バルス祭りに見るネットとテレビのこれからの関係

 11月20日金曜日、Twitterのタイムラインが「バルス」という文字列で埋め尽くされた。これは映画「天空の城ラピュタ」のクライマックスでの台詞で、金曜ロードショーをリアルタイムで見ていた人たちが番組の展開にあわせて一斉に書き込んだため。正確な数字は測定されていないが、少なくとも1万人を越える人がそのタイミングでバルスと唱えた模様。
 以前から2chの実況板等でも同様の出来事があったものの、今回はバルスに辿り着く前に負荷に耐えられずサーバーダウンしてしまった模様。とにもかくにもラピュタによって日本中が一体感に包まれた一夜だった。

バルスフイタ - Myrmecoleon in Paradoxical Library. はてな新館
altered image(z) : 【速報】twitterのサーバ、バルス負荷テストに合格。

みんなが知っているということの価値

 ラピュタは初公開されたのが23年も前の作品で、見ようと思えばレンタルビデオでもオンデマンドでも何でも見ることは可能だけど、あえて見るという動機付けを作ることがコンテンツが飽和した現代において一番難しい。にも拘らずラピュタに限らず宮崎アニメは毎回視聴率20%近くを叩き出す超優良コンテンツ。今まで何度も見たことのある人も、大勢の人たちと同時に見るというインセンティブが働き、またみんなが見ていると言うことがまだ見てない人の動機付けにもなって好循環が生まれているんですね。今回のTwitterにおけるバルス祭りはそういった一体感を皆が求めていることが可視化された事例のひとつとも言えますね。

 3月のWBCの時も思ったのですが、テレビはこうした同時に同じ瞬間を共有するという機能においてネットに比べてまだ圧倒的な優位性を保っている。ニコニコ生放送のようなネット上のライブ放送も最近注目を集めているものの、それはあくまで少人数による小劇場やライブハウス的な体験の再現でありテレビとはまた機能が違うように思いますね。

 同じ生放送でもネットは少人数に向けて新しいコンテンツ、実験的なコンテンツを配信し、評価を測ることに適している。テレビ等のブロードキャストは、既に巷に周知されているものを、大勢の人が同時に共有することに適している。そしてそれらが確かに共有されているということをネット上のコミュニケーションで実感することができる。

 今までは同時に体験したということの確認はお茶の間での家族間や、あるいはメールや電話による共有、翌日の職場や学校での雑談によって行われていたが、それがTwitterのようなコミュニケーションツールの発達によって今まで以上に一体感を瞬時に、かつ大規模に共有出来るようになってきた。それが今我々がおかれている状況のように思います。

 これってネットとテレビの有り得べき幸福な関係だと思うんですよね。ネットの普及はいつでも好きなときに好きなものを見られるという選択の自由を提供したのですが、しかしそれはあえて何かを選ぶという動機付けの喪失でもあって。そんな中でテレビというリアルタイムメディアの特性は、実は以前にも増して価値あるものになりつつあるのかもしれません。

テレビに新番組は必要ない

 あえて言ってしまえば、もはやテレビで新番組を制作する必要というのは存在しないのかもしれません。視聴率=視聴者数という絶対的な指標を求めるならば、新規作品は過去の名作に絶対に敵わない。今年の春先にTBSの全番組の中で夕方の水戸黄門の視聴率が一番高かったというニュースがありましたが、そういった事例は今後もっと増えてくる。

 ドラマにしろアニメにしろ、その制作費をCMで賄うというモデルは既に崩壊して久しい。コンテンツを直接パッケージして売る、あるいはヒットした作品を映画化することで事後的に回収するという形が主流になっているものの、何が売れるのか分からない状況で作り手が保守的になっていくという負のスパイラルもある。
 一方でネットは興味の範囲が島宇宙化して、ニッチな趣味を満たすような作品のほうが好まれる傾向があり、大衆的なコンテンを流通させるには適していないというのが従来の認識だった。しかしTwitterのようなツールが一般化していく過程でどうも実はそうでもないかもしれないということが明らかになりつつあるのかもしれません。

 ネットによってあらゆるコンテンツが無料化に向かう世界で、どうすれば大規模な制作物を作ることが出来るのかというヒントがこのあたりにある気がしています。フリーミアムの原則に従えば、ともかく圧倒的多数の人にコンテンツを届ける、内容を見てもらうということが重要になってくる。であるならば大規模な制作物をあえてネットで無償公開、させて十分に評判があがったところでそれをテレビを使って同時にさらに多数に送り届ける。そういった作り方をする作品がそろそろ現れてもいいころだと思うのですが、どうでしょうね。