いま大学生だったら、どういう人生を選ぶか?

今回はkawangoさんのブログ『はてなポイント3万を使い切るまで死なない日記』から転載させていただきました。

いま大学生だったら、どういう人生を選ぶか?

人間とは悲しいもので自分こそが人生で困難な状況に置かれているひとほど親身に他人の世話をしたりするものだ。遠く日本を離れた異国の地で自分の婚活をどうしようと思い悩みながらネットサーフィンしていたら、自分の悩みより就活どうしようと苦悩する日本の若者の人生に横から口を挟んで茶々いれることのほうが重要な気がしてきた。崇高な自己犠牲の精神がふつふつと沸き起こってきたのだ。

というわけで、自分がいま就活をしている、あるいは数年後就活をしなければならないとしたら、どうするかというのを考えてみた。しかし、いまの就活はぼくの頃よりもずいぶんと難しい。なにを基準に考えていいかがはっきりしないのだ。大企業にいってもつぶれそうな気がするし、ベンチャーはベンチャーで信用ならないし、唯一の安全パイに見える公務員すら、国も地方も財政破綻目前なのだから、どうなるかまったく安心ならない。ようするに日本全体がいまやばいかんじなので、どこいってもやばさから逃れられる気がしないというのが、現実なのだ。うわーどこにいけば安心かまったくアドバイスできないわ、俺が就活してたとしてもまったく読めねえ。しいて一番安全そうな職業を考えると百姓か、漁師なんじゃないかなあ。

いや、まったく安全な就職なんてほぼ見当たらないわ。就職はただの1ステップだという前提に人生をいろいろ考えたほうがよさそうだ。なので、もっと抽象的で、就活生にとっては一般的な命題をいくつか考えてみよう。

(選べるひとの場合)大企業とベンチャーはどちらがいいか?

まあ、一般的には大企業だろうがベンチャーだろうが会社によるよという答えなんだろうし、それはある程度正しい。が、もし、ぼくだったら、大企業は選択肢にははいらないように思う。それはなんだかんだいってやっぱり大企業には優秀な学生がいくからだ。歴史をみても学生の就職人気企業ランキング上位はつねにそのあと衰退しているので、学生の企業を見る目のなさは統計的にも明らかだ。競争率が高いわりには将来性も期待できないところを選ぶ理由はない。同期も優秀だし、上司も優秀なのが上につっかえている。そこではい上がっていくのは大変だ。もし、大企業で選ぶとしたら、外資系やちょっとブラック臭のするけれども勢いのある企業、ようするに人材の流動性が高い派手目なところだろう。業績はいいんだけど、ひとがたくさんはいってたくさんやめるところだ。

ひるがえってベンチャー企業の場合はどうか? ベンチャーの場合はそもそも人材の流動性が高い。2年ぐらいで全社員がいれかわるところもざらだ。にもかかわらずベンチャーはベンチャーで選ぶのが難しい。ほとんどがクソ企業だからだ。正解よりも地雷のほうが多いクジをひくことになる。やっぱり将来性ありそうな業種で、ある程度ビジネスも成功しているところを選ぶという大企業指向の強い人間の発想みたいな選択になってしまう。

なんか、会社の選び方については歯切れの悪いアドバイスになるのだが、要するにぼくもそれほどは正しく判断できる気がしないというのが結論だ。つまり会社の選び方はそれほど重要ではないというか失敗する可能性が高い。だったら就職先選びはどうせ失敗すると決めつけておいて、そのつぎに転職しやすいかどうかを優先して考えたほうがいい。そうなると、会社を辞めたあと自分に残るものを最大化するのが正しいだろう。なにが自分に残るのか? 人脈とキャリアと能力の3つだ。ちなみに転職時の優先度もこの順番になる。能力を高めることが一番大事な基本じゃないかと思うひとがいるだろうが、能力は他人に認められてはじめて発揮するチャンスが与えられる。能力なんてあってあたりまえ。むしろ能力の多少の優劣よりも人脈とかキャリアが転職のときには優先される。で、キャリアのほうだが、これが、XX社でどういう仕事をしていたか、という事実だけしかどうせ評価の対象にならなくて、中身は判断されない。だから、結局は人脈が転職の運命を決めるもっとも重要な要素になる。

