ののの・ド・メモワール

その日観た映画や本や音楽の感想を綴ったりしています

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日記のように色々なこと(主に読書、映画、音楽)のアウトプットをしていきたいと思います。まれに雑記も書きます。
実用的なことは書けませんがよろしくおねがいします

スラングのコンテクスト依存

コンテクスト

 なんとなく記号論に興味を持ち断続的に入門書を読み、理想的なコミュニケーションではコードと呼ばれる規律が重要であることが掴めたような気がします。

例えばイラストにあるテキストは「シャンプー買ってきて」「OK」のテキストが示されていますが、日本語のコードがないと第三者の受信者は何が書いてあるのか(あるいは喋っているのか)分からない。

日本語のコードがあっても〇〇家のコードがないとテキストの意味が分かるけれど、シャンプーがパンテーン?ダイアナ?ツバキ?と第三者の受信者は困惑してしまいます。

シャンプーという「記号」が指す「指示物」(〇〇家で使われるシャンプー)そして記号の「使用者」(姉妹と思われる〇〇家の2人)とコミュニケーションの重要な三要素が浮かび上がり、それらをひっくるめてコンテクストと呼びここから意味論や統辞論そして実用論と記号論の研究は分岐していくということがこれまたなんとなく掴めたような気がします。

「記号」と「指示物」の関係を研究する意味論と「記号」と「使用者」の関係を研究する実用論があり、コードに依存したコミュニケーションが解読であるのに対しコンテクストに依存したコミュニケーションが解釈で前者が理想的なコミュニケーションです。

コード依存型が発信者中心であるのに対しコンテクスト依存型は主体的な受信者中心であり人間的なコミュニケーションです。

私がインターネットのコミュニケーションのなかなか難しいと感じる理由は記号の使用者のことが分からないので「どういう意味でその言葉を使ったのか」と実用論的意味が掴めにくい気がしてきました。

この一番顕著な例はインターネットスラングに現れ、スラングを意味論的意味からコンテクスト依存による解釈をするのは無謀だと思います。

私はこのようなことを「親ガチャ」というスラングから感じ取っています。

「インターネット上でのパーソナル・コミュニケーションに対する実用論的解釈の可能性」みたいな論文がどこかにないでしょうか

頑張ったらこれで学位が取れそうな気がしないでもないです。

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