moving without you

おれは精神的にまいっている。

 

まいっていると休日は家にひきこもる。

 

三連休があったとしても、ほとんど変わらない。ベッドの上で動かず、時間がきたら競馬をして、夕方のろのろと東スポを買いに行く。

 

カープの配信も見るが、9月のカープはひどいことになっている。中日の2年間よりひどいかもしれない9月のカープ。

 

家の外の出ろ。そして歩け。そういう電波を受信した。

 

歩くというのは、右足を前に出したり、左足を前に出したりして、前方に進むことである。

 

抑うつになると歩くのもつらくなる。

 

「愛する妻が脱獄犯?」っていまテレビで言ってた。

 

天気予報士がなんと言っているかしらないが、真夏のピークは去っても半袖の季節はつづく。

 

暗い道を歩くこともあるだろう。明るくなることはないだろう。

 

海の向こうになにがあるか想像すらしない人生だった。

 

海の向こうからいい感じの音楽を受信するだけの人生だった。

 

ミシガンから遠く離れたカリフォルニアまで逃げろ。30年間逃げおおせろ。

 

うどんはそばにいる。

 

おれに神はいない。おれ以外にいるかどうかは干渉しない。

 

神を信じる人間の業については信じてもいいかもしれない。神といってもアブラハムの神に限った話ではない。神と呼ばれることを好まぬ神の話かもしれない。

 

おれと信仰の間に決着はつかない。あるいは、死ぬ間際に。

 

おれはよく歩いたし、人も多い。おれは人が多いのは苦手だ。けれど、人がまったくいなかったらいなかったで、一人でさみしくて死んでしまうであろう。

 

住んでいる場所の近くに海がなければ、息苦しくなって死んでしまうであろう。