転職の王道は紹介なのだ。そういう手段のない人間が中途採用に応募したり、人材紹介会社に登録するということだ。キャリアと能力は自分の持つ人脈に評価してもらうための手段として大事なのだ。そして自分の人脈なんて最初は就職した会社でつくるしかないのだから、最初の転職先は同僚や先輩の転職先ということになる。人材の流動性が高い会社で就職したほうがいいというのはそういう意味だ。

だから大企業かベンチャーかを問わず、入社してすぐにある程度の仕事をさせてもらえる会社で、ひとの入れ替わりは多い会社というのが、最初の就職の際の基本じゃないかと思う。

ただ、ぼくだったらどうするかというと、人脈つくるのめんどくさいというか人付き合い苦手で要領悪いから自信ないので、そっちでの勝負はしないかなあ。で、優秀な人間がいそうな人気企業も避ける。すると業界2番手、3番手とか中堅どころで選ぶことになるが、そんな位置でブラックやっている企業なんて、ろくでもないことが多いから、人材の流動性もあまりないぬるい会社を選ぶと思う。そこで仕事のチャンスだけもらってキャリアに関しては抜きんでた実績を上げるという難しい道に挑戦するというかんじかなあ。

(選べるひとの場合)いい待遇とやりたい仕事とどちらを大事にすべきか?

この問題は仕事とプライベートとどちらが大事かという問題につながる。ところが金銭面に関しては金を稼ぐための出世コースを選んだとするとプライベートのための金銭を選ぶためにプライベートを犠牲にするという矛盾が発生する。かといってプライベートを優先して出世をあきらめてもリストラの対象になって職を失えば結局はプライベートも崩壊してしまう。ぼくはやはりプライベートと仕事はできるだけ一致させるほうが結局は幸せになれるんじゃないかと思う。そうすると、できるならやりたい仕事、いまは好きでなくても好きになれそうな仕事を選んで、一生懸命に自分の仕事を好きになったほうがいいと思う。表面的な待遇はそれほど重要じゃない。どうせ待遇なんて変わる。勝負はあと30年か40年続くのだ。自分の人生を長期的にどういう環境で仕事できるかのほうが大事だ。そして仕事の環境というのは与えられるものではなくつくるものだと思う。一番いい仕事人生とは、自分の力量と立場をみきわめ、どこまできちんと働かずに好きなことをやれるかというゲームにしてしまうことだと思う。そのためには時々はやっぱりちゃんと働いて結果を出す時期も必要だけれども、基本は仕事で自分が楽しいと思えることをやるのが一番充実した人生をおくれると思う。なんだかんだいって寝る以外の人生のほとんどの時間は仕事をしているのだ。

(選べないひとの場合)そもそも選べる選択肢がねえよ。バカ。

これは本当にそうだと思う。本当に難しい問題だ。学歴もなにか特別な資格ももってなくて就職できる先なんてほんとうに少ない。だれでも採用してくれる仕事というと、ほとんどノルマがきついか歩合制の営業職になる。販売するのも怪しい商品とかが多くて、飛び込み営業やリストを無差別に電話をかけていっては、迷惑がられたり怒られる毎日。普通の価値観をもっていたら、すぐに精神がおかしくなってしまうような仕事だ。それだったらフリーターやっているほうがましだとはきっとぼくが同じ立場でも思うだろう。30歳とか40歳になってもフリーターやってられるわけないだろといわれても、ほかに方法がないのだからしょうがない。じゃあ、30歳になるまでフリーターしながら趣味の世界にひきこもって、そういう生活すら駄目になったら自殺するという人生のほうがまだあがく人生よりも幸せだという理屈に反論するのはぼくにはできない。有効な代案を思いつけない。

ひとつだけあるとしたらどんな趣味にひきこもるにせよ、ネットはやっておけということだ。これからの時代は世の中に存在するあらゆる世界はネットにつながる。ネットのノウハウをもっている人間は、当分の間は重宝される可能性が常にあるということだ。学歴も職歴もない人間の雇用を吸収できる最大の場所はやっぱりネット周辺だ。ネットであればひきこもる人間のすべては救われなくても一部は救われる可能性がある。たとえ遊んでいるだけのひとですら一部は救われるような時代になるとぼくは思う。

