中学受験を終えて思うこと

 先週、中学受験における我が家の天王山が終わった。息子は、予想外にも、受験した中学すべてに合格し、第一志望の中学に進学することが決まった。指導してくださったサピックス下高井戸校の諸先生方にはお礼の申しようもない。
 そんなこんなもあって、今回は、中学受験について思うところをまとめてみようと思う。こんな書き方をすると、サピックスに対する提灯記事だと思われてしまうだろうが、実際、半ば提灯ではあるが、(だって、箸にも棒にもかからない愚息をここまで仕上げてくれたのは、彼らの功績だからね) 、その実、いくつかの点で書くべき価値があると思ってるから書く。その第1点は、ぼくが以前に勤務していた塾は中高一貫校の生徒を対象とした塾だったので、ぼくが中学数学主任として教えたのも一貫校の中学生だったが、自分が一貫校の卒業ではないので、知らないことがたくさんあった。今、息子の受験を体験して、当時気づいてなかった多くのことを知った。当時知っていれば、ぼくは主任としてもっと別の企画とカリキュラムを持つことができたに違いない、と今頃になって後悔している。このブログは、元同僚で今でもその塾にいる人も読んでいるので、彼らへのメッセージとして書き留めておく。あと、もう1点は、ぼくは2006年に『算数の発想』NHKブックスという本で、算数の意義について熱く語っているのだけれど、息子の受験につきあった現在、この本とはまた別次元の感慨を持っている。この本の紹介かたがた、その感慨も補足として書き留めておこうと思うのだ。
 息子の塾としてサピックス下高井戸校を選んだのは、サピックスという塾を発足当時から知っており、ぼくの塾とは密接なつきあいがあったからだ。息子を中学受験させようと決めたときから、息子についていく力があるならサピックスに入れようと決めていた。
 どういう関係か、というと、サピックスこそがぼくの在籍した中学数学部を盛り立ててくれた塾、そういう関係なのだ。ぼくは、大学を卒業して、塾の数学主任としてカリキュラムの構築とテキストの作成に全力を尽くしていた。当時はまだ、生徒は30人程度しかおらず、こじんまりとやっていた。そんな折り、サピックスの算数の先生であり、発足者の一人であられたかたが、突如、「ぼく」を名指しで推薦してくださったのだ。うちの塾ではなく、「小島先生」という数学の先生を推薦したのである。そうしたら、あっというまに、東京中の六年一貫校から優秀な生徒が集まってきた。皆、サピックスの卒業生である。口コミが広がり、中学部の生徒数はあれよあれよという間に倍倍成長をするようになった。バックボーンにその算数の先生がおられることを知ったぼくは、電話で何回かコンタクトをとり、生徒一人一人について話し合った。どのような性格で、何に興味を持ち、どうすれば能力を伸ばすことができるか、そんなことを真摯に話し合った。お互い、算数・数学教育については手を抜かない性格だったので、面識がないにもかかわらず、礼儀もなにもとっぱらってフランクに生徒の将来のために手を結んだのである。こういうところが塾のリベラルなところだと、今でも思う。その先生のおかげで、ぼくは、「東京で中学生が数学を教わるなら小島先生」という超有名な人物になってしまった。(多少の誇張があるものの、事実なのだよ)。
 そんな経緯から、サピックスの生徒指導の方法とそこで育ってくる生徒の資質、将来性を熟知していたぼくは、できたら将来、息子をサピックスに入れたいと思うようになった。そして、今回、その思いを果たしたし、その考えは間違っていなかったことを確信した。念のためにいうと、他の塾にはほとんど通わせなかったので、他の塾がサピックスより劣るとか、そういうことを主張するつもりはない。今書いていることは、あくまで絶対評価であり、相対評価ではない。
 息子を二年間、サピックスに通わせてみて、今頃、中学受験というものの実体を知った。自分が思っていたのと、いろいろな点で違っていた。
