経済成長だけでは十分でない時

昨日エントリで紹介した表題の講演でバーナンキは、米経済の好調にも関わらず、トランプ現象やサンダース現象を生み出したことに見られるように米国民のムードは明るくない、として、その背景にある4つの懸念すべき傾向を取り上げている。

  1. 平均的労働者の所得の停滞
  2. 社会的・経済的移動性の低下
  3. 社会的機能不全
    • 経済的苦境に陥っている地域・集団における絶望感
    • トランプ現象で白人労働者層におけるその問題が注目されたが、機能不全が生じている範囲はもっと広い
  4. 政治的疎外と官民の機関への不信
    • 特に米国では昔から政府への不信感が強い

バーナンキはまた、米国の戦後史を振り返り、繁栄を謳歌していた1945-70年の期間と、日欧そして中国の台頭やロバート・ゴードンの言う例外的な技術的・経済的進歩の終焉やベトナム戦争や公民権運動による社会の分裂によって米経済が余裕を失っていったそれ以降の期間を対比させている。そして、レーガノミクス以降の民間の活力を活性化しようとする政策を概観した上で、以下のように述べている。

Missing from the mix, however, was a comprehensive set of policies aimed at helping individuals and localities adjust to the difficult combination of slower growth and rapid economic change. Why policy was not more proactive in this area is an interesting question: Perhaps the failures of Lyndon Johnson’s Great Society and the inflationary monetary and fiscal policies of the 1960s and 1970s hurt the reputation of activist policies and helped revive American’s laisser-faire inclinations. Perhaps the stresses in the heartland were not sufficiently understood until it was too late. Perhaps the politics didn’t align. Whatever the reason, it’s clear in retrospect that a great deal more could have been done, for example, to expand job training and re-training opportunities, especially for the less educated; to provide transition assistance for displaced workers, including support for internal migration; to mitigate residential and educational segregation and increase the access of those left behind to employment and educational opportunities; to promote community redevelopment, through grants, infrastructure construction, and other means; and to address serious social ills through addiction programs, criminal justice reform, and the like. Greater efforts along these lines could not have reversed the adverse trends I described at the outset—notably, Europe, which was more active in these areas than the United States, has not avoided populist anger—but they would have helped. They might also have muted the disaffection and alienation which our political systems are currently grappling.
Which brings us to the present. Whatever one’s views of Donald Trump, he deserves credit, as a presidential candidate, for recognizing and tapping into the deep frustrations of the American forgotten man, twenty-first-century version. That frustration helped bring Trump to the White House. Whether the new president will follow through in terms of policy, however, is not yet clear. Trump’s economic views, which mirror the odd combinations of factions that make up his coalition, are a somewhat unpredictable mixture of right-wing populism and traditional supply-side Republicanism. ...Ironically, it may be that the most rhetorically populist president since Andrew Jackson will, in practice, not be populist enough.
I’m hardly the first to observe that Trump’s election sends an important message, which I’ve summarized this evening as: sometimes, growth is not enough. Healthy aggregate figures can disguise unhealthy underlying trends. Indeed, the dynamism of growing economies can involve the destruction of human and social capital as well as the creation of new markets, products, and processes.
(拙訳)
そうした一連の政策に欠けていたのは、成長の鈍化と急速な経済的変化という2つの困難に個人と地域が適応することを手助けするような総合的な政策体系です。その点でなぜもっと積極的な政策が採られなかったか、というのは、興味深い問題です。1960年代と1970年代のリンドン・ジョンソンの偉大な社会とインフレ的な金融財政政策の失敗が、積極政策の評判を落とし、米国のレッセフェール志向を復活させるのに寄与したのかもしれません。米国のハートランドの苦悩が、手遅れになるまで十分に認識されなかったのかもしれません。政治が整合的でなかったのかもしれません。理由が何であるにせよ、もっと多くのことができたはず、というのは今にしてみれば明らかです。例えば、特に教育水準の低い人に対する職業訓練と再訓練の機会を拡大すること。国内の移住者への支援を含め、失職した労働者に転職支援を提供すること。居住や教育の分断を緩和し、置き去りにされた人々の雇用や教育の機会へのアクセスを増やすこと。助成金やインフラ建設などの手段で共同体の再開発を促すこと。麻薬中毒者の更生計画や刑事司法改革によって深刻な社会の病に対処すること。こうした政策努力をもっと行っていたとしても、冒頭で申し上げた逆行的な傾向を食い止めることはできなかったかもしれません。注意すべきは、米国よりもこうした面で積極な政策を行っていた欧州でも、ポピュリストの怒りを回避することはできませんでした。ただ、そうした政策はある程度はその傾向を食い止めるのに役に立ったはずです。そうした政策はまた、現在我々の政治システムが取り組んでいる不満と疎外を緩和していたことでしょう。
そこで話は今日の問題になります。ドナルド・トランプをどう思おうとも、21世紀版の米国の忘れられた人々の強い不満を認識し取り上げた、という点で、彼の大統領候補としての実績は否定できません。その不満は、トランプのホワイトハウス行きを後押ししました。ただ、新大統領が政策面でその問題への対処を遂行するかどうかは未知数です。トランプの経済観は、彼の連合陣営を構成している奇妙な派閥の組み合わせを反映して、右派のポピュリズムと伝統的なサプライサイドの共和党主義との予測不可能な混合物のようなものとなっています。・・・皮肉なことに、アンドリュー・ジャクソン以来言葉の上では最もポピュリスト的な大統領は、実行面では十分にポピュリストではなかった、ということになりかねません。
トランプの当選は重要なメッセージを送っている、と言うのはもちろん私が初めてではありません。そのメッセージを今宵私は次のようにまとめたいと思います。成長だけは十分ではないこともある、と。健全なマクロの数字が、その裏にある不健全な傾向を隠すこともあるのです。実際のところ、成長する経済のダイナミズムが、新たな市場や製品や過程を作り出すとともに、人的ならびに社会的な資本を破壊することもあり得ます。


