基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

社会に分断をもたらした「自分自身の努力と勤勉さ」で成功したという考え──『実力も運のうち 能力主義は正義か?』

この『実力も運のうち 能力主義は正義か?』は『これからの「正義」の話をしよう』が大ヒットした、マイケル・サンデル教授の最新作である。『それをお金で買いますか 市場主義の限界』など、毎回その時代に問われるべきテーマを取り上げてきたサンデルだが、そんな彼が今回注目したのが「能力主義」だ。これは、現代の「分断」の原因を的確に写し取っているように感じられて、非常におもしろかった。

分断というキーワード

アメリカ大統領選におけるトランプとバイデンの接戦、イギリスのEU離脱、ポピュリストたちのエリートへの怒りなど今世界中で「分断」がキーワードになっているが、その要因の一つがこの「能力主義」にあるとサンデルは語る。たくさん勉強や努力をして良い大学に入り、良い仕事と賃金を得る。それに成功した人はその結果を「自分の勤勉さや努力のおかげだ」と考えるかもしれない。だが、アメリカの8つの名門私立大学の総称であるアイビーリーグの学生の3分の2が、所得規模で上位20%の家庭の出身であることからもわかるように、学歴は生まれの差が大きい。

アメリカ前大統領のバラク・オバマは演説で「やればできる(You can make it if you try)」、アメリカにはまだアメリカン・ドリームが生きていて、勤勉で才能があれば誰もが出世できると繰り返したが、もはやこれは現実にそぐわない。所得規模で下位5分の1に生まれた人の中で、上位5分の1に到達できるのは20人に1人だけだ。

やればできる、という言葉は、実際に上昇できる、してきた人間からすればプラスの意味として機能し、「やればできる」は真実であり、できないやつは努力しなかったからだ、という思考に繋がりえる。その一方で、やったけどできなかった人、やりたくてもできなかった人、そもそもやるような環境にいなかった人からすれば、「できなかった」自分を攻撃する呪いの言葉となってしまう。

トランプに一票を投じた人たちには、ヒラリー・クリントンの能力主義の呪文がそんなふうに聞こえたのかもしれない。彼らにとって、出世のレトリックは激励というより侮辱だった。

近年の大きな分断の要因の一つが、ここにあるのは間違いないだろう。

「努力してもむくわれないことがある」のは何も学歴に限った話ではない。弁護士と保育士では収入に開きがあるように、才能を持ち、同じように努力したとしても、「現在の市場で換金しやすい努力/才能か」という「運の要素」が介在する。肉体を使うプロスポーツ選手でも、世間の人気競技か否かで収入には大きな開きがある。

『自分の才能のおかげで成功を収める人びとが、同じように努力していながら、市場がたまたま高く評価してくれる才能に恵まれていない人びとよりも多くの報酬を受けるに値するのはなぜだろうか?』『能力主義の理想を称賛し、自らの政治的プロジェクトの中心に置く人びとは、こうした道徳的問題を見過ごしている。』

じゃあどうしたらいいのか?

やればできる、というメッセージの繰り返しで、出世できなかった人たちの尊厳は失われ、良い大学に入れば良い仕事につけるという現実は、学歴偏重を加速させる。こうしたことが、今アメリカを中心として世界で起こっていることだ。

じゃあ何か? 才能の有無、それが評価されるか否かもすべて運次第なのだから、たとえば藤井聡太が将棋の才能によってどれだけ稼いだとしても、彼には生活に必要な年数百万程度しか与えず、あとは他の日本人に分配するのが正しいのか? といえばそんなことはない。サンデルは、大学入試も否定していない。サンデルが主に批判しているのは、能力主義による成功は自分の努力のおかげであると信じる傲慢さと、それがもたらす分断、不平等な仕組みのまま実施される能力主義にある。

具体的に何を批判し提案しているのかというと、大学入試では、寄付者の子供やスポーツ選手の優遇をやめ、大学に入学してやっていくだけの最低限の素養があるのであれば、あとの選考はくじ引きで決めたっていいだろう、と驚きの施策を提案している。たとえば、ハーバード大学やスタンフォードに入学を希望する生徒は現在4万人いて、そのうち「最低限の素養」のあるものは3万人程度とする。そのうちの誰が優秀なのか予測するという実現不可能な課題に取り組むのはやめ、そこから先は、適当に書類を地面にばらまいて、拾い上げた2000人(定員)を合格とする。

この方法は、能力を無視しているわけではない(1万人程度の足切りはしている)。しかし、ここでは能力は資格の一つの基準にすぎない。この選考方法で選ばれた人間は「自分の努力のおかげで大学に入れたのだ」とは決して思わないだろう。「多少の努力と、運のおかげだ」と考えることで、慢心をしぼませ、不当な競争から高校生を解放することができる。それはそれで偏るのでは? というのも最もな懸念だが、たとえば現行の入試における世襲的傾向をおさえるために、親が大卒ではない適格な出願者を大学が一定数選び、そこから必要数くじ引きを行うことで、最終的な多様性も望むバランスで得ることができる。

低収入枠を用意することで、流動性自体も確保できる。その結果ハーバード大学など一流大学の名声もなくなるだろうが、それはむしろくじ引き入試の長所だろう、など予想される反論に関しては本書の中でサンデルは一通り再反論を加えている。

おわりに

サンデルが現在の能力主義的信念に対抗する方法として述べているのはこれだけではない。能力主義的信念は、すべてを個人の責任にするせいで連帯の基盤を提供せず、敗者には容赦せず、勝者も抑圧の中にいる。それに対抗するために、貢献によって同胞である市民から評価される「共通善」に貢献することで道徳的絆を取り戻すのだ、という彼の著作で繰り返されてきた議論を再度展開している他、能力主義に破れた人びとの尊厳を労働でどうやって肯定するのか、という議論も広がっていく。
huyukiitoichi.hatenadiary.jp
アメリカではアルコールや薬物依存の死、自殺をまとめた「絶望死」が年々増え、この医療技術が進展していく世にあってアメリカ人の平均寿命は3年連続で縮んだ。絶望死の大半は学士号を持たない人びとの間で増えていて(学士号を持たない層では、95年から15年の間に絶望死が10万人あたり37人から137人へと増えているが、学士号を持つ層では、そのリスクはほとんど変わらなかった)、学歴偏重と能力主義が結びつき、学歴を持たない人たちの間で絶望が深くなっているのは間違いない。

本書は労働と尊厳の回復や共通善にテーマを絞った本ではないのでそのあたりの記述は簡素だが、現代の病理の一端を明らかにした、今読むべき一冊だ。