 一番の感慨は、「こんなに親にとって辛いものだと思わなかった」ということだ。子供がいいかげんに受験に臨んでいるなら、いい。しかし、子供がけなげにがんばっている場合、受験での失敗は親の責任だ。学校選びも、勉強の手はずも、受験日程の構成もすべて親がする。失敗させるわけにはいかないが、入試を受けるのは子供なので、親にはどうにもできない。落ちたとき、どうケアするか。長い入試日程の中で、どう集中力を保たせるか、それはすべて親が考えなければいけないことだが、正直、子供の実力や内面は測り知ることができない。これはとても苦しかった。うちで一番おろおろしていたのは、父親のぼくだったと思う。年賀状で、昔教えた生徒の親に、そんな愚痴を書いたら、その人は激励のために特別なリンゴジュースを贈ってくださった。添え書きには、「中学入試は、もうずいぶん前のことになりますが、今でもあの辛さは覚えています」とあった。温かさが身にしみた。
 中学入試の本質は、何度落ちてもへこたれない精神力、を築くところにあると言っていい。計画と意志は親、実行は子供、というズレがあるので、不合格の痛みは子供を直撃する。本人の自己責任ではないからだ。(下高井戸校の固有のものかもしれないが)サピックスのシステムは、そこに関して、実にうまくできていた。毎月、クラス昇降のテストがあるのが、それは有名無実で、実際は毎回、クラスを昇降させられた。息子は、それをとても嫌がっていた。一回の授業内の成績で次回にクラスを落とされるのは、耐え難い屈辱らしいのだ。親は、「大事なのは本番の入試だ」と何度も言ったが聞く耳を持たなかった。しかし、この試練が本番で功を奏した。息子は、むしろ、受験の発表は、不合格になる可能性まで踏まえた上で、わくわくと楽しむことができた。父親よりもずっと強い精神力が鍛えられていたようだった。サピックスの主任と面談をしたとき、彼は、「最も大事なのは、不合格続きにもめげない精神力を身につけること」と言っていたが、こういうことだったのか、と最後に悟った。また、塾の先生の話は、学校の先生の話よりも知的に面白いように見えた。息子は、塾からの帰り道に、先生の余談を反芻して、ぼくに教えてくれた。
 自分が実際に体験してみて、中学入試というものには、高校入試や大学入試とは異なる固有のしんどさがある、と思い知った。このことを塾に勤務していた当時に実感できていれば、我が塾の中学部の方法論は、もっとやるべきことがあった、と今にして思う。(そうなんだよ、元同僚諸君!)。第一に、中学受験の洗礼を受けた子供は、一日9時間の勉強など苦痛でない忍耐力を持っている。第二に、彼らは競争の勝ち負けには慣れきっている。第三に、彼らは非常に豊富な知識と好奇心を身につけている。これらを活用するなら、もっとすべきことがいろいろあったはずだ。ぼくは、(駿台予備校で浪人した以外)小学校から大学までずっと公立で過ごしたので、彼らの内実を理解していなかった。彼らには、多くののびしろがある。中学受験でそれは醸成されている。ぼくが観察してきた限り、一貫校に行ったあと少なからぬ子供はその素地を無駄にしてしまったように思えた。
 中学受験で訓練される内容については、ぼくは、国語・理科・社会については高く評価している。お金に余裕がある限りにおいて、受験するしないにかかわらず、中学受験の塾で勉強する価値があると思った。まず、国語は、小学生が普通接する機会がないようなステキな文章に出会うことができる。塾の教材をいくつか見たが、村上春樹の短編(もちろん、エッチじゃないやつ。笑い)とか江國香織などの文章はあたりまえのように扱われるし、論説文も高度な内容の興味深いものが多かった。子供の頃にああいう文章に触れることは将来大きな意味を持つと思う。とりわけ、理科には感激する。生物、物理、化学、天文などに関して、きちんと体系的に、しかもちゃんと法則の活用を基本として勉強する。ぼくの経験で言うと、ぼくは小学校の理科が大嫌いだった。それは「単なる事実の羅列」にすぎなかったからだ。中学になって原子と分子の結合から化学反応の原理を知り、小学校ではただ単に暗記された事実が法則から演繹されることに溜飲が下がるとともに強い好奇心を持った。中学受験では、小学校教育よりももっと知的に理科を扱っている。息子は、父親に、電気回路の説明をし、夜空の星を教えるまでになった。これは感慨深い。