「選択の自由」が排除する人々

http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51011259.html
ブクマにも書いたが、これを読んで「わたしは訴える(Ich klage an)」を思い出した。

1941年にドイツで『私は訴える(Ich klage an)』という映画が製作された。その物語は次のようなものだった。
トーマス・ハイトという名の物理学者が、友人の医師から、自分の妻ハナが多発性硬化症におかさされていると知らされる。(…)自分が多発性硬化症という不治の病であることを知らされたハナは、トーマスにこう訴える。「私が最期の瞬間まで、あなたのハナでいられるよう助けてちょうだい。(…)そうするのよ、トーマス。私を本当に愛しているなら、そうするのよ。」そしてトーマスはハナに致死薬を与え、ハナは安らかに死ぬ。
(…)トーマスは法廷で次のように訴える。「(…)私のほうこそ告訴します。私は人民に奉仕するという役目を医師と、そして裁判官がまっとうすることを妨げている条文[=自殺幇助を禁じた刑法の条文]を告訴します。だから私は、私のしたことをもみ消そうなどとも思っていません。(…)私は不治の病にあった自分の妻を、彼女の望みによって、その苦しみから解放したのです。私の今の人生は彼女の決定に捧げられています。そして、その決定は妻と同じ運命に会うかもしれないすべての人々にもあてはまるのです。(頭を垂れながら、消え入るような声で)判決をお願いします。」
1939年に開始される安楽死計画を、ナチスは内密に実行していたが、それでも当時のドイツですでに人々に知れわたるところとなり、各方面からの反対のため、政府は1941年にその表向きの中止を宣言する。しかし、ナチス政府は、自分達が実施してきた(また1943年から再開することになる)安楽死計画の必要性を大衆に訴えるためのプロパガンダ映画の製作に着手する。この結果、生まれたのが、この『私は訴える』なのである。

身体/生命 (思考のフロンティア)

身体/生命 (思考のフロンティア)

トーマスは「不治の病」に犯されている妻が自ら死を「選択」することを尊重しない、自殺幇助の禁止を「人民に奉仕する役目を」「妨げている」と告訴する。ここで一貫して強調されているのが、安楽死はハナ自身の選択であり、決定であったということである。ナチスは自らの安楽死計画を、それは障害者・病人自身の選択であるとすることで、正当化をしようとしたのであった。
もちろん、安楽死と解雇は違う。小飼弾は、雇用の流動性とベーシック・インカムの必要性を説く。同様の未来像がhttp://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20080302/1204438491で示されている。あなたが解雇されたとしても、あなたが競争に参加する意欲があり、自分の能力を磨いて「生産性の高い」人間になる限り、また仕事に復帰できる。そのような社会が望ましいと。
では、競争に参加する意欲の無い、あるいは意欲があっても「生産性が低い」人間はどうなるか?確かにベーシック・インカムがあれば最低限の生活は送ることができるかもしれない。しかし、彼ら/我々は社会にとって不用であり、足を引っ張るお荷物として処遇される。
ここで我々は2005年のパリ暴動を思い起こすべきなのだ。ほらみろヨーロッパだって実際酷い格差社会なのだと日本の保守派は笑っていたが、フランスの生活保護(RMI)は日本のそれと比べ物にならないほど取得しやすく、また日本のワーキングプアに比べてはるかに高い支援を貰える。もちろん移民でも受給できるので、少なくとも彼らは食うや食わずの生活困窮者ではなかったのである。

それは、我々のイデオロギー的・政治的現状について多くを物語っている。選択の自由が保障されていると自画自賛している一方で、強引な民主的コンセンサス以外の選択肢としては、行き当たりばったりの暴動しか残されていない社会に我々は生きているのだ。
(…)したがって、パリ暴動について本当に重要なのは、具体的な社会的・経済的抗議活動ではない。(…)ただ、<可視性>を得るための、直接的な闘争であったのだ。市民としてフランスの一部を構成していながら、政治的・社会的空間から排除されていると実感していた社会集団が、一般国民に対して自らの存在をはっきりと示したかった。皆が望もうが望むまいが、見えないふりをしようが、自分たちはここにいる。コメンテータらが指摘しそびれた決定的事実は、暴動の参加者らが独自の閉鎖的な生活様式を確立しようとする<宗教的・民族的>コミュニティとしての特別な立場を主張しなかったことである。それどころか彼らの主たる前提は、フランス市民であり、そうありたいのだが、認識されていないという点であった。社会のなかで、世間の注目を惹く者とそうでない者とを隔てる壁の向こう側に追いやられたことを自覚したというのが、抗議のメッセージである。彼らは解決策を提示しておらず、解決策をもたらすような運動を構成するわけでもなかった。実は正反対で、彼らの目的は問題を起こすことであり、自分たちが、もはや無視され続けることはできない問題であると知らせることだった。暴力が必要だったのはこのためだ。非暴力的なデモを組織していれば、紙面の下のほうに小さな記事が載るだけに終わっていただろう。

小飼弾が求めfromdusktildawnが提示したのは、まさにこのような社会に他ならない。