また、経済学者の責任について以下のように述べている。

The credibility of economists has been damaged by our insufficient attention, over the years, to the problems of economic adjustment and by our proclivity toward top-down, rather than bottom-up, policies. Nevertheless, as a profession we have expertise that can help make the policy response more effective, and I think we have a responsibility to contribute wherever we can.
(拙訳)
経済学者への信頼は、経済的な適応の問題に長年に渡って十分な関心を払ってこなかったこと、および、ボトムアップよりはトップダウンの政策を好む傾向によって傷付きました。しかしながら、職業としての経済学者には、政策対応をより効果的なものとするのを手助けできる専門的技術が備わっています。我々には貢献できる分野があれば可能な限り貢献する責任がある、と私は思います。


最後にバーナンキは、フォーラムのホストであるECBが推奨する改革について、米国の経験と対比させつつ、以下の点をコメントしている。

  • 労働市場改革の注意点
    • 米国では労働市場への介入を増やすことをバーナンキは推奨しているが、欧州では介入を減らすべきという話になっている。出発点が違うので、その点に特に矛盾は無い。
    • バーナンキはそうした労働市場への介入を、職業訓練のようなフォワードルッキングな政策と、現在の労働者を保護するバックワードルッキングな政策に分類している。戦後の欧州は、米国に比べ、フォワードルッキングな政策とバックワードルッキングな政策を共に多く採用してきた。
    • 現在の欧州ではバックワードルッキングな政策の削減が叫ばれている。それは適切なことだが、2つの政策の区別には留意すべき。例えば、現在の労働者の保護を弱める際には、労働市場の必要な調整を支援するための積極政策を減らすのではなく増やすべき。
  • 短期の景気循環の問題と、長期的成長や改革の問題を分けて論じるべき
    • 欧州は米国に比べて景気回復が遅れているため、改革に当たってはマクロ経済環境を無視できない。
    • 昨日エントリで引用した構造改革とマクロ経済政策の違い。
  • 政府への信頼
    • これは欧米に共通した課題だが、欧州にはさらに経済の統一という課題がある。
    • ただ、労働市場や中小企業の規制という分野では、国や地域ごとの違いを残した方が即応性や効果が高まるのではないか。