダーに誘われたハナコちゃんを救い出せ!」的な広告代理店のおじさんが一瞬で考えたかのようなストーリーが少なくなかった時代ですから、かなり先鋭的で「すげえ!」と思いました。
当時は“ファンタジー”や“RPG”などめずらしかった(というか身近には存在しなかった)時代なので、ゲームを始めると、非常にカッコいい英語のストーリーや、勇ましいBGMに大興奮をしました。
アイテムで成長し、ルックが変わる主人公というのを見たことがなく、ここでも驚きました。
(入手した武器が下に並ぶ仕様が素晴らしく、これの“刷り込み”で『ハイドライド』など類似の作品があるだけで興奮するようになりました)

ゲーム自体も最初は剣を連打しても斬れず、激突して死にましたが(小学生が最初にマニュアルなど読むはずがない)やり方がわかってくると快適そのもので「ドルアーガ」の世界を堪能することが出来ました。
しかし、本作といえば激ムズな“謎解き”で有名です。
すぐに詰まり、「ドルアーガの塔のすべてがわかる本」を購入し、隠しアイテムを奪取しながら何とかクリアまでたどり着きました。
するとファンファーレが鳴って、エンディングが流れて、ここで感動は最高潮に。
「ゲームに一貫したテーマやストーリーがある!」と小学生ながらうっとりしたのを覚えています。

後に平塚の長崎屋でアーケード版の『ドルアーガの塔』をようやくプレイすることができました。
(隣が『ゼビオス』だったためにニセモノを疑っていました)
ファミコン版がいかに良くできていたかを再確認するとともに、色数の多いグラフィックや重いサウンドと効果音に「やっぱり、元のゲームはすごいなァ」と”アーケードゲームらしさ”を感じた最初の作品だったと思います。

個人的に『ゼビウス』から『ドルアーガの塔』の登場でゲーム業界は本格的に「ゲームの世界観をキチンと作ろう」という転機となったと思います。
「裏ワザ」の原点でもあり「ファンタジー世界」や「RPG(要素)」の開祖でもある本作は、ゲーム史上における、非常にエポックメイキングな名作です。
40周年おめでとうございます!

※私のファミコンはグレーコードの超初期型。何度かスイッチを入れると「ボゥ」というマトックの音と共に、いきなりバグ面ができました(笑)。

 

『ドルアーガの塔』がゲーム音楽にもたらしたもの

文:田中”hally”治久 @hallyvorc ゲーム史・ゲーム音楽史研究家、チップチューン・ミュージシャン

『ドルアーガの塔』がゲーム音楽の世界にもたらした影響は計り知れないものがあります。もちろん同作に限らず、当時のナムコ音楽はいずれも影響甚大ではあったのですが、サウンドの重厚さとポピュラー音楽的な心地よさ・印象深さを兼ね備えているという点において『ドルアーガの塔』は前人未到、かつ唯一無二の領域にあるものでした。また「物語の展開に寄り添った作曲」を実践した最初のゲーム音楽だったことも見逃せないところです。後の時代のゲーム音楽は、これらの要素をほとんど無自覚に常識として吸収していきました。大衆的でありドラマ的でもあるという後の国産ゲーム音楽の底流が、実は『ドルアーガの塔』によってもたらされたものであるという歴史的事実は、より広く知れ渡ってほしいところです。

個人的な体験としても、同作から受けた音楽的影響は計り知れません。思えばまだゲーム音楽レコードが世にほとんど出回っていなかった当時、初めて音楽をカセットテープに録音してまで愛聴したのが『ドルアーガの塔』でした。また後年幾多のゲーム音楽を批評的に鑑賞していくなかでも、知らず知らず『ドルアーガの塔』を基準に考えてしまうことが多々ありました。振り返るとその影響の大きさには自分でも驚かされます。

誕生から40年の期間は、まさに「ゲーム音楽の古典」として醸成されていく過程だったように思います。そしてそうなっていくことを、切に願います。その偉大な足跡にさらなる幸のあらんことを。

THE TOWER OF DRUAGA™& ©Bandai Namco Entertainment Inc.
 

『ドルアーガの塔』40周年の記念企画にゲーム文化保存研究所もご協力しております。
以下に、さらに三本の記事を追加掲載させていただきました。
https://shop.asobistore.jp/feature/pacman_officialstore/topics/vgc/

・“ドルアーガの伝道師”オサダ氏インタビュー(ゲーム文化保存研究所)
・家庭用で何度プレイしても飽きることのない名作(みさいル小野)
・PCエンジン版『ドルアーガの塔』開発秘話(柴田 賀盆)

よろしくお願い申し上げます。

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