自民党・統一教会・公安警察、「三つ巴の暗闘」の恐るべき歴史

パンドラの箱を開けた「安倍銃撃事件」

安倍晋三元首相銃撃事件の容疑者の口から止めどなく溢れ出る宗教法人「世界平和統一家庭連合(旧統一教会)」への憎しみは、戦後日本の保守政治の地下人脈までも射抜いたようである。

自民党内でハト派の流れを組む岸田文雄首相までもが何か焦りを見せているように感じられる。そこには、情緒的になった“国民感情”が、安倍元首相を「悲劇の元宰相」とみなしている間に国葬を強行し、この事件を封印したいという思いがあるのかもしれない。

国会が開会されていれば、安倍元首相を中心とする、党内タカ派と旧統一教会との関係は言うに及ばす、日本有数の宗教法人「創価学会」を支持団体に持つ与党・公明党にまつわる「政教分離」の問題が再燃し、政権の基盤を大きく揺るがしかねないからである。

しかし、パンドラの箱は空いてしまった。

〔PHOTO〕Gettyimages
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公安警察の「宣戦布告」

歴史的に見ても日本では、宗教は、政治の問題とりわけ治安の問題と複雑に絡み合ってきた。そのことが、図らずも「安倍銃撃事件」で明るみに出たかたちだ。

とりわけ、統一教会、日本警察、そして政界の「三つ巴の暗闘」は、その複雑な絡まり合いをよく物語っている。

戦前には、超国家主義的なイデオロギーと、一見反権力主義的な宗教的信条との“野合”が、右翼テロや軍事クーデター等の暴力主義を誘発しただけに、戦後の公安警察が統一教会を監視下に置いたことに驚きはない。

事実、私が1980年代初めに公安担当記者になってから、「武装化」を画策する教会信者の自衛隊への“偽装入隊”や、1987年の朝日新聞阪神支局襲撃事件に始まる、一連の赤報隊事件の捜査対象者らへの、冷徹な教会包囲網を幾度か現認した。

その公安警察が統一教会に“宣戦布告”したのは、1993年5月のことである。

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