サービス劣化を食い止める、真っ当なクレームは存続するか
私が一方的にフォローしている藤野英人さん(SBIレオスひふみCEO)のFacebook投稿にふれて、自分が思ったことメモ。
元の投稿(2024年10月28日23:22)を、ざっくりまとめてしまうと、藤野さんが2年ぶりの引っ越しに際して日本のサービスのポンコツ化を実感した話。引越業者、小売店、運搬業者とのやりとりで、日にち間違い、忘れ物、連絡の行き違いなど大小さまざまなミスに遭遇し、2年前と比べて引越業者の仕事も明らかに雑になっていたと言う。
カーテンが届かないのも、運搬業者と小売店の言い分が食い違っていて、なんだかなぁという感じだったのだが、次のとおり、あまり事を荒立てず、現場対応にあたった様子がうかがえる。
まあそこを解明したところで意味はなく、カーテンの取付は明日以降に。
しかし、これを愚痴りたいわけではなく、次の胸のうちのほうが投稿の主旨と見受けられる。
しかしそれは、人手不足による人材の品質と教育機会の低下が背景にあるだろうし、「運んでいただけるだけ感謝」というように顧客側も思わなければいけない。時代はそう変化しているのだ。お客様だから威張れる時代ではない。
投稿の最後の一文は「全般的には日本のポンコツ化はすすんでいるような気がする」で終わるのだが、これを読み終えて私が思ったことを書き留めておきたい。藤野さんが書きたい論とは軸のずれた話を展開しているのは承知の上で、なのだけども…。
知性的で誠実で善良な市民こそ、一顧客としてトラブルに遭遇しても、背景事情を慮って現場でクレームを言わず、打開コミュニケーションを図らなくなっていることも、ポンコツ化の歯止めをきかなくしている一因では?と思うところがある。
「一因がある」というのは、責任の一端があるという意味ではなくて、ポンコツ化を好転させるのに影響を及ぼせる余地をもつのに、その力を眠らせているという意味で言っているのだけども。
その場でクレームをあげる、率直に思うところを相手に伝えてみるという平易な行為が、ずいぶんと平易でないところに遠のいてしまったな、とも思うのだ。
「この人に言ってもな」という物分かりの良さ、背景に理解を示して現場の個別具体より社会情勢に焦点をあわせようとする知性が働いて、知性的で誠実で善良な市民こそ、現場でもの言わなくなっていく。それは事を荒立てない道筋であると同時に、事態の好転をあきらめる道筋でもある。
そうすると、いよいよクレームというものが、無知性で不誠実なカスハラ的な人の行為として色濃さを増していって、一般の人が「クレームを言う」行為に対する抵抗を頑なにしていく。それはそれで社会全体でみると悪循環にはまっているようにも思えてくる。
カスハラに括られるような極端な顧客は声をあげるけれども、真っ当な顧客は事情を慮って現場でも何も言わないし、カスタマーサポートセンターにもクレームをあげない。そうすると企業の上層部もなかなか問題を検知できない、そうして静かに着実に、組織も社会も腐っていく。
善良な市民こそが顧客として、その組織がサービス改善する機会提供をできないものだろうかとも思う。「威張って文句を言う客」と「一切文句を言わない物分かりのいい客」の間に、いくらでも真っ当な客としてコミュニケーションを作り出す余地はあるのではないか。
現場でクレームを飲み込み、その後一切のコミュニケーションを断つのではなく、あるいは抽象化して世を憂いたり嘆いたり社会問題的に語るばかりでなく、直接に被害を受けた顧客として、現場で伝えてみるとか、組織に伝わるように問題点を送ってみるとか。
それで動くか動かぬかは組織の力だけれど、そこに網をはっている経営層はいなくはないだろうという期待がある。それでも言おうか言うまいか、今言おうか、後でサポセンには送ってみようかと、遭遇するたびに逡巡する小市民ではあるのだけれども。一切合切のコミュニケーションをあきらめたくはないなぁとは思う。
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