社会については、一抹の不安があった。社会科学は、基本的に「思想」であり、利害関係の対立であり、要するに生臭い。それを幼少期に学ぶことは大丈夫なのか、と思っていた。しかし、中学受験の社会は、なかなかみごとなものだった。要するにそれは、「世の中で起きている事実に注目する」ということだ。そして、それとの関連において、地理や歴史や公民が提示されるのである。ぼくは、経済学を学んだ30代まで、世の中の仕組みに無知なままに過ごした「単なる世間知らずの数学青年」だったので、受験社会の面白さには衝撃を受けた。塾の帰り道に、息子が塾の先生から聞きかじってきた「コースの定理」について自慢げに説明してくれたのは思い出深い。コースの定理とは、環境問題に関する有名な論文であり、ぼくは環境経済学も一応専門の一つとしている。このぼくが息子から手ほどきを受ける、というものこそばゆかった。笑い。
 ただ、受験算数には、複雑な感情が入り交じる。ぼくは『算数の発想』NHKブックスで、「算数というのは数学とは全く異なるものであり、世界の成り立ちを見る上で、とても有意義な知識である」というメッセージを発した。

算数の発想 人間関係から宇宙の謎まで (NHKブックス)

算数の発想 人間関係から宇宙の謎まで (NHKブックス)

この本は、とても変わった構成をしており、どの章も、算数の固有な解法からスタートして、びゅんびゅん話が飛んで、最後は現代科学の知識まで到達してしまう、というものだ。例えば、第1章は、「旅人算」から出発して、「相対速度」を経由して、最後は相対性理論やハッブルの法則やビッグバン宇宙論まで到達する。はたまた第4章では、「ニュートン算」から出発して、最後は「ソローの経済成長モデル」までぶっ飛ぶ。どうしてこんな構成の本を書いたか、というと、「算数の解き方は、問題の固有性に注目するもので、それは世界に送る眼差しそのものであり、いわゆる方程式を使う中学以降の普遍的方法とは異なるものだ」ということを伝えたかったからなのだ。つまり、算数は数学に併合されてしまうわけではなく、むしろ、忘れ去られてしまうもので、それは残念だ、ということ。なぜなら、学問の世界では数学的発想も大事だが、算数的発想もそれとは別に大事だ、そう思うからだ。
 しかし、実際の受験算数とつきあって、この考えには修正が必要なことを知った。なんせ、息子は、家で全く勉強しない国語が一番得意で、ぼくが付きっきりで教えている算数が一番苦手だったので、ものすごい時間を費やして息子に個人教授をするはめになったので、算数の問題は相当数見た。その経験でいうなら、受験算数は、他の科目に比べて、あまりにテクニカルすぎるように思えた。もちろん、「算数の発想」的に言って、良問はたくさんある。しかし、それを飛び越えて、とにかく設定が入り組んでいるだけのひどく人工的な問題も多い。あんなものが解けることが将来の何かに役立つとはとても思えない、そういう不平が(息子ではなく)ぼくに立ち上った。息子は、「東京で最も教わるべき数学教師」(当時)のぼくが教えたにもかかわらず、最後まで算数は苦手なままだった。それでも、最後には、どうやって計算したのかぼくには皆目見当がつかないような手品のような方法で答えを出すように仕上がっていたのには驚いた。
 そんなわけで、受験算数には見逃せない功罪があると思う。今なら、『算数の発想』とはひと味ちがった、マニアックな算数本が書けると思う。これは、と思う編集者のかた、ご連絡ください。(冗談だってば)。
 とにかく、我が家の大変な一年間が終わった。この文章が、来年中学受験をさせる親御さんの何かの参考になれば、と思う。そして、サピックス下高井戸校の優れた先生がたには、心からお礼を申し上げたい。先生がたでなかったら、悪い意味で個性の強すぎる息子は受験には歯が立たなかったことと思う。それから、元同僚諸君! ビジネスチャンスは、まだまだふんだんにある。中学受験を経験した子供たちへのサービスには、まだ誰も気づいていない秘境があるに違いない。今なら、一財産築く自信があるんだが、残念だ。(今は、学問のほうが楽しいのさ) 。とにかく、一貫校の親の話をよく聞いて、一山あててくれたまえ。