「世界各国からの哀悼」が意味するもの…じつは安倍元首相が成し遂げていた「離れ業」
安倍晋三元首相が凶弾に倒れた。蛮行を非難すると同時に、安倍元首相のご冥福を謹んでお祈りする。日本の外交史に大きな足跡を残された方であった。この機会に、そのことについてあらためて考え直してみたい。
安倍元首相は、日本国内では、右派としてのイメージが強く、国粋的な傾向が強かったとみなされている。他方において、訃報に際して、世界各国から哀悼の意が表明されたことからわかるように、国際的には多国間協調主義を推進した人物であった。
安倍元首相が官房長官として仕えた小泉純一郎氏と比しても、安倍元首相の場合には、価値観を前面に押し出す傾向が強かったように思われる。それは国内のイデオロギー対立の構図では、右派の国粋主義者としてのイメージにつながった。他方において、国際社会においては、「自由・民主主義・法の支配」の普遍的な原則を推進した国際主義者としてのイメージにつながった。愛国者としてのイメージと、多国間協調主義者としてのイメージが共存していた点が、安倍元首相の特徴であったと言える。
このことが持つ意味は、日本政治の過去と未来を考えるうえで、小さくない。
安倍元首相を特徴づける姿勢
安倍元首相は、愛国主義を前面に出した自他ともに認める保守政治家であった。伝統的な日本の政治では、右派系政治家の識別基準となってしまう靖国神社参拝や、従軍慰安婦等の歴史認識の問題において、かなり明確に保守系の立場をとり続けた。そのため左派系の勢力との確執が絶えなかった。
単に国粋主義的であるだけなら、外国事情への関心は必然ではない。実際に、保守系の政治家の中には、あまり外交に関心を持たないか、あるいはせいぜい短絡的な国際情勢の理解だけをしているようなタイプの方もいる。
しかし安倍元首相は、異なっていた。すでに小泉政権の官房長官の時代に、拉致被害者対応において、北朝鮮に融和的であった田中均・外務省アジア局長(当時)と激しいやり取りをしたことは有名だ。首相になってからも、北朝鮮との交渉記録を残しておらず、説明もしないという理由で、田中氏を「外交官として間違っている」と批判したりしていた。
安倍元首相の場合、北朝鮮には厳しい姿勢をとり、中国と韓国にも淡々とした態度を取り続けたと言えるかもしれない。しかし少なくとも、それ以外の諸国とは、国際協調主義の態度を貫き、成功した。これは日本の政治史の中でも、稀有なことだ。公職追放対象だったような保守系政治家たちは、戦前の軍国主義に日本を導いた指導者だと位置づけられたがゆえに、左派系の勢力によって侵略主義的な勢力だとみなされた。彼らの子孫が、国際協調主義的であるとしたら、冷戦時代に形成された伝統的な「55年体制」の日本政治の構図は崩れる。