長編小説「ザリガニの鳴くところ」が与えてくれるもの
先月半ば、本屋で平積みされていた分厚い文庫本を2冊買って帰った。いずれも600ページある長編小説で、ひと月近くかけて1,200ページを読破したのだけど、終えてみると、なんだか2つの旅を終えて帰ってきたような心持ちに。長編小説を読むというのは、ひとり旅をする体験に近いなぁと思った。
どちらもハヤカワの文庫本で、「未必のマクベス」も「ザリガニの鳴くところ」も、同じような夕焼け色の表紙をしている。その静けさに惹かれて手に取ったのだけれど、中身を開けばまったく違う世界が広がる。かたや2000年頃からの香港の大都会を舞台に、かたや1950〜60年代のノースカロライナ州の湿地を舞台に、1ページ目から全然違うところに連れて行かれる。見た感じ、ほとんど同じ物体なのに(というと装丁家に失礼だけど、買ったのは装丁のおかげだ)。
私が大型書店で目にとめてひょいと気分で買って帰る小説というのは、つまり、すでにめちゃめちゃ売れていて、読んだ人が世の中にわんさかいる作品ということだ。「ザリガニの鳴くところ」は、2019年、2020年にアメリカでいちばん売れた本とのふれこみで、映画化もされているのだとか(知らなかった)。
そういう長編小説を読んでいる最中よく思うのは、「私の前に、こうして同じようにページをめくり、一人でこの小説を読み耽って時間を過ごした人が、この世界にはたくさんいるのだ」ということ。この読書時間を尊く思い、この物語に心をおいて過ごした人たちが、この世の中にわんさかいるという心強さ。その人たちは今この時も、私がまだ知らない別の物語を、ひとり読み耽っているかもしれない。そうして、この不穏で不透明な世の中への信頼を回復しながら、小説の続きを読む。
「ザリガニの鳴くところ」は、動物学者が69歳にして初めて書いた小説だそう。人間そのものの野生や、人間をとりまく自然界の底知れなさを全景にした物語には、彼女の人生経験を総動員して作り上げた作品の力が宿っている。
社会を騒がすトラブルが浮上するたび、人間のクリーンでない側面、倫理的に許しがたい素行を、その場しのぎで覆い隠して、個人を消して罰して、底浅く善悪判定をつけて片づけようとしている世の中を糾弾しているようにも感じられた。
人間の野生や、自然界がもつ野蛮さをさらしてみせ。人間のもろさ、不完全で、いびつで、偏ったものの見方・考え方から決して逃れられない性質を突きつけてみせ。その一方、人の、個人のもつ並はずれた環境適応のポテンシャルにも光を当ててみせる。
誰にも覚えがあるだろう「人から拒絶される」体験、誰とも分かち合えず抱え込んでしまう孤独感を、とことん掘り下げていく。
もし、もっと人間社会が成熟した先に、誰も「人から拒絶される」という体験を覚えることなく、孤独感に苛まれることなく、理不尽も不条理も経験することなく生きていけるようになったら、こうした小説の読書体験価値は衰えてゆくのかもしれない。けれど今の10代が経験した苦悩話を聞くかぎり、私にはまだ当面そうなる見通しをもてないし、それこそが人間の追求すべき未来展望かと問われて、安易に首肯もできない。
何十年と生きていけば、たいていの人が、むごたらしい現実に直面させられる。たとえ助け合ったり慰め合ったりできる仲間がいても、それだけでは根本解決ならず、本人が個として対峙しなきゃならない難局というのが、特別な人にだけではなく、たいていの人にやってくるものじゃないかと、私はそのように人の生を見立てている。
もちろん、おかれる境遇は千差万別で、人と比べて自分の境遇が軽く見えたり重く見えたりもする。けれど共通するのは、それぞれに自分のそれを抱え込むということ。だから、ノースカロライナの湿地に生まれて親にも兄弟にも置き去りにされ、たった一人で生きてきた少女の極限の嘆きにふれて、彼女と境遇は大いに異なるのに、読者はその痛みに共鳴する。だから、これほど読まれているのではないか。そこに私は、心強さと励ましを得ているように思う。
自分だけじゃない、他の多くの人たちも、人は代々、自分と同じかそれ以上の難局を個人で体験してきていて、それを歯を食いしばったり、やり過ごしたり、時間かけて乗り越えたり、それと共生する覚悟を決めたりして、どうにかこうにか生きているんだと発想が及ぶ。それを支えに、自分も自力で立ち上がって、自家発電で自走を再開する脳内展開力が働く。
人ひとりが普通に人生を全うするのは、なかなか難儀なもので、こうしたものを備えていかないと、なかなかどうして、やりきれないんじゃないかと。古い人間と言われればそれまでの話、20世紀人間の杞憂かもしれない。あとはもう、それぞれの世代が、それぞれの時代を生きてみて、その次の世代が振り返ってみるほかないけれど。
ともかく今を生きる私は「これを読んでいる人が、世界中にたくさんいるのかー。これを読んで、素晴らしいと評する人たちがたくさんいる世の中というのは心強いなぁ」と感嘆しながら、長編小説に力をもらって、のらりくらりやっていくのだ。
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