人情家としてのプーチンの素顔
田原総一朗 鈴木宗男さんといえば、日本の政界では随一のロシア通です。いったい鈴木さんは、いつどこでプーチンと出会って仲良くなったんですか。
鈴木宗男 一番最初にプーチンさんに会ったのは1999年8月、あのときは大統領ではなく首相です。ニュージーランドのオークランドでAPEC(アジア太平洋経済協力)が開かれたのですが、エリツィンさんは体調が悪くて来れず、プーチン首相がかわりにAPECに来ました。

田原 プーチンはどういう人柄でしたか。
鈴木 一般的に「KGB(ソ連国家保安委員会)出身の冷たい人間だ」と受け止められていますが、実際には日本人的で繊細なメンタリティをもっています。柔道家ですから「礼に始まり礼に終わる」という人柄なのです。
ちょうどあのとき、中央アジアのキルギスで日本人技師が4人拉致されていました。日本としては、拉致された日本人4人をなんとか無傷で取り返したい。そのためにはロシアの力を借りるしかありません。日本が困っている状況ですから、普通は「ロシアの力を貸してやろう」と恩着せがましく振る舞い、これ幸いと外交カードとして利用するものです。
ところがプーチンさんは、こちらからお願いする前に自分から「4人は元気だ。何も問題ない。情報はすべて我々がもっている。日本に協力しよう」と言ってくれました。「この人は人情家だな」という印象を強くもったものです。
田原 次にプーチンに会ったのはいつですか。
鈴木 2000年3月26日に大統領選挙に当選した直後、4月4日に会談しました。この3日前に小渕さんが脳梗塞で倒れ、再起不能の状況になってしまったのです。次期総理大臣に内定していた森喜朗さんから「鈴木さん、予定どおりにモスクワに行って、オレとの会談予定を取ってきてくれ」と頼まれました。
小渕総理の特使としてモスクワでプーチンさんに会うと、大統領選挙に勝ったばかりですから、背もたれ椅子に座り意気揚々としています。当時の私は内閣官房副長官を終えて、自民党総務局長(現・選挙対策委員長)という今でいう党四役の一人です。ペーペーの私と大統領では格が違いますから、一生懸命しゃべっても話を聞いているのか聞いていないのかわかりません。そのときハッとひらめきました。その部屋は、1年5ヵ月前の1998年11月に小渕・エリツィン会談を開いた部屋だったのです。
「大統領、1年半前あなたの席にエリツィンさんがいた。今私が座っている席には小渕総理がおり、私はその隣に座っていた。小渕総理は今生死をさまよっていて、残念ながらもう再起はない。大統領、今私はここに小渕恵三がいるという思いであなたに会っているのです」