ピンカーへの除名請求の背後にあるもの
今年7月、著名な言語学者であるスティーブン・ピンカーをめぐる「学会除名騒動」が起きた。ピンカーをアメリカ言語学会の 「アカデミック・フェロー」および「メディア・エキスパート」の立場から除名することを請願する公開書簡が発表されたのである。
公開書簡の内容は、ピンカーはこれまでに人種差別の問題を矮小化するような主張や差別に反対する人の声を抑圧するような主張を続けてきて、結果として人種差別の問題を継続させることに与している、と批判するものであった。
しかし、公開書簡で挙げられている過去のピンカーの主張(その多くはツイッターに投稿されたもの。数年前のツイートも含む)を見てみても、ピンカーが人種差別の問題を矮小化したり差別に反対する人の声を抑圧したりしていることを示す直接的な証拠だとはいえない。公開書簡は、「ピンカーは人種差別の問題の原因に関して、活動家たち(公開書簡の執筆者たち)とは異なる意見を抱いている」ということしか示せていなかったのである。
ピンカーがこれまでに主張してきた「進化心理学」と「合理的な楽観主義」は、特に左派のアカデミシャンや反差別運動を行なっている人にとっては許しがたい主張であると思われていることが多く、そのためにピンカーに対する敵意や反感が溜まってきた……ということが、今回ピンカーが槍玉に挙げられた直接の原因であることは、前回の記事で指摘した。
しかし、今回の事件の背景には、近年のアメリカのアカデミアにおける独特な風潮が存在する。言論の自由が抑圧されて、社会問題などに関して主流派のものとは異なる意見を発表すること自体が難しくなっている、という事態がアメリカの大学では起こっているのだ。
この風潮を問題視する声も強くなっており、ピンカーの除名を求める公開書簡の直後にアメリカの月刊誌「ハーパーズ・マガジン」に発表された「公正と公開討議についての書簡」も、言論の自由と、異なる意見が公平に扱われて堂々とぶつかり合うことの意義を改めて主張したものとして話題になった。