『怒る!日本文化論』 昔は良かったというけれど

2012年12月10日 印刷向け表示
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怒る! 日本文化論 ~よその子供とよその大人の叱りかた (生きる技術! 叢書)
作者:パオロ・マッツァリーノ
出版社:技術評論社
発売日:2012-11-22
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父は国際スパイ、母はナポリの花売り娘。自称イタリア生まれの謎の論客として著者がデビューしたのは2004年の『反社会学講座』。軽い文体ながら、統計資料を使って、世間の常識に物を申すスタイルは当時は斬新で、世間のひねくれ者の喝采を浴びた。あれから8年。いまだに正体を明かさず、イタリア語をしゃべれないイタリア出身の千葉県民というキャラ設定を貫き通す姿勢には敬服する。他人事ながらネタ切れを心配してしまうが、軽妙な文章に惹かれ、新作が出るたびに買ってしまうのは私だけではあるまい。今回は「怒らない、叱らない日本人」をテーマに取り上げている。

ふざけたペンネームからは想像できないが、電車内でも家の近くでも行儀の悪い人にはマッツァリーノ先生はガンガン注意するとか。靴を履いたまま座席に上がる子供連れのお母さんや、イヤホンからガシャガシャ音漏れさせている若者など。いやーな顔をされてもとりあえず注意する。ただ、日々叱りまくっているマッツァリーノ先生はモヤモヤとした違和感を抱いているらしい。「昔は公の場でも叱るおじさんがいたのにねー、最近はめっきりああいう人がいないわよね。いれば助かるのにねー」と人々は口にするが、本当に叱ると変なおじさん扱いをされるだけであると。そこで、こう、我々に投げかけるのだ。「そもそも、昔は叱るおじさんが本当に存在したのか」。

尤もそうな通説を覆すのはマッツァリーノ先生の得意なところであり、本書の読みどころのひとつである。いくつかの例を挙げているのだが、面白いのは『サザエさん』の波平での検証である。

日曜夕方の高視聴率アニメ『サザエさん』の波平といえば誰もが知っている有名人。「バカモン!」とカツオやワカメを毎回のように叱るし、場合によっては中島君やタマにも注意する。著者の調べでは08年の一年間では年間計38回、「バカモノ」、「バカモン!」と波平は叫んでいるらしい。年間の放送回数は約50回程度と推測できるので、約5回に4回の確率で雷を落としていることになる。よく言えば、古き厳格な昭和親父像、悪く言えば理由なき切れキャラである。ここで著者はアニメだけでなく、1974年まで新聞で連載されていた漫画『サザエさん』を全巻読破する。漫画版サザエさんでは波平は切れキャラでなく、気の良いオジサンであり、「バカモノ」と叫ぶ姿は全巻を通じて1回だけで「バカモン」に関してはゼロだったと言う。時々怒ることはあったが、家族からイジられることも多い、平凡なお父さん。それが波平であったというのだ。昭和の親父って結局、こんなもんだったんじゃないのと著者は指摘する。現在、アニメ版『サザエさん』は高視聴率を叩きだしており、毎回のように切れる波平が市民権を得ているということは、視聴者の一部には「バカモン!」とひたすら叫ぶマッチョな父性への憧れが認められるのだろうが、そもそもサザエさん自体が昭和庶民史の捏造ですらあると訴える。

HONZ読者の中には「昔は多くの人が道徳心を持ち合わせていたから、頻繁に叱る必要がなかったのでは」との指摘があるかもしれないが、マッツァリーノ先生はこうした幻想も打ち砕く。何とも痛快だ。

例えば電車内のマナー。最近では、老人に席を譲らない若者など珍しくもないが、別に今に始まった事ではない。過去の新聞の投書欄にくまなく目を通すマッツァリーノ先生は衝撃の事実を提示する。

大正13年10月7日付の読売新聞の投書欄にひとりの老婆の投書が載った。「最近の若者は本を読むふりをして席を譲らない」。今と全く変わらない大正時代の状況に驚くが、本当に恐ろしいのは、この後の展開。上記の投書の2日後、何と若者側が反撃の投書に出る。「席を譲ってくれないとグチる七十婆さん、大体からあなた方は図々しすぎる」で始まり、面の皮が千枚張りだの臭い匂いだの罵詈雑言を浴びせたのだ。恐ろしいのは、ここで終わらないところ。この後、一気に高齢者の読者が猛攻撃に出るかと思いきや、「婆さんは図々しい」と罵った若者に同意する投書がその後、2通も掲載されたという。

自由といえば自由な時代だが、「君たち心が少しばかり荒んでないかい」と心配になるやり取りである。確かに図々しい高齢者はいるが、デリカシーのデの字も存在しない叩きっぷりである。昨今、同様のことを若者がネットに書き込んだ日には、学生ならば大学や内定先を、社会人ならば勤務先を特定されたりと大変な騒ぎだろう。

このように、マッツァリーノはいつものように庶民史の欺瞞を暴き、「人は進歩していないし退化もしていない。昔も今も道徳心のあり方は大きく変わらないし、見て見ぬふりをしていたのも今と同じ」と一貫して主張する。そして、教育論にまで踏み込み、道徳では何も変わらないのだから(そもそも道徳など昔から持ち合わせていないのだから)、身近なところで相手に注意したり交渉したりして変えていくしかないのではと、怪しげなキャラ設定がぶっ飛ぶようなまじめなことを珍しく熱く語るのである。

では、どうやって叱るか。注意するか。実は本書では全8編のうち3編を使って「いかにして人を叱るか」について論じている。「通説を痛快に覆す」いつものマッツァリーノ節に焦点を置いてレビューしてきたが、従来作と異なり、叱るための実用書として書かれた側面が本書にはある。詳細は手にとって欲しいが、「まじめな顔で」「すぐに」「具体的に」が叱りかたの3原則らしい。そして、怖そうな人には注意しないことが最大のポイントである。

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反社会学講座 (ちくま文庫)
作者:パオロ マッツァリーノ
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