トヨタ「CM放送取りやめ」の意味
7月23日、紆余曲折の末に第32回オリンピック競技大会は開会式を迎えました。
インバウンドなど経済効果は見込めず、会場に歓声が響かないというイレギュラーな事態にあっても、いざ競技が始まれば、それなりの盛り上がりをみせ始めています。いつもと同じようなオリンピック。なんだかんだ言っても、人々がその中継をリアルタイム視聴するという点で、オリンピックは最強のコンテンツであり、依然、多くのスポンサーやテレビCMを集める力を有しています。
ですがその一方で、私は2021年の東京オリンピックは、後々「一つの潮目だった」と振り返られるようになるのではとも予想しています。1984年のロサンゼルス大会は、巨額な放映権料やスポンサーマネーがとびかう、ビッグビジネスとしての五輪への転換点だったとよく語られますが、それに匹敵するくらいの変化が、今まさにあらわになりつつあると思います。
次から次にいろいろなことが起きるので、やや記憶から薄れつつあるかもしれませんが、7月19日、トヨタ自動車は国内で五輪関連CMの放送をしないと発表しました。
もちろん、一社の判断をもって「広告媒体としての五輪の失速」は言いすぎだろうと思われる向きもあるかもしれません。しかし、今回のトヨタの決断は、広告におけるより大きな環境変化の現れとして、時代の変化を端的に示す例として、見過ごすことのできないものだと私は考えています。
以下、トヨタの五輪関連CMの消えたこの夏を、なぜ私が時代の画期ととらえているかを、三つの観点から述べていきます。
オウンドメディアへ向かう流れ
まず、「広告の媒体の変化」という観点。
今回、テレビCMの放送がキャンセルされたわけですが、その背後にはメディア全般における「コマーシャル(商業的)からソーシャル(社会的)へ」という流れがあります。