サッカー

  『日本書紀』皇極紀に「毬打うる侶」とあるように、「蹴る」はもとクウルあるいはクヱルといった。『梁塵秘抄』のなかの「舞へ舞へ」蝸牛、舞はぬものならば、馬の子や牛の子に蹴ゑさせてん」も同じ用法である。したがって蹴鞠はクヱマリであった。八つの母音がまだ生きていたころの美しい日本語である。

―澁澤龍彦「空飛ぶ大納言」

サッカー日本代表の試合を見た。ワールドカップを前にした、最後の練習試合である。そして、なにか久しぶりに活気ある日本代表を見たような気がした。Twitterを見ていると、「これってハリルホジッチがやろうとしていたサッカーじゃないか」というような声を二、三見かけたので、多分そういうことなのだろう。

それにしても、ワールドカップ本戦の日本の対戦相手も困ったものだろう。格下なのできっちりと勝ち点を取っておきたいところだが、何をやってくるかわからない。このパラグアイ戦だって、0-6くらいで負けて、選手同士は取っ組み合いを始め、目のうつろな西野監督がガタガタ震えながらインタビューを受けることくらいの芝居をやってもよかったんじゃないかと思うが、まあそういうものでもないのだろう。

今更ながらにハリルホジッチ解任劇を振り返る。おれもさすがに「この時期に解任するの?」とは思った。世界のワールドカップ前の監督解任事情など知らないが、いくらなんでも遅すぎるんじゃないかと思った。凡庸な感想だろう。しかし、その後にネットで巻き起こったハリルホジッチ擁護・評価とサッカー協会への強烈なバッシングには少々驚いた。どうやらハリルホジッチは現実主義者であり、格下のチームを率いながらも相手の良いところを潰す戦略を立てて……云々という監督なのに、いざ本戦というところで解任ではまったく意味がない、台無しだ、ということらしい。それに対するサッカーファンとは言い難いおれの感想は「君らはそんなにハリルホジッチを愛していたのか」である。ファン心理とはわかりにくい。そして、「応援する気をなくした」といっていた多くのサッカーファンがどういう心理状態でワールドカップを観戦するのだろうか。それは、「新井の去ったカープなど応援したくない」と思った、あのときのおれと似たようなものだろうか。

いずれにせよ、今日の試合を、日本代表の勝利を見ておれは満足したので、あとは思う存分メキシコ代表を応援することにする。なぜかおれはメキシコ代表のサッカーを見ていて飽きない、楽しい、応援したくなる、ということは、ひょっとしたら3大会前くらいから書いているので繰り返さない。放送予定を見たらそれなり地上波で見られそうなので、なぜかやけに安かったレプリカユニフォームもどきを着て応援することにする。以上。

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渋澤龍彦   ちくま日本文学全集

渋澤龍彦   ちくま日本文学全集

 

 

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ただ、メキシコ代表のサッカーは好きだ。おれが生きてワールドカップを見られる階層にいられれば、たぶんまた出会うこともあるだろう。そのときこそは、さらなる高みに行ってくれる。おれはそう信じている。次こそは、と。

ここで言う「ワールドカップを見られる階層」とは、自分が自由にチャンネルを設定できる生きたテレビがある、という意味である。幸いにしておれはワールドカップ・ロシア大会の期間中にこの安アパートを放り出されるという可能性は低い。……とか言ってたら、いきなりテレビがぶっ壊れたりな。

 

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