どういう勉強をしておくべきか。

若いときに勉強しておいたほうがよかったというひとは多い。だが、まあ、はっきりいって実際に勉強しなかったひとの後悔なんて、勉強しないと後悔したということの証明にはなっても、勉強してたらどうなっていたかについてはどこまで参考になるか疑問だ。ぼくは高校生の時、いままで一切自宅で勉強したことがなく、宿題も絶対に提出しなかったことが内心自慢だった。で、成績なんて勉強すればあがると思っていたのだが、高校3年の秋からはじめて受験勉強というものに着手し、半年間だけ死にものぐらいで勉強したところ、成績はびた1文あがらず、勉強する前の夏休みの模試でA判定だった大学以外は合格しなかった。最後の模試でも偏差値は半年前と1すら変わらなかったのだ。

思うにみんなが努力している分野での努力は非常に効率が悪い。競争がはげしすぎる。だれもやってないような分野での努力こそ希少性があって他人に評価されやすい。人間は分からないジャンルで能力を持つ人を高く評価してしまう傾向があるからだ。

だから、文系だったら数学やITを勉強すべきだし、理系だったら本を読むべきだ。経済学とか心理学の勉強もいい。でも、基本はやりたくない勉強なんてしないほうがいいのだ。どうせ身につかない。人生で勝負のネタにできる知識は中途半端な付け焼き刃ではなかなか通用しないものだ。興味があることがないときはどうすればいいか。そのときは環境を利用するしかない。バイトをしてバイトしている仕事のことを勉強するとか、好きな人や自分の友達が興味をもつことを覚えるか、そうでなくばネットの中とかであたらしい人間関係をつくりにいく。人間はつきあっている人間でどうなるかが決まる。自分の所属する人間関係と独立して成長するのは非常に困難なのだ。

ぼくはいま大学にもどったとしてもやはり大学の勉強はこれっぽちもやる気はない。前世と同じく劣等生で上等だ。ただ、興味あること、調べたいことはたくさんあるし、さらに見つけたいと思う。

起業するにはどうすればいいか?

最後に起業という選択肢について考えてみたいと思う。ぼくなら絶対に学生あるいは卒業してすぐに起業しようなんておもわない。だってネタがないんだもの。起業は自己目的におこなってもいい結果なんてでるわけもなくまわりに迷惑をかけるだけだ。

起業はやるべきときがくれば自然と決断を迫られるものだと思う。自分から探しにいくものではない。

ただ、将来、起業するチャンスが欲しいなら、就職してやるべきは、なんかのプロジェクトマネージャーだったり新規事業の企画者だろう。こういうタイプの仕事は起業に必要なスキルをほぼすべて身につけられる大チャンスだ。それを会社のお金とリスクでできるのだから素晴らしいことこのうえないのだが、なぜか、そういう冒険をふつうのサラリーマンはかかわりたがらないというメリットがあるから二重に美味しい。こういう経験を踏んで起業するのと学生でいきなり起業するのとではビジネス自体のスケールが大きく変わってくる。起業するためにはいったん社畜になるのがおすすめだ。雇用される側の気持ちもわかるしね。

以上よくあるテーマについてぼくの考えを書いた。全体的に若い人をみて思うのはプライドの持ち方のバランスがよくないなということだ。若いと身の程知らずで高慢ちきであたりまえで、それの鼻をへしおるのは年取った人間のつとめだと思う。だが、なんか、すでにへしおられたのか小さくまとまっている人間が多いよね。ものわかりが良すぎて、ちょっと卑屈にも見える。それが変なところにプライドがある原因だと思う。小さな世界をつくって自分を守っているのだ。そういえばぼくの婚活を妨げているのもプライドだ。ぼくの中ではこの腹回りをすっきりさせないことには婚活を開始するわけにはいかないという切実なプライドがある。冷静に考えると別にそんなのは無視するか、どうしてもこだわるなら本気でダイエットをやりやがれという結論になるのだが、どうもそうもなかなかいかずに時間だけ過ぎていくというのが人生というものだ。前向きな努力に結びつかないプライドなんて捨てたほうがいい。まあ、ということで話がずれたが、無理矢理、締めにはいることにする。

いまの若い人は会社のために働くということに価値観を見いだせないひとが多い。ということは、いまの世の中で希少価値が高いのは社畜だということだ。プライドをもった社畜としてプライベートも含めて仕事にささげるという生き方が競争相手が少なくていいように思う。なまけるのはみんな頑張っているときがいいのだ。奴隷とちがって社畜はいやならいつでも辞めていい。もしくはサボる社畜になればいいだけなのだから。

執筆: この記事はkawangoさんのブログ『はてなポイント3万を使い切るまで死なない日記』から転載させていただきました。

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