歴史 ユダヤ教ナザレ派からキリスト教への流れ

<歴史 ユダヤ教ナザレ派からキリスト教への流れ>
一(民族宗教ユダヤ教の一宗派から世界宗教へ)
新約聖書の「キリスト殺し」の記述及び中世欧州国家から始まる「ユダヤ人迫害」の歴史を理解するためには回り道のように見えるが、上記<表題>の大きな流れのなかで、鳥瞰的にその成立の流れを捉えなければならない。初期キリスト教の成立の流れの結論だけを書くと以下のようになる。

1(イエスの)ユダヤ教ナザレ派→2ヤコブ(イエスの弟)・パウロなどのユダヤ教内原始キリスト教団(のち自然消滅)→3パウロがローマ帝国内の異邦人に布教したキリスト教(分家筋だが世界宗教に発展→下記画像参照)。なお、2の本家筋の教団は消滅したことに留意。

二(ユダヤ教ナザレ派の系譜は?)
イエスが活動していた1世紀前半のユダヤ教は、宗派が乱立していた。主な宗派を掲げると。1パリサイ派(ファリサイ派とも:律法重視派)、2サドカイ派(祭司職はこの派で占める:神殿重視派)、3エッセネ派、4熱心党、5ヘロデ党などがある。前2者が主流派で重要だ。
 イエスのナザレ派は、1のパリサイ派の系統だったようだ。そのパリサイ派のなかには二つの学派があった。その一つがヒレル学派(主流派で親ローマ的)ともう一つがシャンマイ学派(反ローマ的)だ。イエスは後者のシャンマイ学派の系統だとの研究がある(参考書籍8の『ナザレ派のイエス』219頁、6の『ユダヤ人イエス』83頁)。当時のユダヤ教内でのイエスの宗派の位置付けを示す研究として興味深い・いずれ話しを展開したい。

三(キリスト殺しの真相の解明のためには)
前記事では当時のユダヤ最高指導部「サンヘドリン」の説明をした(→下記【直前記事】)。今回のユダヤ教各宗派の問題は、キリスト教のルーツ(その成立年70年~85年?)にも関わってくるので、その前提知識として重要だ。
新約聖書には”ユダヤ人”とその”群衆”が、ローマ総督に対してイエスの十字架処刑を煽った!という記述がある。中世以来ユダヤ人迫害の根拠とされていたことはすでに述べた。この新約聖書の「ユダヤ人」とは!?その「群衆」とは!?の真意が、研究者の間で長年議論されている。その真相に迫る前には、前提問題を解決しておく必要があるように思える。ここは先を急がず今回は前提問題二つ(サンヘドリン・ユダヤ教各宗派)の紹介記事を書いた。

【直前記事】<歴史 「キリスト殺し」からイスラエル建国まで>

パウロの伝道経路
パウロの伝道.jpg
【参考書籍】
1レザー・アスラン『イエス・キリストは実在したのか?』
2加藤隆『福音書=四つの物語』
3加藤隆『新約聖書の誕生』
4上村静『旧約聖書と新約聖書』
5サミュエル・サンドメル『ユダヤ人から見た新約聖書』
6ダヴィット・フルッサー『ユダヤ人イエス』
7秦剛平『描かれなかった十字架』
8前島誠『ナザレ派のイエス』
9田川健三『イエスという男』


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この記事へのコメント

  • 管理者Gくん

    二のユダヤ教各宗派の4熱心党:書籍によっては「ゼロテ派」「ゼーロータイ」とも呼ばれる。3加藤隆『新約聖書の誕生』32~50頁参照
    2024年07月22日 20:53