前のエントリーで「信仰心が足りないから社会福祉政策が失敗した」という妄言を吐いた閣僚が現政権にいるということを書きましたが、どの閣僚がどのような状況でした発言なのかわからず書いてしまいました。
そこでネットで検索してみたのですが、実は発言したのではなく、新聞へ寄稿した文章の中に書かれていたことでした。しかも保健福祉家族部長官が、長官として就任する以前に。そして当時の肩書きを見てさらにビックラしました。“梨花女子大 社会福祉学教授”だそうです。梨花女子大と言えば、韓国でも名門の女子大です。しかも社会福祉学の教授って・・・。梨花女子大の学生さんたちカワイソ。
ちょうどその寄稿文に関する記事と、元の寄稿文がハンギョレに載っていたので読んでみたのですが・・・。なんですか、これは?どこのカルトが書いたのかと思いました。こんなのがキリスト教(プロテスタント)信者を名乗るのは、ちゃんとしたプロテスタント信者にとってもいい迷惑なのでは?
なんでも出生率が低いのも、高齢化が進むのも、みんな家庭の問題なんだそうです。家庭がうまくいっていれば、すべてが解決するんだとか。
お前は韓国版“山谷えり子”かよ。
格差問題も信仰心が足りないからだと。さすが社会の頂点付近にいらっさる方は、シモジモの者とは視点が違いますわいなぁ。
秋葉原でひき殺されてしまえ。
おまけに社会のセーフティネットが貧弱な韓国が「福祉病」なんだとか。それは福祉を充実させてから言え。飢餓状態の人々に肥満予防指導をしてどうする。
もう韓国に住んで7年半になりましたが、所詮ヨソの国だとどこかで思っているので、あまり韓国の政局に注目していませんでした・・・・・。こんなトンデモな人物が入閣していたとは・・・・・。この国ヒデえ。
「信仰心が足りないから福祉政策が失敗」
「福祉病問題」
キム・ソンイ福祉長官候補、道徳性に続き資質論争拡散
日刊紙への寄稿で‘荒唐診断’-‘格差は理念攻勢’という主張も
»キム・ソンイ保健福祉家族部長官候補者が、昨年5月31日付『国民日報』の論壇に寄稿した文章。「社会福祉政策と信仰」というタイトルのこの文章で、キム候補者は「信仰心が社会福祉政策とサービスの成敗を決定付ける」と明らかにしている。
キム・ソンイ保険福祉家族部長官候補者が、‘格差’を取り上げることは社会的葛藤を助長する‘組み分け’だと診断し、‘信仰心’を格差克服の方案として提示した事実が明らかになった。このため、長官としての道徳性問題に加え、資質論争をも巻き起こしている。
キム候補は2007年5月31日付『国民日報』の‘論壇’に寄稿した『社会福祉政策と信仰』という文の中で「アメリカのレーガン政府は勤労参与と自活を前提にした勤労福祉で大きな成果を上げたが、金大中政府の生産的福祉は同じ内容でも成功した政策として評価されなかった」という要旨の主張をし、その失敗の原因として「信仰心が足りなかった」からだと診断した。彼はまた、社会格差対策について「格差を理念水準として見ているだけで、神が我々を助けてくれるという確固とした信仰心が足りないため、積極的実践力を見出すことができない」とし、「愛国歌の歌詞には‘神がお守りになられている我が国万歳’という文句がある。…神様が守ってくれているという気持ちをどれだけ持っているか考えてみること」だと話した。積極的な政策介入によって格差と脆弱な社会保障問題を解決しなければならない福祉部長官としての資質を疑わざるを得ない問題意識だ。
こうして見ると社会連帯、社会のセーフティネットなどによって解決すべき福祉問題の責任を‘家族’に転換する安易な姿もうかがえた。キム候補は2006年1月、同じ新聞の‘専門家の視点’に寄稿した『福祉部長官がこうだったら』という文章では、「低出生率や高齢化問題もすべて家族の問題だ。家族がうまくいけば低出生率や高齢化の心配をしなくてもいい」とし、長官の資質としてボランティアと円満な家庭の2つを挙げた。
キム候補はまた、貧富格差など社会の両極化を取り上げることを理念攻勢だと受け取る姿勢も垣間見える。やはり‘専門家の視点’に寄稿した2006年2月の『福祉副総理制を新設しよう』という文章で、彼は「貧富の葛藤、地域の葛藤、世代の葛藤、男女の葛藤などの用語が頻繁に使われ、ついには過去のイデオロギー時代に使われていた‘両極化’という用語が再び蘇って使われている」とし、「左右イデオロギーの両極化論争が社会階層間の乖離現象を表す両極化問題に発展した」と診断した。
彼は最近、李明博大統領就任前に長官候補者たちが一同に会して行われたワークショップで、福祉予算が脆弱な韓国の現状を無視して「福祉病の症状」を挙げ、批判されもした。彼はこの席で「(福祉)予算が2倍にも増えたのに、体感度は低いので‘福祉病の症状’が現れている」と話した。続いて国会人事聴聞会でこれに対する質問を受けると、「我が国も福祉病の症状が表われはじめているということ」だと答えた。
‘福祉病’という言葉は1960年代に西ドイツのメディアが、英国人の行き過ぎた平等主義と福祉受益による緩慢な動作、無責任な態度など、無気力な症状を見てこう指摘し、使われはじめ言葉た。これに対してチャン・ギョンス議員(統合民主党)は聴聞会で「社会福祉支出の比重が経済協力開発機構(OECD)国家平均の3分の1しかないのに、主務長官になろうかという人が『我が国は福祉病の症状が表れている』と言えるのか」と詰問調で言った。チョン・セラ記者
(ハンギョレ 2008年3月4日)